北のC62 全記録 〈6〉

再び上目名へ。151km地点で撮る  昭和43(1968)9月11日
倶知安のニセコYHに3泊目のあと、普通列車に乗って、再び上目名を目指しました。想定外のブッシュの多さで撮影に難渋した前回の経験を生かして、前回よりさらに目名寄りの151キロ地点まで歩いて行きました。
上目名駅から約1時間歩いたところが151km地点、ここは周囲が急に開けて来て、右手にはちょっとした高台があって、ここだけブッシュもなく、難なく高台の上まで到達でき、目名方面へは高原が広がっているのが見える。開けているぶん、目名を通過するC62の汽笛あたりから聞こえてきて、それから数分間、ドラフト音がどんどん近づいてくるのが堪能できる。後志の山々を背景にして、カーブの向こうから、編成が顔を出した。

上り「ていね」を連続撮影。最大の旅客蒸機2台が牽いても、連続20‰勾配は過酷だ。三脚に据えたカメラを何度も巻き上げて、同じ構図で連続シャッターを切る。

▲ 上目名付近の概要(1/5万地図「歌棄」に追記・加工)

上目名を午後の上り列車に乗って、長万部へ向かった。歩いて5分ほどの駅構内のはずれに、きれいにカーブした、おあつらえの撮影地がある。まずは、時間があるので、機関区で撮影、時刻は15時過ぎだから、傾いた太陽が待機するC62のキャブを照らし出していた。たっぷり区で撮影したあと、「ていね」発車の10分前にくだんの撮影地へ向かう。デフでやや影ができたが、編成全体にきれいに陽が回った。

そのあと、函館まで普通列車に乗って時間を潰し、函館23時25分発、室蘭本線経由の札幌行き急行「たるまえ」に乗車した。「たるまえ」は、長万部~函館は、上下ともC62の牽引となる。本日の牽引は、前回、小樽築港区で、最初で最後の撮影をした30号機だった。これで、当時C62が牽引していた3本の急行列車「ていね」「石北」「たるまえ」にすべて乗ることができて、ヨンサントオ改正の前のひとつの乗車目標を達した。

 北のC62 全記録 〈6〉」への1件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さま
    そうそうここ!ここです。初めて特派員さまに連れてってもらってあのジェット機のようなドラフト音を体験したのは。この北海道行の前に手にしたミノルタのSRー1の初撮影で、同じ構図で撮っています。結構急カーブが連続し、薮や樹木が多くある山線にあって、見通しのきく開けた数少ない場所の一つではないでしょうか。10年ほど前に183系スラントノーズの修学旅行臨を撮りに152㎞地点付近まで迄目名駅から歩いて行きました(もう上目名は廃止されていた)が、周りの風景の余りの変わりようで意図した構図で撮れないことがありました。
    C62牽引の全急行に乗るとは貴重な目標でしたね。梅小路傍で少し見慣れていた小生にそのような発想はありませんでした。当時は撮影後の移動までの間にローカル線に乗りに行って時間を調整していましたね。湧網線のようにその後再び乗る機会がなく、そんな折に乗ったのが最初で最後になった線区もありました。

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