私と同じ終戦時期に生まれたD52で戦時設計とか戦時スタイルとか呼ばれていた。この時期は資材がなく劣悪な環境で生まれたが、C11の角形ドーム共々昭和40年ごろまでは見られた。EF13という電気機関車も同じように戦時スタイルの凸型であったがこちらは見たことがない。いずれにしても粗悪な機関車であったと思うが、その後標準改造され幹線の大型貨物用機関車として君臨した。山科の人間国宝が最も好きな蒸気機関車として挙げられていたのがこの機関車である。先日、大宮(京都でなく埼玉の大宮)でお会いした時にデジ青を御覧になられているかを訪ねましところ「見てない」とのことでした。
1963.3.27 下関で見た上り貨物を牽引するD52460[柳井]↓
1964.4.1 小郡区にいた給水過熱器が煙突前にないD52126[小郡]↓
準特急様
いゃ~、すごい写真を撮っておられるのですね。給水温め器が煙突前に無いD52126もさることながら、下関で撮られたD52460は、木製デフではないですか! 指マークで拡大して見ても、木をつないでアングルで止めたデフにしか見えません。
木製デフは資材不足の終戦直後にあったことは耳学問で知っていますが、まさか高度成長期に入ろうとする昭和38年にまだあったとは、私にとっては衝撃でした。
背後の下関大丸も懐かしいです。
当時の山陽本線の貨物はD52の独壇場で岡山、糸崎、広島、柳井、小郡と補機用として瀬野にも配置さていました。糸崎あたりまで電化しても貨物用電機が間に合わなかったのか岡山のD52も走っていましたし、広島電化後に一部ですが本線経由でC62が旅客列車を牽引していました。広島以西はDCを除けばC59、C62の旅客列車とD52の貨物ばかりでした。しかし、うんざりすることは全くありませんでした。こういう風景を東海道本線でも日常茶飯事に見られたり撮られたりした山科の人間国宝を始め先輩方は羨ましき限りです。D52の改造の過程はよくわかりませんが、デフなどは木製をはずして鋼製の簡易なものを付けたものもいたようです。
準特急さま
D52460のデフを木製と言ってしまいましたが、昭和30年代後半に、いくら何でも…と半信半疑になり、調べてみますと、外観は木製デフに酷似しているのですが、やはり鋼製デフで、縁取りをしたものと分かりました。戦後製の粗悪D52は、“準改装車”として、デフや炭庫の木部は鋼製に改められますが、D52460のみは、縁取り付きの角型デフという戦時中を思わせる姿に改造されています。
以上、訂正いたしますとともに、貴重なD52を撮られた準特急さんに改めて敬意を表する次第です。