かつて同志社大学のラグビーが大学日本一になった時代がありました。それも三年連続で。
その時、指揮を執っていた監督が伊藤 武君です。中学からの付き合いは亡くなるその日まで続いていましたが、突然の悲報で断ち切られました。同志社高校の学年同窓会長を永年続けてくれて、10月7日に18回目の総会を開く直前での退場となったのです。19日の午後、打ち合わせのため二度電話しましたが出ないので翌20日昼にもう一度掛けても出ないため不安になり(永年糖尿病を患っていた)夜、主治医の同級生に電話したところ「いま奥さんから電話で、帰宅したら死んでいた、との電話があり今から行くところ」とのことでした。検視の結果死亡時刻は私が電話した20日の昼頃だったようです。
毎週のように高島屋に車を置いて私の近くの喫茶店まで歩いてきてコーヒーを飲むのが彼の糖尿病療法でしたがそれもできなくなりました。「ブル」の愛称で同級生みんなに愛された60年でした。
DRFCに関係のない話で誠に申し訳ありませんが、聞いて頂きたくて投稿いたしました。お許し下さい。
ブルの死亡記事20170922
米手作市様
そんな偉人の話を、お恥ずかしい事に小生は全く知りませんでした。(反省!)
中学生になった頃から小生は見る方も、やる方も運動&スポーツからはだんだん遠ざかり、カツテの阪神タイガース気違いも『運動音痴』に片足を突っ込んでいました。
デジ青ファンだったおかげで知り得た話に感動しています。
同時に我が身に照らして、没後も語って貰える人間になれれば、と自己反省する事しきりです。
河 昭一郎様、
恐れ入ります。わがままをお許し下さったことに感謝致します。
私には”鉄道”という人生の友達がいますが、彼にはラグビー以外の趣味はありませんでした。栄光が過去の物になるにつれて交友関係は狭くなり、同級生だけが思い出を共有出来る唯一の場所になっていました。夕べ、主治医と話しましたが、彼にはいい一生だったのだろう、と思っています。
お付き合い下さって感謝致します。
米手作市様
大切なご友人のご逝去、そしてその方がラグビー部の監督をなさっておられたのですね。ご冥福をお祈りするばかりです」。大切なご友人を失われる寂しさ、無情さ・・・想像に余りあります。
最近は、過去の栄光を知るものにとっては、歯がゆい思いをしておりましたが、米手様のご友人にはラグビー部の偉い方がおられたのですね。
最近では平尾さんが若くして亡くなられ残念な思いをしておりましたが・・・
学生時代の思い出を。2回生の体育は確か軟式野球、土曜の2講時御所のグランド、指導はあのラグビー部の監督の岡 仁詩先生でした。良かったのは、雨の日、新町の校舎でラグビーの話、ニュージーランド遠征の話とか、日頃聞けない話を一杯、今でも思い出します。
また、脱線してしまいました。
糖尿は怖いですね。生活習慣を見直し、飲み過ぎ、食べ過ぎに注意して参りましょう。ストレスが一番アカンみたいですけど・・・健康第一!
平尾氏も大八木氏も林氏も彼の時代に入部したのです。その力で三連覇が可能になったと言っていました。その平尾氏が先に行って彼を迎えてくれると思っています。
米手作市 様
同志社ラグビーのニュースにお礼を述べます。私は約20年近く千葉県に移り住んでおりました。ですから、正月には毎年、娘も連れて寒い国立へ出かけたものです。大学日本一でも、どうしても釜石には勝てませんでしたね。ある時など、開始早々釜石の松尾選手一人にゴールされ、何がなんだか判らぬままに敗戦!とういうような事もありました。
そう云えば、Doshisya Unoversity RUGGBY FOOTBALL CLUB や、
Doshisya RUGGBY FOOTBALL Fun Club も、略称がDRFCでした。
仰るとおりでした。いつも秋から冬にかけてブルこと伊藤君との会話は「今年はどうや?」です。なかなか「今年はイケルで!」とは言いません。国立まで行ける!との話は結局出ずじまいでした。
いま、通夜から帰ってきたばかりです。トップで行きましたので出てきたらすごい列ができていて驚きました。大八木さんの顔も見えました。彼も喜んでいたことでしょう。合掌