やっぱり蒸機が好き!   《九州》列車・線区編・1

夜行普通 1121レ  (1)

九州の蒸機、機関区別に国鉄蒸機をしつこく紹介、わずかな専用線・私鉄も残らず紹介し、自分として完了! と思っていました。しかしスペシャル版(?)が残っていました。過去、雑誌などに、九州の蒸機をテーマにいくつか寄稿していたことを思い出しました。思い出の列車や、撮影でよく訪れた線区を、写真とともに回想しています。自分としては、精一杯がんばって表現した内容です。発行されてから、数年が経ち、自分でも忘れていたぐらいで、世間的にはまず認知されていないと思います。本欄で紹介するのも、改めて自分の足跡を見直す機会と思い、改めて列車・線区編として掲載する次第です。二重投稿の嫌疑を受けないよう、文章は見直して、削除、追記のリライトをしています。まずは愛用の夜行鈍行、門司港発、鹿児島本線、肥薩線、吉都線経由の都城行1121レの思い出です。

前夜、門司港を出発した1121レは、大畑のループ線を越えるころ朝を迎える。逆光線上に、澄んだ冬の空気が築堤の1121レを際立たせる(以下写真、昭和46年12月)。

夜行列車の全盛の昭和40年代、優等列車を補完する客車の普通列車も数多く運転されていた。夜行列車としての使命だけでなく、早朝・夜間は通勤・通学輸送にも利用され、郵便・荷物車を多数連結し、手小荷物・新聞・郵便輸送も担うなど、沿線の生活にも深く関わっていた。九州にも、島内を走る3往復の夜行普通列車があった。門司港~西鹿児島間の521レ・522レ(日豊本線経由)、門司港~長崎・佐世保間の1421レ・1422レ、門司港~都城間の1121レ・1122レ(鹿児島本線・肥薩線・吉都線経由、1122レは門司止め)の3往復で、いずれも始発は門司港であり、3本が次つぎに発車して行った。

体力・気力が許す限り夜行連泊を続け、最小費用で、最大効果を得る。夜行普通列車は、撮影旅行には最適の移動手段だった。手にした均一周遊券は、急行の自由席にも乗車可能で、普通列車に固執する必要もなかったが、時間帯、乗車効率から考えて普通列車に軍配が上がった。目指す撮影地は、急行列車の停まらない小駅も多く、乗り換えなしで目的地へ到着できるのも強みだった。加えて、普通列車には独特の雰囲気があり、それに浸りたくて普通列車を選択したものだ。

昭和43年10月改正時刻表、赤枠が1121レ、それ以外にも急行を含めて、門司港から夜行列車が発車していた。

その一本が、翌朝に矢岳越えに挑む1121レだった。昭和初期、鹿児島本線八代~鹿児島間(現・肥薩おれんじ鉄道、JR鹿児島本線の一部)は未開業で、肥薩線が鹿児島へ向かう唯一の時代から、同じ経路で運転されていた。筑豊でたっぷり撮影し、1121レに乗って、翌日は肥薩線の川線・山線区間で撮影する。この時期の撮影旅行で、切っても切れない縁のあった列車だった。終端駅らしい櫛形ホームの門司港、長い歴史を秘めて客車列車に相応しい旅立ち。

門司港は、旅客や物資の中継地として、古くから賑わってきた。のちに国の重要文化財に指定されることになる大正3年建築の重厚な駅舎は、夜行列車の旅立ちに似合う駅だ。昼間、蒸機の撮影に費やしたのち、陽が暮れると、小倉あたりで夕食を済ませ、座席確保のため身支度を整えて門司港へ向かっていた。九州鉄道の本社があった当時の威光は見られないものの、まだ門司鉄道管理局が所在し、鹿児島・日豊本線の終始発駅として位置づけがあった。今でこそ、レトロ地区として整備され、観光地化した門司港駅前も、とくに暗くなると、ひっそり静まり返っていた。

門司港での夜行普通列車は、発車順に、西鹿児島行き521レ、長崎・佐世保行き1421レ、都城行き1121レだ。いずれも戦前にその原形を見る由緒ある列車だが、長崎・佐世保行きは寝台車も連結し、のちにマルスに組み込まれたことに伴い、普通列車ながら「ながさき」の愛称が与えられる。521レも寝台車を連結しており、のちの1972年3月改正から、急行「みやざき」に格上げされ、宮崎~西鹿児島間のみ普通列車として残る。

出発駅の門司港駅、牽引機が到着するまで、開け放たれた貫通路から構内を望む。

1121レは、昭和30年代には鹿児島本線経由鹿児島行き、肥薩線経由都城行きを併結した121レとして運転されていたが、1968年10月改正から鹿児島行きは廃止され、都城行き1121レに変更されている。ほかの2本のように寝台車が連結されることもなく座席車のみで、鹿児島方面へは急行「はやと」(のちの「かいもん」)が先行するダイヤであり、乗車率も芳しくなかった。季節波動も大きく、閑散時は1輌に十数人がつねだった。わずかな乗客が客車に乗り込む、50年前の門司港駅、

 やっぱり蒸機が好き!   《九州》列車・線区編・1」への7件のフィードバック

  1. 私も門司港発都城行1211レを撮っています。先輩2人から突然電話がかかってきて、九州行となった時の事です。写真は1枚だけで、よく写っているなと思うほど写真の未熟者としては大マグレ写真です。この23時30分発1211レが門司港発の最終です。そのためか遅くまで飲んでいたサラリーマンさんが多く乗っていました。遅くまで飲む「のんべいさん」にとっては好都合の列車ではないかと思います。しかし、寝込んでしまうと熊本まで行ってしまうので要注意。マルーンさんそうでしょ。

    •  総本家さんのこのシリーズを次回と合わせ読ませて頂き、旅気分に浸っておりました。
       今は死語になりつつある夜汽車、その気分を思い出させて貰っていました。そろそろウトウトしようとする際にどですかでんさんに、たたき起こされた気分です。
       いやー、気分よく飲んで電車の座席に座ったら、揺れ加減に合わせ睡魔に襲われる、そして寝込んでしまう、乗り過ごす・・・その通りですね!!
       ただ、学生時分にはそれほどお酒を呑んだことはなかったことを申し添えます。社会人になってからやなぁ・・う~ん!?

      • いや~すみませんね。せっかく気持ちよくお休みのところ起こしてしまって。ところで私が会社勤めをしている時に先輩で最終の近鉄特急に乗り込んだのはいいのですが、寝過ごして次の停車駅で戻りの電車がなくて無理やり特急を途中駅で停めたという人がいました。今ではそんなことはできないでしょう。ちょっと、まだのどかな時代でした。

    • どですかでん様
      夜の門司港駅の写真、ありがとうございます。「観梅電車」とは、いかにも九州です。ステンレスのラッチ、電光表示、昭和を感じます。この1121列車、お書きのように門司港は23時30分発で、ほとんど変更はありません。紫の1863さんも書かれていますが、新聞輸送のスジで、印刷の上がりの関係で変更ができなかったのでしょう。

  2. 楽しみなシリーズが始まりました。夜行列車、それも機関車が引く客車となれば、たまりません。1121列車には間に合いませんでしたが、門司港駅は「みやざき」に乗るために行きました。
    総本家様は待ち時間も有効に活用され、夜のホームや客車の貫通路から見える風景なども記録されております。今の私には胸に沁みる風景です。光るレールや人気の少ないホームの写真を拝見しますと、当時の雰囲気が蘇ってきます。自分も同じような景色を見ていたのですが、夜になったらカメラはお休みで、ボーっとしてました。後悔先に立たずです。
    2000年の正月休みに門司港を訪問しましたが、ホームは蒸機がいた頃と変わらないように感じました。

  3. この1121列車は乗りたかったですね。世代の差で乗れていません。
    写真は1981年2月16日の1421列車で長崎に向かう同好会の面々。
    私は始発の門司港までは、山陽線の普通乗り継ぎで到着しています。

    • KH生さま
      九州には3往復の夜行鈍行がありましたが、1121レ、1122レの廃止がいちばん早かったですね。ほかの2往復には、寝台車が連結されていたり、夜行鈍行としては、少し位が高かったように思います。いっぽうの1121レ、1122レは座席、郵便荷物車のみで、しかもよく空いていて、夜行鈍行の良さを満喫できました。

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