昭和の電車 改訂版(150)ー小田急1700系ー

前回は、まったくコメントがありませんでした。関西から小田原は遠いようです。

昭和の電車 改訂版(150)ー小田急1700系ー」への2件のフィードバック

  1. 先の小田急1600に続く戦後の短期間に咲いた3輪の花1700ですね。私は好きです。
    安藤楢六「監督」時代の2番バッターですが、可憐な花ながら、「走る喫茶室」の走りで、東武の5700や京成の1600に与えた影響も大きいと思います。第1第2編成は消失国電の「お化け」で関東にはたくさん仲間がいました。一番綺麗な娘と思っても、過去が有り、「上海帰りのリル」みたいで昭和20年代らしくて泣ける話です。
    第3編成から資材状況が良くなり新製になりましたが、SE車3000という長嶋級スーパースター登場に、わずか6年くらいで引退に追い込まれて、ファームに下がり地味な通勤電車に改造されました。
    その時に20mあったT車は16mに短縮化されて、3ドア化。引退も早く、地方球団にも流れませんでしたが、試作的なMD5型台車の話とか、もう少し細かなスペック等も知りたかった幻の電車です。

    1981年に岳南鉄道を見に行く機会があり、小田急旧型車の宝庫でしたので、技術者の方と遭遇し、当時学生の私が、OK台車やMD台車の扱いについて聞くと、面白がってくれたことが良い思い出に残っています。写真は岳南時代の1900型T車のOK17です。

  2. 電車で正面2枚窓と云えば、普通は湘南タイプと呼ばれます。しかし、ここまで中央窓柱が細いと、真似ではなく、独自デザインと言えるのではないでしょうか。小生とほぼ同じ頃の生まれなので、見てはいると思うのだが、全く記憶になく、残念です。もっとも、晩年に3ドアの通勤型になってからは、随分お世話になり、写真も撮りましたが。この写真は、早大鉄研の先輩、永井信弘氏の作品です。撮影は、昭和30年4月5日。新宿15時発の下り「乙女」が、多摩川鉄橋を渡って来たところです。

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