ミニ新幹線「つばさ」、「こまち」(2)

庭坂を出てしばらくすると板谷峠に向かう勾配区間に入り列車は大きく右にカーブする。ここで福島から出発して直ぐのミニ新幹線区間に入った列車をとらえることができる。2013年11月11日大築堤を行く東京発の1番列車新庄行き「つばさ121号」がE3系7連で現れる。▼

上記「つばさ121号」と同じ地点で撮った事業用交流電車クモヤ743-1でこの日の目的の一つであった。この車両は国鉄時代に製造されたクモヤ143-3が種車でその後いろいろと変遷し山形へ転入してきた。冬期の架線霜取りや秋期の落ち葉掃き等に使用され2014年11月に廃車された。2013.11.11 庭坂-赤岩間 (赤岩駅は2016年12月以降全列車通過で2021年3月に廃止)▼

いよいよ本番板谷峠。この決死的(?)撮影もクモハ73106東ウラさんの運転で樹木の生い茂る獣道を通っての撮影でその道の人が既に発見していたのかもしれないが車窓から見ても一般の新幹線では味わえない風景である。E3系の「つばさ131号」新庄行きがゆっくりと登って行くのが見える。▼

2017.1.29  雪の米沢駅に停車する山形発「つばさ号132号」東京行き。新幹線の駅とは異なる普通の在来線の駅そのもののムードである。▼

2016.2.2  もう少し積雪の少なかった日の同じ米沢駅の「つばさ141号」新庄行き。跨線橋の下に停車する新幹線も何か奇妙に感じる。米沢は米沢牛が名産であるが藩の行政改革で名を成した上杉鷹山でも有名。山本八重も京都へ行く前に会津から米沢に移っていたことがある。▼

2017.1.29 赤湯-高畠間の 雪原を行くE3系「つばさ138号」山形発東京行き。高畠は1991年までは糠ノ目と称し1974年まで山形交通高畠線があった。当会でも地方私鉄の好きな方が通われたのではないか。▼

2017.6.30 羽前中山-かみのやま温泉間 E3系山形行き「つばさ135号」 曇天の1日であったがこのような写真もミニ新幹線区間でないと撮れない▼

2014.9.28 赤湯-高畠間の稲刈りの終わった田圃をE3系7連山形発東京行き「つばさ146号」が旧塗装で通過して行く。▼

2011.9.7 ミニ新幹線区間はたまに踏切がある。これは袖崎-大石田間赤石踏切(福島から122K279M)を通過する「つばさ247号」新庄行き後追いである。▼

2014年7月から2022年3月まで「トレイユつばさ」というE3系を改造した足湯と畳とバーが売り物の観光列車ができて週末を中心にミニ新幹線区間(福島-新庄)を走っていた。時間帯的に日帰りでは撮れる機会が少なかったがこれは高畠を出発した新庄行きの列車の後追いで「トレイユつばさ」はこれ1回きりの撮影であった。▼

次に在来線の広軌化(1067ミリ→1435ミリ)された交流電車のミニ新幹線区間を行く普通列車を1~2枚取り上げてみた。C57やDF50が居た頃のこの辺りに来たことは全くなく従って記録した写真はない。2011.9.7大石田-袖崎間 1440M新庄発山形行きクハ718-5002▼

同じくミニ新幹線区間を行く普通列車で東北・奥羽一帯や第3セクター化された青い森鉄道などに使用されているE701系の広軌化された車両である。E701系はロングシートと角張った冷たいスタイルや短い編成で混み合うことがあり嫌われ者のようである。皆さんはどうお感じかな。大石田-袖崎間1436M新庄発山形行きクハ700-5507▼

山形新幹線は最初は400系が投入されていたが、東海道新幹線の0系、100系の時代と同様新幹線そのものに興味がなかったので撮っていなかった。残念であるがもしもお撮りになった方がおられたら発表願いたい。E3系の独壇場であった山形新幹線もE8形が登場してきた。まだろくな写真はないがこれはE5系と連結した写真である。2024.10.6郡山 E5系仙台発「やまびこ144号」+E8系新庄発「つばさ144号」▼

スピードは遅くなるミニ新幹線であるが、場所を探せば本線では撮ることが難しい編成写真やカバーがかかっているが足回りの見える写真も十分可能である。次回は秋田新幹線「こまち」である。

 

 

ミニ新幹線「つばさ」、「こまち」(2)」への8件のフィードバック

  1. 不気味な獣道(林道)で撮影したのは、はやいもので11年になるのですね。
    板谷峠は、1968年9月22日に、直流→交流化されたようです。
    私が、EF16牽引の「つばさ」を撮影したのは、EF64が少しずつ入り始めた1965年8月でした。
    下り「つばさ」、峠~大沢にて。

    • クモハ73106東ウラ様
      貴重な写真を有難うございます。撮影時は中学生でしたか高校生でしたか?私の知る範囲では板谷峠のEF16を撮った人はお目にかかったことがありません。

  2. マニアックな投稿に脱帽しながら、22年前の2002年夏休暇で訪れた米沢駅の在来線感あふれるワンシーンです。
    この緩い空気のホームから東京行きの超特急が出て行くシーン、好きだなあと思いました。
    撮影後は手前側のホームにいる米坂線のキハ52に乗り旅を続けていますが、ひょいと飛び越えたら東京まで行けそうな脱走感が鉄道の背徳な誘惑にも思えます。

    • K.H.生様
      高尚なコメント有難うございます。米坂線は昔、キューロクが客貨両用で使われていましたが、その頃も過疎を感じてました。今は豪雨で復旧の目途が立たずこのままアウトでしょう。

  3. 在来線の駅そのもののムードの中、入線してくる車両、平地を行く心地よいスピード感、景色を見る目線の高さ、静かな走行音。新幹線のようで新幹線じゃない。20年余り前に何回か乗車したドイツICEを思い出させてくれる大好きな山形新幹線です。

    • 高田幸男様
      これはこれはお久し振りのコメント有難うございます。フランクフルトやジュネーヴ等飛行機を降りたらすぐに空港駅から乗車したヨーロッパの列車の乗り心地の良さを指摘されてたことを思い出します。車体構造や路盤のよさにもよると思いますが本当に乗り心地が良くて快適でした。スイスのヴァッセンの大カーブと庭坂から赤岩にかけての大カーブは似ていないでしょうか。私のこじつけかな。福島には窓に花が一杯の家は見当たらないし単線と複線の違いあるいは花笠音頭(山形)とエーデルワイスの歌(オーストリア)の違いもありますが車両はそれほど差がないような気もします。山形新幹線に興味を持っていただき嬉しく思います。

  4. 準特急様
    奥羽本線の「つばさ」、楽しませていただきました。実に精力的に撮っておられること、改めて感心しました。新幹線も、西の方はカラーに変化がありませんが、東は楽しめますね。ただ、私は、山形新幹線だけは乗ったことがなく、在来線でも夜行で通ったぐらいで、昼間に板谷峠を越えたことがありません。準特急さんの高校の後輩で、廃線跡で有名な編集長が、板谷峠の廃線跡調査に一人で出掛けられ、人跡未踏の橋脚跡にたどり着いた時、滑落したそうで、這う這うの体で戻って来たと、生前に聞きました。普段でもかなり危険な取材をされている方ですから、九死に一生の怖い経験をされたと思います。
    余談が続きますが、赤湯~高畠の雪原の「つばさ」、これと全く同じ構図で、C57客レを山科の人間国宝が撮られていました。駅間は違うかも知れませんが、奥羽本線であることはたしかです。時代は変わっても、達人の構図は、変わらないものと思いました。

    • 総本家さんありがとうございます。私も奥羽本線福島−新庄間ノ昼間通過の経験はありません。ただ佐竹さんのC51や茶色のDF50の列車写真を見ますとそういう時代に触れたかったと思います。JTBの後輩も冒険家だったのですね。

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