富士山と鉄道(特別編)

「富士山と鉄道」につきましてはtsurukame様より御殿場線の蒸機機関車D52時代の写真を投稿いただきました。その後私の古くからの友人であるSさんより小海線と川越線の写真があるとの連絡がありお願いしました。Sさんはタイ、三道嶺にはぶんしゅう旅日記さんと行動を共にされ、先日は神足(長岡京)で共に飲んだとも聞いております。また、デジ青に時々コメントを投稿されている村樫四郎様からは御殿場線に加えて中央線の未電化時代の作品をいただきました。今回は特別編として両名の貴重な記録を発表させていただきます。

まず、Sさんからの小海線と富士山の写真です。私の不確かな情報を確かに証明していただきました。1972.4.1小海線甲斐小泉~甲斐大泉↓

s-PICT1087-2 昭和47年4月1日甲斐小泉~甲斐大泉

1972.9.1 小海線小淵沢~甲斐小泉 高原には早くもススキが見られる↓

s-PICT1092 昭和47年9月19日 小淵沢~甲斐小泉

1965.3.5 川越線 指扇~南古谷 珍しく雪の降った日のキューロクの旅客列車 富士山は左にあるはずですが厳しい↓

s-PICT1081 昭和44年3月5日指扇~南古谷

村樫さんの電化前の御殿場線と中央線です。

1962.3 御殿場線国府津~下曽我 C11バック運転の貨物列車↓

s-23 C11 国府津/下曽我

1962.3 国府津~下曽我 D52403牽引の916列車↓

s-14 D52403 下曽我/国府津_edited-1

1961.12 中央線小淵沢~信濃境 D51321牽引貨物列車↓

s-10 D51321 小淵沢/信濃境

1961.12 中央線小淵沢~信濃境 DF506牽引準急「穂高1号」 新鋭のDF50は優等列車を中心に運用されていたようです↓

s-17 DF506

 

 

富士山と鉄道(特別編)」への2件のフィードバック

  1. 老人が富士見駅から20分のバンガロ-で3日過ごしたのは25年ばかり前で、ご投稿いただいた写真よりずっと新しい時期になる。3日目、タクシーで清里に行こうと提案、連れ合いと子供たちも賛成してくれた。コースは全通一歩前の八ヶ岳高原道路で、蓼科山裾野から野辺山への周回道路である。途中、小渕沢から山手への地に広大なテニスコートが広がっており、運転手の解説ではテニススクールだと知らされた。そのあたりからの富士山が素晴らしかった。今回ご投稿いただいた写真では小渕沢-甲斐小泉間に当たる。清里は張りぼて店舗街となっており、早々に小渕沢に下りた。野辺山には1992年、旦那の帰郷記念として、DRFCは約30人が集まった。風呂屋の罐を代用とした蒸気機関車を運転したり、小型ELでたのしんだ事を覚えている。今度は近鉄の特急電車で鳥羽への旅だ。所定人数集まりましたか?

  2. 乙訓の老人様
    5日間ほど旅に出ておりまして失礼しました。各駅の駅貼りポスターは世界遺産登録により富士山の連貼りが多く見られました。加熱し過ぎないことを祈ります。
    鉄道風景として中央線や小海線からも富士山がよく見えることがわかりますが、逆光気味なため撮影も難しいようです。ただ上手く行くと見事な山容がシルエットとなりそれが蒸機であると私としては申し分ありません。時代が変われど山の姿は変わりませんので機会があればまたチャレンジしたいと思います。1992年も今から20年以上前になりますが、野辺山会合も末席を汚させていただきました。台湾の蒸機と小型のスイスの電機が走っていたような記憶があります。

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