真夏の蒸機-半世紀前

残暑お見舞い申し上げます。真夏の炎天下、飯山線と米坂線で撮った蒸機です。
▼飯山線客214レ機C56109【飯】 越後鹿渡-越後田沢間 1965年8月16日 C1407
C1407▼飯山線混216レ 機C56109【飯】 越後鹿渡-越後田沢間 1965年8月16日 C1411
C1411▼飯山線混121レ 機C56109【飯】 上境-上桑名川間 1965年8月15日 11016
11016▼飯山線客221レ 機C56101【飯】 足滝-森宮野原間 1965年8月15日 11028
11028▼米坂線貨164レ 機9600型 玉川口-小国間 1965年8月17日 C1522
C1522▼米坂線混117レ 機9600型 玉川口-小国間 1965年8月17日 C1520
C1520▼米坂線混116レ 機9600型 玉川口-小国間 1965年8月17日 11219
11219▼米坂線 同上 11220
11222

4 thoughts on “真夏の蒸機-半世紀前

  1. tsurukame様
    半世紀前の夏の旅。小海線と共にC56(一部ハチロク、C12もあったかもしれません)で有名であった飯山線、キューロク天国の米坂線の真夏の撮影ですね。加太以外にもありますね。列車番号が記入されており1965年の8月15日は221レ森宮野原16時12分を撮られており越後鹿渡で泊まられたのでしょうか。翌16日は鹿渡6時29分の214レと9時29分の216レを発表されております。214レなど夏の朝で爽やかな空気が感じられます。17日は小国10時25分117レ、10時30分116レを撮られております。飯山線から米坂線は新津経由で入られたと思いますがさぁーどこでお泊りなったのでしょうか。

  2. 順特急様 早速にコメントありがとうございます。
    鹿渡館に泊まった記憶は思い出せません。が、前日から翌日までこの界隈に居たのですから、宿泊したのかもしれませんね。この辺でステーションホテルをしたメモが見当たりません。

    そして、16日夜は、米坂線玉川口駅に泊まりました。17日朝5時45分の111レを撮影しています。
    水の美味しい所で、朝飯の炊き上がりが美味でした。

    17日の夜は陸羽東線・中山平駅でステホでした。自炊の夕食前に、駅長が官舎の風呂に入れてくれました。

    そんなこんなの、旅館・ホテル以外の野宿に近いに気ままな旅をもう一度してみたいものです。夏が来れば、今でも胸騒ぎがします。そして思い出します。山紫水明、深山幽谷。白雲千切れ雲。一方、視界を遮る黒煙とその臭い、シンダーの微粒子が目に刺さる、カタカタといつまでも響くレール音。やがて辺りは再び静寂。今度は一抹の風が肌を撫ぜ耳傍を通り過ぎる。
    年寄りの回顧話でした。

  3. tsurukame様
    ここ数日は、京都もすっかり涼しくなりましたが、真夏の暑~いカラーを堪能しました。飯山線は、まず鹿渡~田沢間の信濃川鉄橋に惹かれました。ここは例の鹿渡館からも近く、容易に河原まで降りられて、好適地でしたね。豪雪地帯の森宮野原も、夏はこんな感じなんですね。米坂線は、混合列車だったんですね。最後の写真には、タキが連結されているのが珍しいと思います。何か、定期的に沿線の石油貯蔵庫に配給されるのでしょうか。
    最後にお書きように、野宿に近い気ままな旅をもう一度したいとのお言葉、全く同感です。もうこんな齢になると、よけい困難だけに、その思いが強くなります。

  4. tsurukame様
    また、お邪魔します。総本家さんも同じ気持ちではないかと思いますが、tsurukameさんの山紫水明、深山幽谷、白雲千切れ雲、視界を遮る黒煙とその匂い(臭い)(以下略)。C56は煙をあげずに下っているような感じですが、昭和40年頃の朝の空気を感じます。お住まいの近くの須磨の海岸も白砂青松であったことと思います。

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