【88101】カラフルDC-半世紀前、盛夏編

残暑お見舞い申し上げます。
昨年に続き『真夏の蒸機』を考え、記事も途中まで書いたのですが、もうひとつパッとせず、諦めて、DCにしました。以前加太のDCを投稿したのですが今回はそれ例外の場所です。炎天下になかなか来ない蒸機を待つ間、さっと通り過ぎたDC。高価なフィルムが勿体無くてあまり気乗りせずに撮ったDCですが、今はやはり貴重に感じるものです。DCの形式を私はよく間違えます。気を付けますが、間違いあればご指摘下さい。

先ずは米坂線。先だってより、蒸機39685の写真をさいたま市役所に飾って頂いていますが、それはこれと同じ場所の地上から撮ったもの。下の画像は山から俯瞰した準急『あさひ』です。仙台発仙山線、奥羽線、米坂線、白新線経由新潟行き。上下各2本あり、鉄橋とトンネルが続く深山幽谷地帯を行くキハ58系が画面左に進行します。一面緑でDCの色がよく映えます。同じ位置から撮った貨物列車の画像は蒸気も見えず、緑と黒だけ。見栄えがしませんでした。
▼米坂線 玉川口-小国間 607D 『あさひ1号』 1965.8.17      C1521同じ場所を地上から撮った上り『あさひ1号』。列車の後部で右のトンネルに消えて行きました。冷房は無く窓からの風だけで、よく辛抱したものです。
▼米坂線 玉川口-小国間 608D 『あさひ1号』 1965.8.17      C1524
次は夏の日本海沿岸を行く、普通列車キハ55系です。現在はこの区間、山側をずっとトンネルで進みますので、海岸を通るこの風景は臨めません。
▼信越線 米山-笠島間(旧線) 914D 1964.8.15 C0407
入道雲が沸き上がる真夏の午後、子どもたちが列車に見とれていました。
キハ17×1+キハ20×3 山に田圃と土手は緑一色。それだからカラフルなDCが周囲に良く映えます。これが殊に夏の蒸気だと、黒煙と緑でぱっとしません。
▼飯山線 森宮野原-足滝間 130D 1965.8.16 C1406
中央線奈良井付近のカーブを行く急行『第一しなの』。キロ2輌を挟み58系の堂々たる10連で坂を上り、まもなくトンネルに入ります。
▼中央西線 薮原-奈良井間 802D 急行『第一しなの』 1964.08.17   C0508
緑が濃い8月の末、近くの福知山線、一等車(当時はまだ一等、二等で区別)キロ28を挟んだ5両編成。普段大阪へは4両編成だがこの時は5連でした。
▼福知山線 篠山-丹波大山 2802D 急行『白兎』 1965.08.29 C1724
そろそろ色づき始める田圃、大きな農家の横を通り過ぎるキハ20系DCです。
▼和歌山線 北宇智-吉野口間 2536D  1966.09.14 C3113
夏の午後、入道雲が沸き上がり、草いきれでムンムンする田園地帯のバス窓キハ1657ほか。
▼和歌山線 北宇智-吉野口間 2540D  1966.09.14 C3120以下は、山口県の美祢線、大嶺線、山陰線、山口線に出かけた時のDC画像です。
関西線でお馴染みのキハ35系がキハ20系2輌と併結した3連。
▼美祢線 松ヶ瀬(信)-厚保間  1966.08.14 C2901
▼美祢線 松ヶ瀬(信)-厚保間  2411D急行『あきよし』   1966.08.14 C2907
美祢線の撮影後、長門市から山陰海岸沿いに石見益田に向かい、途中の海岸で撮影。蒸機は、長門のD51ばかり、C58は通りませんでした。
海岸でDCの最初は、昨日撮ったすぐ上の画像美祢線経由『あきよし』です。この急行、途中で分離、併結繰り返し複雑な経路で運行されていました。
▼山陰線 飯井-三見間 2411D急行『あきよし』 1966.8.15 C3013
次の編成、先頭車の形式が不明です。真ん中はキハ55系、後ろがキハ20系ですが、先頭の切妻、三扉車が不明です。美祢線で見たキハ35系にも似ていますが。
▼山陰線 飯井-三見間 839D キハ20ほか形式混合編成 1966.8.15 C3014
天気がもう一つ良くない海岸です。特急まつかぜがやってきました。
▼山陰線 飯井-三見間 1002D特急『まつかぜ』 1966.8.15 C3016
美祢線、山陰線撮影の帰途は山口線経由。夕立が小ぶりになった頃、通過したキハ20系と55系の3連。近くに清涼な水が流れていて、雨宿りの線路小屋でついでに一宿。
▼山口線 仁保-宮野間 540D 1966.8.15 C3020
翌日も天気は良くなく、D60曳く客車1本を撮っただけで帰宅しました。
DC盛夏編。DCの写りの小さいのがあり、お見苦しかったことでしょう。お許し下さい。
次回は冬季編、東北地方を中心に、寒くなった頃に紹介予定です。

カラフルDC-半世紀前、盛夏編” への6件のコメント

  1. 草いきれで蒸しかえる夏の日の午後、聞こえるのは蝉の声ばかり。遠くから気動車のタイフォン。やがてレールのジョイントを刻む音が聞こえはじめ、緑の中からオレンジ色のキハが顔を出す。エンジンの轟音が通り過ぎる時、熱い排気にあおられて草いきれが排気ガスの臭いに負ける。一瞬にして騒音は去り、また蝉の声と草いきれが廻りを占領する。
    思い出しました。

    • 見事な描写に感心しました。まさにtsurukameさんの世界の再現ですね。ン十年前、重いカメラバックを下げて、真夏の炎天下の線路端を何キロも歩き通したことを、写真と文章、両方で味わいました。
      “こんなモン”教祖の名を欲しいままにした米手さんですが、私は新たに“鉄路の詩人”の称号を差し上げます。

      • 過分な賞賛、ありがとうございます。
        “鉄路の死人”とならないよう精進潔斎して励みます。

    • 線路脇の音についてその他に、昼夜を問わず蚊のプーンという羽音。夕方からなら田圃のかえるの音(ね)。それとせせらぎですね。線路脇の木造一戸建電気ガス水道設備および錠前なし長椅子付き1Kに泊まる時は水が必要ですので清涼な流れがある付近によく宿営しました。心地良いものです。夜間の宿営時には、寝る事意外他にする事が無いので暗闇でよくテープを回しました。夜間の蒸機は遠くから遠くまでよく響きます。前後5分位してようやく静かになると、再びかえるの合唱が聞こえてきて、それはそれは至福の一時でした。

      • tsurukameさま
        “線路端の1K”とは言い得て妙ですね。たしかにステーションに較べると、ずっと野趣豊かな環境ですから、いろいろと障害もありましたね。その1Kは、何故か無施錠ですから、出入り自由でした。私は“最北の1K”に、DRFCの仲間と泊ったことがありましたが、ちょっと固めのベッド(枕木)があって、快眠できました。すがすがしい朝の冷気をいまも覚えています。

  2. 皆さんも平屋一戸建てに泊まられた事があるのですね。その時の食事と寝床はどんな風でしたが。春秋はよいのですが、厳冬と盛夏時は大変だったことでしょう。

    私はラジュースにコッフェルとガソリン、米・缶詰・オニオンスープ、粉末ジュース、粉末コーヒー持参でした。それに寝袋と桐灰懐炉(冬)金鳥蚊取り線香(夏)も携帯していました。ただ酒類は当時持参しなかったですね。今なら酒なしは一晩も過ごせません。

    余談:昔、線路小屋でどなたか達が枕木を燃やして暖をとったそうです。空気が乾いた土地で、あくる朝には、すっかり真っ白な灰になっていたそうです。今ならとんでもない事です。

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