久しぶりに見るC57と関連写真

本来は『「カシオペア紀行」を追いかけて』としたいところであるが、高齢者ファンなので「懐かしいC57を見る」という回顧録的懐メロ的な題とした。歳をとったことを自覚する題で今年最後の投稿とした。

2024年11月30日初電を乗り継いで8時過ぎに新潟駅に降り立った。今回も駅撮影よりも走行撮影がお好きなクモハ73106東ウラさんの運転するレンタカーでEF8195の牽引する「カシオペア紀行」とその折り返し回送を撮影することが主目的で台湾のお好きな千住のヤスベイさん(ぶんしゅう旅日記によく登場する芸名)とデカンショまつりさん号さんの4人で行った時の記録である。

集合場所は新津駅で「ばんえつ物語号」の牽引機C57180を見るのが最初の撮影目的で、日本海側特有の雨混じりの天気であったがどういうわけかこの時間に少しだけ晴れてくれた。この後ろ姿はかつて京都、園部、東和歌山(現和歌山)、亀山、福知山、米子、出雲市等々で客車と連結する際に見られた風景で電機からバトンタッチする時などはワクワックして眺めた後ろ姿である。▼

次に磐越西線の五十島駅に向かった。雨あがりのぬかるんだ道路を行くと既に車を使った大勢いの同業者で一杯であった。有名人も散見され絡まれないように空き空間を探して撮影する。曇天であるが寒い曇空なら煙はよく上がるだろうという負け惜しみを信じて撮った会津若松行き「ばんえつ物語号」C57180[新津]である。ヘッドマークは別として現役時代と変わらぬ姿である。▼

C57180は1946(昭和21)年に三菱重工三原で製造(製造番号513)され新潟地区で活躍して1969(昭和44)年に廃車された。その後新津市内の小学校に保存されていたものを1999(平成11)年に復元し、主に「SLばんえつ物語号」として運転されている。

1969(昭和44)年9月23日新津区の転車台の乘る同機。▼

C57180が門鉄デフを装備した時の姿がある。2009(平成21)年2月13₋15日に京葉線・内房線千葉みなと-木更津間で運転された「SL春さきどり号」で2月14日の千葉みなと駅の超満員の観衆に囲まれた姿である。九州ではお馴染みであった門鉄式デフレクターであるがスノープローが付いていた。▼

羽越本線の蒸気機関車は他にC571とD51498が動態保存機に選定されている。C571は1937(昭和12)年川崎車輛で製造(製造番号1769)され水戸、宇都宮、千葉等関東地区で活躍後1954(昭和29)年に新津に配属された。1961(昭和36)年には羽越本線村上―間島間で急行「日本海号」を牽引中に土砂崩壊の現場に突入し大破したが、トップナンバーであったことが幸いしたのか復旧された。1972(昭和47)年3月14日321列車秋田行きが最後の運行となったが、同年5月新津-村上間でお召し列車に指定された。

日本海沿いの名勝桑川-今川間を行くトップナンバーC571[新津]牽引直江津発秋田行き821列車▼

C571は1972年9月25日には故郷である佐倉に貸与され9月30日と10月1日に千葉鉄道管内で鉄道100年記念列車[なつかしのSL列車号」に使用された。1972(昭和47)年10月1日成田線久住付近のC571牽引鉄道100周年記念列車▼

同日総武本線倉橋-飯岡間を行くC571牽引の鉄道100周年記念列車▼

故郷千葉を後にしてC571は梅小路に向かい10月10日梅小路蒸気機関車館(現京都鉄道博物館)に他の保存機とともに並ぶことになった。また、1976(昭和51)年9月4日には「京阪100年記念号」としてイベント運転中痛ましい事故が起こっている。C571と言えば大きな集煙装置を付けた山口線の「SL山口号」が有名で長年同線で活躍してきたが引退が近いと言われている、個人的には山口線はD60時代しか知らない。

羽越本線新津機関区所属のもう一つの動態保存機にD51498があった。現在はC6120とともに高崎付近で活躍中である。写真は1969(昭和44年)10月10日鼠ケ関駅の新津発839列車秋田行き牽引中の姿で煙突上のクルクルパーがないとよい。▼

ここで本題は「カシオペア紀行を追って」であったが4人で撮影した日は北日本特有の季節風が吹き撮影に苦しんだがどこも車利用の同業社で一杯であった。そのような中で雲の切れ間から太陽が僅かに差した羽越本線桂根-新屋間のEF8195牽引9111列車秋田行きである。単線片ポールだが逆光である▼。

カシオペア紀行の上り回送9822列車も追いかけたが沿線の名峰鳥海山もご覧の通りで最後のショットでは頂上が僅かに見えたが冬の陽の落ちるのは早くお見せするような出来栄えでなかった。遊佐付近の上り回送9822列車。▼

以上で終わりであるが、紅葉鮮やかな叡電、須田寛氏の訃報、京都市電写真展の大盛況報告などがあり、投稿のタイミングとしては場違いと感じたが今年も残り僅かとなったためあえて投稿した。

 

 

 

久しぶりに見るC57と関連写真」への3件のフィードバック

  1. 準特急様
    初電で午前8時の新潟、と聞いただけで、今なお、衰えを知らない準特急さんの姿を想像してしまいます。C571、D51498の現役時代も添えていただき、保存機を対比することもできました。それにしても、C57とカシオペアが走るとあれば、凄い人出なのですね。クルマ利用の同業者がいかに多いかもわかりますが、一緒に行ける仲間があればこそです。
    西のテーマで、烏丸線などで勝手に盛り上がっていますが、物理的に参加が不可能な方もおられますので、一体感の醸成は難しいですが、これもデジ青の多様性と考えています。ご遠慮なされずに、どんどん東の話題も載せてください。

    • 総本家青信号特派員様
      地元を大切にするのはいいことだとえらそうなことを言いましたが、紅葉や雪化粧の叡電など思い立ったらすぐ行けてまたそれを実行されている姿に本当に頭が下がります。それに比べて皆さんの興味がない関東の私鉄沿線に住んでいますから投稿は遠慮しておりその分出番が少ないのは事実です。今回の「懐かしのC57」はいつも運転していただきお世話になっているクモハ73106東ウラさんから「カシオペア紀行追いかけ」のお誘いがあり、よく存じ上げている方と共にC57もついでに撮影した記録です。誘いを受けるのは有難いことです。自主投稿なのでかってにC57180、1、D51498の新津出身の保存3トリオにも照準を合わせました。これなら年配の方も多少お付き合いしていただけるかなと思いました。カシオペアはいつも綿密な計画をお立てになるクモハ73東ウラさんの指導のもと上下10回近くの撮影ができました。初電は4時45分に乗りました。クモハ73さんとは酒が飲めないことと私の足が遅いことでいつもご迷惑をかけておりますが、走行写真が好きな所は意見が合います。しかし、ぬかるんだ坂道を使っての俯瞰はダメになりました。

  2. C57180などのご寄稿を拝読いたしました。
    私は、C57180とD51498は、それぞれ新津駅、新津区で撮影しただけです。
    一方、C571は、1970年3月に小砂川で走りを撮るなど、何回か出会っております。昭和47年に佐倉区へ貸出という記載がありましたので、9月24日に新津から佐倉への貸し出し途上の田端での一休み後、EF80に牽引されて田端を出発する直前の写真をアップいたします。
    同機は、田端→金町→新小岩で24日は新小岩泊だったのではないかと思われます。なお、銚子往復後は、新津へは戻らず、梅小路入りしたという微かな記憶がありますが—-。
    (追伸)10月1日、飯岡では築堤反対側にいました。ニアミスでしたね。まだ、入社前の大学4年のときでした。

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