米手さんや浄福寺さんから「怪しい写真」が紹介されている中に、キハニ5000が1枚あります。この写真の場所はどこだろうと興味がわきました。以前デジ青上で 糸崎にも一時期キハニ5000がいたことを話題にした際に、自分なりに作っていたキハニ5000の配置表をもう一度見てみました。
キハニ5000は昭和4年に登場し、燃料統制もからんで稼働していたのは昭和12年頃までだと思われます。浄福寺さんのおっしゃるように、関西圏での撮影だと仮定すると、せいぜい大垣から米原、長浜、奈良、姫路という範囲に限定されると思われます。いずれも短区間運転ですから、対象となる駅も限られる筈です。改めて写真を見てみましょう。
キハニそのものには手がかりらしきものが見当たりません。背景も不鮮明でヒントになりそうもありません。このプラットフォームの柱や床面が気になります。上屋の柱の下部は鋳物らしきサポート金具が使われ、柱の上部は少し装飾が施されているように見えます。また床面はコンクリートのベタ打ちではなく、正方形のセメント板のようなものがきれいに敷きつめられているように見えます。要するに少し造作に手をかけた駅のように感じます。例えば長浜駅はどうでしょうか。かつて太湖汽船への乗り換え駅だった歴史ある駅です。これぐらいの造作があってもおかしくないように思えてきます。私の考察、推論はここまでです。皆様のご意見をお願い致します。