追憶の旅(その2)

旅の初日の泊りは 一畑電車の車庫のある雲州平田のビジネスホテルにしていたので、木次線をあとに松江に向かった。松江駅は高架になっていて 昔の面影はない。宍道湖大橋北詰の末次公園内にある筈のC56131を撮ろうと行ってみたが、どこにも見当たらず、雨も降り出し、暗くなってきたのでC56探しはやめて、一畑の松江しんじ湖温泉駅に向かう。一畑の駅もすっかり変貌していて驚く。

バスが停まっているのが駅正面

京王5000系の生まれ変わりの2100系に揺られて 宍道湖北岸を雲州平田に向かう。途中 一畑口ではスイッチバックとなる。昭和48年12月(あるいは49年1月)に訪れたときには ここ一畑口で下車してバスで廃線跡を一畑まで往復したのを思い出す。

スイッチバックの一畑口駅終端

昭和19年12月10日に営業休止した一畑駅。昭和20年8月に廃止区間3.3Kmのレールは名古屋鉄道に送られたが 発送1週間後に終戦となった。一畑駅の駅舎はしっかり残っていた。

平田のホテルを早朝に出発。平田には車庫があり、以前訪れたときにはED22が健在だったし、多くの貨車も留置されていた。

 

 洗車機が新しい他は変化少

始発電車で川跡へ向かう。川跡は出雲市行きと出雲大社前行きの分岐駅である。

左から 川跡と出雲大社前を往復している3015+3005、中央は松江から来た特急出雲市行き 旧京王の5000系4連、右は松江行きの3018+3008、 丸いヘッドマークは「しんじ湖ラムサール号」。線路配置は昔のままで、左手にあった貨物ホームがなくなっている程度。ちなみに3000系は旧南海ズームカー。乗り換えのための踏切には遮断機、警報機がなく 駅員がトラロープを張る光景には驚いた。発車しようとしている特急の前を ゆっくりと乗客が渡ってゆくのも のんびりした光景だった。全線にわたって架線柱は今も一畑軽便鉄道時代の14Kgレールを3本組み合わせたものが使われており 歴史を感じさせる。

 この日は遠足の小学生で賑う

大社線の途中 高浜駅付近のさとがた保育園にデハ3とデハ6が保存されているので 保育園を訪ねる。声をかけて園内に入ったが、電車を見に来る人が多いのか どうぞどうぞという感じ。

今はなくなってしまった「急行」の看板がなつかしい。雨ざらしはかわいそうだが よく手入れされている。

出雲大社前駅に進入する3000系

出雲大社前駅(以前は大社神門駅だった)も殆ど変っていない。上の写真では 右手の側線が機回し線のような配線になっているが今は単純な配線になっている。映画で一躍有名になって 日本最古の電車をウリにしているデハニ52が留置され、社内見学(但し 駅入場券か乗車券が必要)ができるようになっている。平田車庫にもデハニ53が動態保存され 平田駅構内の専用線を体験乗車できるようになっていて、デハニ50は今の一畑にとっては目玉商品になっている。有人駅では記念入場券やキーホルダーをはじめ いろいろなグッズが売られていたり、毎日全線で自転車持ち込み可(300円)だったり イベント電車を走らせたりと集客、売上増への涙ぐましい経営が見て取れる。山陰唯一の私鉄として頑張ってほしいと思いながら 一畑の旅を終えた。

次回は錦川鉄道をご紹介します。

追憶の旅(その2)」への2件のフィードバック

  1. 一畑は京王、南海の集まりで両社は全く縁の無い電鉄ですが、人から聞いた話ですが、かつて東京での南海ホークスの輸送を京王のバスが請け負っていたとか聞いたことがあります。西村さんの写真を見ると京王、南海が3本並んでいたりして線路配置を含め興味深いものがあります。総本家さんからも馬鹿の一つ覚えの様に駅間の自然風景だけを求めるのではなく、もう少し、駅の雰囲気等にも気を配って撮ってはどうかとアドバイスをいただいたことがあります。明後日は西村さんのもと居た高崎方面に行ってきます。

  2. 準特急さま
    コメントありがとうございます。高崎方面はC61の復活で賑やかなのでしょうネ。貴殿と伊勢崎の華蔵寺へC61を見に行きましたネ。あのC6120は三原生まれなので親しみがあるのですが まさか復活して雄姿を見せてくれるとは思いませんでした。猛暑のなか 熱中症にはくれぐれもご注意を!!

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