追憶の旅(その1)

初めて青春18キップを使った旅に出ました。普通列車だけで どこをどのように巡ろうかと思案しましたが まずは地元からということで 三原を起点に福山から福塩線、芸備線、木次線、山陰線、一畑電車、山陰線、山口線、山陽線、岩徳線、錦川鉄道と巡り、三原に戻るプランを立てました。勿論夜行列車などは無いので ビジネスホテルや民宿で3泊4日の旅です。初めて訪れる岩徳線や錦川鉄道もありますが、その他の線区は40年前に旅した思い出の鉄路であり、40年前を想いおこす旅となりました。そんななかで特に写真で対比できるポイントを中心にご紹介します。まずは 芸備線備後落合駅のスナップから。

No.4790 米手作市さんの「こんなんあるでぇ」を開いて ご覧ください。昭和39年2月の風景です。ハチロクとC58の重連貨物のスナップです。私が初めて備後落合を訪ねたのは昭和47年3月で 山陰旅行の途中で立ち寄ったというか、夜行のちどりで深夜 備後西条で折り返すところ 寝入ってしまって備後西条を過ぎ 仕方なく広島まで行って また引き返してきた時です。貨物列車はDE10になっていましたが、バラエティに富んだ貨車たちが活躍していた時代でした。

 

当時の車両配置表によると広島機関区には 写真のDE101075をはじめ32両ものDE10が配置され、芸備線や各駅の入れ替えに活躍していたようです。気動車は芸備線管理所のキハ20のようです。米手作市さんが手にされた二段重ねの幕の内弁当があったかどうかは定かではありませんが、山間の小駅ながら乗り換え客や駅員も多く、詰所の煙突からは煙が上がり 人の気配が感じられ 活気のある乗り換え駅でした。

さて今回の旅では 木次線を通り抜けるには 臨時列車の奥出雲おろち号を使わざるを得ず、幸い指定席券510円を足せば青春18きっぷでも乗れるので 出雲坂根のスイッチバックをトロッコ列車で堪能しました。この列車には以前にも乗っているのであくせくせず、ゆったりとした時間を楽しむことができました。下の写真は スハフ13801の車窓から、三次から乗ってきたキハ120320を見たひとこまです。駅構内には 詰所や駐泊所の庫など当時の面影を残すものは何もなく かつての賑わいがウソのようでした。

木次では保存されているはずのC56108を見ようと雲南市役所を訪ねました。

確かに保存されてはいましたが、雨ざらしで相当痛んでいました。説明看板には 木次機関区のOBが手入れしているとありましたが、高齢のOBにたよるような保存なら 一考を要するのではと感じた次第です。

では次回は一畑電車をご紹介します。

3 thoughts on “追憶の旅(その1)

  1.  西村雅幸様
     レイルNo.79表紙カラー写真(茶内の浜中町営軌道)他に登場おめでとうございます。当時はSLブームに煽られて軽便や簡易軌道にまで手がまわりませんでした。 さて、芸備線方向は一度も乗ったことがなく、僅かに広島でC62やC59に混じって三次機関区所属のC58を見たことがあるくらいです。木次線も昭和39年に宍道から木次に入っただけです。木次ではキハ03、キハ07、C11、C56を撮影していますが、雲南市に保存されているC56108も現役中の姿を撮っていました。ところで雲南市なんて言われるとどこにあるのかさっぱりわかりません。中国のベトナムに近い所かなと思ってしまいました。多分行財政改革の一環でできた新しい市なのでしょう。小淵沢が山梨県北杜市と出ていてビックリしたことがあります。今後の今昔対比写真期待しています。

  2. 準特急様
    コメントありがとうございます。そう、キハ03,07がいたのですネ。今でこそキハ120などの新鋭気動車は加速もよく 勾配も苦にしない感じですが、03や07はあの勾配区間をウンウンうなりながら登っていたのでしょうネ。あるいは02は宇和島線、07は明知線など勾配区間に配置されていたことを考えるとそれほど苦ではなかったのか? 一度は乗ってみたかったです。C56を保存するより キハ03を後世に残す方が価値があったのではと思います。

  3. 西村雅幸様
    心配になってネガを見たらキハ03でなくキハ02でした。キハ023とキハ0728でした。いい加減な男で申し訳ございません。訂正してお詫び申し上げ再び蟄居致したいと思いますが、興味ある報告が続くのでまた、ちょっかいを出します。

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