「こんなモンありまっせ!」に寄せて

米手作市様が貴重なクハ86015の走行写真を投稿されましたが、その後のスタイルの変化等について紹介したいと思います。
こちらは、昭和38年8月29日、京都駅の3番線と4番線の間の留置線に停車中で、快速の増結車として待機中のところです。

クハ86015は、昭和37年4月17日付で静岡から高槻に転入して、1年半後の38年11月20日付け早くも岡山に転属し、その後広島に転属後53年1月17日付で廃車になっています。
昭和50年8月10日、広島駅で撮影した画像で、河様から解説いただきました計器設置スペースを確保するための改造後です。

昭和48年1月28日、広島駅で撮影したクハ86001です。正面3枚窓のクハ86の車体更新後の標準的なスタイルです。
クハ86015との違いをお判りいただけると思います。
クハ86001は、新製時のスタイルに復元され、梅小路鉄博に展示保存されています。

「こんなモンありまっせ!」に寄せて」への8件のフィードバック

  1. 藤本様、
    久しぶりですね。ありがとうございます。
    ところで前から気になっていることがあります。
    この旧型クハ86で、流線型との合いの子の車両を見た覚えがあるのです。流線型は二枚窓で上半身はやや傾斜して、上から下まで真ん中に折れ目があります。記憶にあるのは1番台の旧型ですが上半身は300番台と同じく後へ傾斜しています。しかし真ん中の折れ目がなく15号と同じような二枚窓だったような記憶があるのですが、こんな車両はあったのでしょうか?見たのは徳山だったような気がします。

  2. それって、ひょっとして全面3枚窓⇒2枚窓への変更車で、奥目の21、22の事ではないでしょうか?

  3. 藤本哲男様
    いつもながら貴殿の完璧なまでの車輛写真に敬服しております。
    自分自身を『車両写真中心』などと吹聴していたのがお恥ずかしい限りです。
    今後共よろしくお願い致します。

  4. 河様、
    写真展へのご協力ありがとうございます。木次線スイッチバックに乗ったことのない会長に代わりまして御礼を申し上げます。
    ところで何時もながらのあやふやな記憶ですが、そのようなものがあるのですか?見間違いではないと言うことですね?

    どなたか写真があれば見せて下さい。

  5. 米手作市様
    私の中のクハ86の大まかな分類では、1番代3つ窓+No.15⇒2枚窓試作車?(No.21&22)⇒1番代2枚窓(No.23以降)⇒100番代⇒300番代へと進化したと記憶しております。
    もし、私の勘違いで無ければ、今回の該当車ではないかと思われるのはNo.21&22でしょう。
    同車は台枠は丸妻のまま2枚窓化したため前面に折目が無く、窓の上部建て込み部が『奥目』状態でした。
    因みに手元資料(鉄道図書刊行会・国鉄車両配置表1971年版)ではNo.21が広転に在籍しており、徳山は守備範囲だったのではないかと思います。
    なお、この件に関しては鉄道ピクトリアル2011年7月号に拙筆ながら記事が掲載されております。

  6. 86061~は製造時から窓枠Hゴム支持、86067~は製造時から運行灯窓Hゴム支持。
    全金300台では両渡り式により偶数車にもジャンパ栓受け装備。床上タイフォンも製造時から前面に装備。

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