追憶の旅(その3)

早朝から一畑電車で昔をなつかしんだあとは 出雲市から一路益田へ乗り鉄である。当初 乗ったことがない美祢線で厚狭に出ようと計画したところ、現在美祢線は全線バス代行ということで やむなく山口線で瀬戸内へ出ることにしたので まずは益田へ向かう。かつて 夜行の鈍行や急行さんべで石見路に入り C57,D51、DF50を追いかけたなつかしい路線である。当時はDCもあったがまだまだ客レも残っていて 客車の窓から日本海の風景を堪能したものだった。今回はキハ126なる軽快なDC,それも快速アクアライナーと称して 浜田まではかつての急行か準急並みの韋駄天ぶりである。海側の席に陣取って この駅間を歩いたナアと思い出にひたる。唯一 昔と景色が一変してしまっていたのは岡見の三保三隅寄りで 中国電力三隅火力発電所ができて 海岸線を走っていた線路はショートカットのトンネルになってしまったのである。石見路の線路は水面からかなり高い位置を走っているのに 岡見のあたりはめずらしく浜辺を走っていたので ここが気に入って多くの写真を撮ったのだが 埋め立てられて発電所の敷地と化していた。中国電力管内はこの三隅発電所のおかげで 関西電力に融通できるほどの発電能力があって 停電の心配もなく安気に暮らせているので文句は言えないのですが、「今は山中、今は浜・・・」という原風景が損なわれてゆくことについては どうも抵抗があるのは私だけでしょうか・・・・。そう言えば 海岸線に立ち並ぶ風力発電機群も どうもなじめない・・・。

昭和47年3月29日 1896レ D511091     冷蔵車が必ず数両入っていた     (退色、変色が進んでいます) 

 

益田からは山口線で一気に新山口まで行き、防府に降り立つ。 泊りを防府にしたのは 防石鉄道の保存車両を見るためである。防府駅の少し西の高架下に小公園があって 2号機、ハ6、ハニフ1が保存されていた。かつては宮市駅にあったのが 今は防府駅近くに移されて メンテもまずまずの状態である。石碑によれば防石鉄道OB会が保存活動をされている由。ハ、ハニフとも車体に車番の標記がないので違和感を感じるが、こうして手を加えられて保存されているのは 結構なことである。

 

錦川鉄道に行き着くまえに 今回はここまでとします。 アアしんど。                       

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