やっぱり蒸機が好き!《区名板》で巡る北海道の蒸機 ①

留萌区 D61  〈1〉

「やっぱり好き!」シリーズ、昨年に掲載の九州から、今年は北海道へ移ります。北海道で蒸機が活躍していた昭和40年代には、夏冬に計4回行っています。そのうち半分近くは、今まで紹介したC62に費やしましたが、そのほかにもクローバー会会員ととも、各地で撮影をしています。昭和43年時点で、九州には458両、北海道には536両もの蒸機がいました。ただ、九州と比べると、手入れが悪いうえに、醜い改造があったり、後年になると“団結列車”も出現して、美しい形式写真など望むべくもありません。勢い、機関区でじっくり形式写真を狙うより、駅での編成写真や、駅間で北海道らしい走行写真を撮ることが多くなりました。

そこで今回は、九州編のように、機関区別に形式ごとに紹介するのを止めて、特徴的な蒸機を採り上げます。編成写真や走行写真を中心に紹介して行くことにして、今まで紹介のC62は除外しました。第1回は、北海道だけにいたD61、所属は、深川機関区留萌支区です。以下の写真を見ると、キャブの区名板は本区の〔深〕となっています。支区の〔留〕が掲げられていたかは不詳ですが、所属先を明確にするために、〔留〕とします。

留萌本線の峠下を通過するD61 6〔留〕の牽く石炭列車774レ、留萌本線が増毛まであって、留萌から日本海沿いに幌延まで羽幌線が伸びていた時代、沿線には、まだ炭砿が多くあって、両線には石炭列車が多く運転されていた。峠下は、深川と留萌の中間付近、文字どおり峠のすぐ近くにあって列車交換も盛んに行われていた。当時から人家は少なかったが、駅員もちゃんと配置されていた。転轍機を操作するため、広い構内に必要な自転車が置かれていたのも、当時らしいアイテム、4年前に、約50年ぶりに峠下を列車で通ると、ちゃんと列車交換があった。駅はとうの昔に無人化されていたが、保線要員の基地として駅舎もそのまま残っていて、50年前の既視感にとらわれたものだ。(昭和44年9月)

D61は、D51を改造した国鉄最後の蒸機形式である。1950年代当時、丙線の貨物列車は9600形だったが、老朽化が著しく、代わりとなる機関車が求められていた。いっぽう、その上のクラスとなる乙線の貨物用機関車は、戦後の電化の進行などで両数に余裕があった。そこで、丙線用にD50をD60を改造したのに続いて、状態の良いD51を軸重軽減を改造して、丙線用に改造することになった。昭和34~36年に、浜松、郡山工場で6両が改造された。さらに増備の計画だったが、D51に余裕がなく、改造は中止された。最初、稲沢第一区に配置され、中央西線、関西本線でテストされて、留萌区に送られ、留萠本線・羽幌線で使用された。1D1のD51から、従輪2軸の1D2となり、軸重は14.6トンから13.7トンに軽減した。北海道での運転に備えて、運転室を密閉式にしたり、ツララ落としが設置された。

D61 1〔留〕、昭和35年にD51640から改造されたトップナンバー機、撮影した年のわずか8年前に出来た蒸機であり、いまとなっては信じられない。

D61 1の正面とキャブ付近、車歴によると、この年にデフの切り詰め施工がされている。D61の特徴である密閉式のキャブと従台車、ナンバープレートの下には、改造元を示すD51 640の銘板もある。

留萌支区のD61 4 こちらはまだデフの切り詰めもなく、原型のままの姿を保っていた。従台車が違うだけで、ほかはD51と変わらないのだが、ナンバーが51から61に変わるだけで、全く別の蒸機として映る。

なお、“るもい”は、当時は駅名、線名とも「留萠」だったが、自治体名に合わせて、1997年に「留萌」に変更されている。

 

 

 

 

築別方面に向かう空車の無蓋車編成を牽いて、留萌を発車する。D61 4〔留〕+D51 62〔深〕の重連 (以上、昭和43年9月)

 

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