市電が走った街 京都を歩く 四条線①

祇園〈1〉  Gion

新春の「祇園」と言えば、八坂神社の初詣風景しかない。しかし四条線のあった昭和47(1972)年までの初詣風景はなく、やむを得ず、東山線時代の初詣風景で代用。

年が改まって、もう二週間。気を入れ直して、掲示板投稿に励み、日常の記憶を綴っていきます。さて、京都市電の四条・大宮・千本線が廃止されたのが、昭和47(1972)年1月23日で、まもなく廃止50年を迎えることになります。昨年末も、50年絡みの話題を採り上げ、それ以前にも、本欄で廃止後50年の伏見・稲荷線を特集したばかりと思っていたら、もうつぎの四条・千本・大宮線が控えているわけですね。やはり、50年前の昭和40年代は、激動が続いていたことの証だと思います。ことしも「50年前」から始めたいと思いますが、四条・千本・大宮線は、距離も長く、停留所も多くあって、一挙にとは行きません。まずは祇園~四条大宮の四条線として、「祇園」から始めて行くことにします。

「衹園」は、京都市電四条線と東山線がT字交差する停留場。昭和53年の京都市電全廃時まで「祇園」はあったが、今回は、昭和47年まで四条線が残っていた時代。写材の豊富さ、車両への興味の点においても、四条線時代でこそ京都市電の良さを味わえたものだった。

準特急さんが現役卒業の記念アルバムを作られた際に、「下宿生にとって、いちばん京都を感じたのは、市電の方向幕に書かれた“ぎおん”の文字だ」と書かれていたのを思い出します。“祇園”もさることながら、“ぎおん”は、なんとも京都らしい雅な響きに感じます。人それぞれに思い出が湧いて来る“ぎおん”だと思いますが、われわれの時代の当会においても、昼のBOXが室町今出川なら、夜のBOXが祇園(?)と言われるほど、コンパの会場、そのあとの石段下でのバンザイ会場として親しまれていました。

まずは、四条線の成り立ちから見て行きます。市電が走る前の明治期の四条通は、ごく狭い道路幅でした。明治40年、京都市は近代化のために、三大事業に着手します。第二疏水建設と発電事業の増強、疏水を利用した上水事業、主要道路の拡幅と市営電車の経営です。四条線は、市営電車の第一期線として、道路を拡幅し線路を敷設、明治45(1912)年6月に四条西洞院~四条小橋を開業、同年の大正元年12月に衹園まで延伸開業されました。

当初の停留場名は「衹園石段下」で、昭和20年ごろに「衹園」と改称されています。「ブラタモリ」でも祇園は採り上げられています。八坂神社の西楼門は、拡幅前の四条通りの突き当たりに建てられましたが、拡幅によって四条通のセンターが移動したため、拡幅後の真正面に位置するように北へ3メートル移設されたと伝えています。現に、「大正二年十一月、西門を改築なす」と石段横の石碑にも刻まれています。

四条通沿いのお茶屋は風紀上よろしくないと営業は禁止され、四条通に面していた一力茶屋も、門を花見小路通側の現在位置に移築したと言います。さらに八坂神社は、東山(山地)と京都盆地を区切っている断層崖の上に建っていて、祇園の石段は、聖なる八坂神社と、俗なる四条通を分ける結界と「ブラタモリ」では結論づけていました。過日、京都市歴史資料館であった「こんにちは京都市電展Ⅱ」でも、“道路拡幅にともない八坂神社西楼門と石段を後退”のタイトルで、「軌道認可申請書」明治44~大正2年」の青焼き図面が展示されていました。

拡幅前の四条通(明治44年「最新踏査京都新地図」) 「祇園」付近は、拡幅後のT字路ではなく、Y字路になっていたことが読み取れる。拡幅後の四条通(大正2年「京都市街全図」)四条通に市電が開通、また東山線も一部が開通していて、祇園付近はT字路線となった。左のタテの点線は京電木屋町線、まだ河原町通は拡幅されていない。  ※地図2点は日文研データベースから転載

廃止前に四条線を通っていた系統は、壬生車庫担当の1・20系統、九条車庫担当の7・17系統で、烏丸車庫、錦林車庫の系統は無かった。車両面では2000・2600形を除いて、当時の主要形式を見ることができた。なかでも、赤の1号系統は、市電最初の路線であり、京都のメイン道路、四条通を行く、文字どおりのファーストナンバーだった。

(「祇園」については、以前、鉄道友の会京都支部「車両基地」に記したことがありました。ここから編集・転載して、まず特集形式で「祇園」から始めることとします。)

 

 市電が走った街 京都を歩く 四条線①」への27件のフィードバック

  1. 誕生後1週間程して四条線・千本大宮線が廃止となっているので、自身が持つ市電の記憶以前の存在ですが、初めて赤色の系統番号を見た衝撃は大きかったことを昨日のように思い出します。
    その後は市電に興味・関心を持って、色々と調査・研究しているのはご存知のことですが、祇園交差点のポイント転換は、晩年は“電気転轍機”による自動転換でしたが、それ以前は“機械式転轍機”で、石段下のところに小屋があって、転換操作をしていたことを知りました。
    今では他の交差点もそうですが、その小屋の位置が分からず、ご存知の方のコメントを頂きたいところです。

    • 落研さま
      私が四条線の最後を撮っていた時に、落研さんが生まれたのですか、歳の差を感じるなぁ。私が生まれた時に置き換えると、蹴上線、梅津線が廃止・休止された頃に当たりますから、記憶以前の存在というのも理解できます。交差点の操作塔については、「レイル」の今号で、Mさんのエッセイで、四条河原町にあった塔について、記述されていますよ。

  2. 日本髪の女性が写る祇園石段下の写真は、新春にふさわしい風景ですね。壬生車庫の赤い系統板も、華やかさを添えるようです。
    四条線廃止から50年ですか、早いものですね。当時の私は中学生で、「ぎおん」は縁のない世界でした。小学生の頃、両親に連れられて八坂神社をお参りし、四条通を歩かされた記憶しかありません。南側にあった「不夜城」はシッカリ覚えているのですが‥‥。
    昭和47年1月22日は土曜日で、学校が終わると昼食もそこそこにカメラを持って飛び出しました。八坂神社の西楼門から、逆向になるのも構わず写していました。南角にあった「八百文」もいつの間にかなくなりましたが、趣のある建物でした。四条通から東大路へ曲がる17系統の1600形に、カメラを向ける女子高生が左隅に写っています。

    • 紫の1863さま
      祇園の思い出、ありがとうございます。赤い系統板は、ほんとに存在感があったと思います。四条線の時代は、まだ季節行事に合わせて市電を撮ることはなく、私も撮っていませんが、「1」の系統版に似合ったと思います。「八百文」は二階がフルーツパーラーになっていましたね。そこから見下ろす市電を写したかったのですが、叶いませんでした。

  3. 四条通りにはアーケードもなく、昔ながらの酒屋もありました。この頃好きだった888号が通りかかります。右手には京阪バスが見え、酒屋の店先には白い前掛けを着たおかみさんも写っています。

  4. 昭和47年1月22日、折返し「臨」の889です。
    最終日の割には、撮影者は少なかったと思います。

    • 藤本様
      クルマの光跡がきれいにカーブしていますね。東行きなのに尾灯を付けていると思ったら、「臨」の折返しの瞬間を狙われたのですね。四条線は一週間前に廃止日が告知されたため、ほかの線区の橋に比べて、格段に最終日の人出は少なかったですね。

    • いずれも懐かしい写真ですね。
      今日、ここを歩きましたがビルばかりです。ちょうど右に見切れていますが、白い建物(三条若狭屋)のさらに右に、新庄旗店と亀山蝋燭店(廃業)が並んでいて、阪神ファンが大喜びしていました。

    • これは高島屋辺りから西を見ているのでしょうか。
      中央に見える塔のような建物は寺町通り角のオクムラビルだと思います。京都一の繁華街で高い建物がほとんど無いのに驚きました。

      • 「四条河原町新京極」とは分かっていても、一瞬、どの方向を向いて撮られているのかと思いました。たしかに、中央の展望塔のようなものがあるオクムラビルは、四条線廃止時にも写っていました。当時でも格段に古い建物で、特徴ある外観とともに、ランドマークでした。

    • 上二点は同じ場所です。洋風の尖塔があるビルは銀行で、その手前にある切り妻屋根は「たち吉本店」。四条富小路です。昭和33、4年頃ではありませんか?

      • 田野城 喬様

        流石貴殿は「京都の主?」此の分だと、貴殿の前では悪い事は出来ませんネエ。(笑)
        当時の建物や場所などディープな解説、ありがとう御座います。

        小生の写真記録の整理は年齢と共に整理方法を変えてしまっており、①スチール、②ネガ、③データ記録帳、④果ては日記帳などマチマチですので、写真データが要る時にはイライラですが、もう「歳」で今更「再編」の意欲も無く…。

        探し当てた撮影データには「1962(昭和37)年2月1日、四条通り西京極付近」とあります。

        序に、もう1枚貼っておきます。

        • 河 昭一郎さん、
          貴重な写真をお持ちですね。
          私は毎日見ている光景でしたから写真は撮っていませんでした。抜かっていました!
          ところでこの写真は昭和37年ではあり得ません。山一証券ビルが建設中です。紫の1863さんが言われるとおり昭和33年では無いかと思います。場所は「西京極」ではなく、「新京極付近」です。正確には四条堺町付近です。

    • 貴重な写真を御披露くださり、ありがとうございます。
      大井證券は後の和光証券、ハイカラな洋館建ての銀行は旧村井銀行で、この頃は北海道拓殖銀行でしょうか。
      掘り出した土砂をダンプカーに積む、ホッパーがあったのですね。工事中は鉄板が敷かれ、隙間からのぞき込むと巨大な地下空間が見えて、怖い思いをしたものです。
      ③の写真に「市長選挙」の旗が写っていて、昭和37年ではないかと考えました。しかし、一年あまりで完成するとも思えず、昭和33年でしょうか?考え出したら夜も眠れません。

      • 紫の1863様

        私のズボラが原因で、投稿写真はデータ無しでしたが、アレコレご賢察頂いたお陰で、却ってお楽しみを「御提供できた?」かな…などと、自身にはアマイ小生の自画自賛?です。(笑)

        この写真の撮影は田野城 喬様への返信に記しました通りですが、共に4年の誤差がありますので、私自身も怪しくなって来ました!

        • 河 昭一郎さん、
          私の間違いかも知れません。
          写真を持って廻って時期を聞き取り調査して調べます。
          37年の2月撮影なら38年6月完成の可能性はあります。

  5. 河 昭一郎さん、
    分かりました!
    送っていただいた写真を拡大して見たところ、③に写っているトヨペットコロナの発売時期が1960年(昭和35年)でしたから、少なくとも33年はあり得ません。従って、メモされているのが昭和37年2月ならその可能性大です。紫の1863さんが言われたように38年6月の阪急河原町開業まで残り1年4ヶ月は短いようにも思えますが、掘削作業がほぼ終了していれば可能なのかも知れません。続いて傍証を探して参りますので今しばらくお待ちください。

  6. 河 昭一郎様
    米手 作一様
    調べれば調べるほど、色々なことわかって面白いですねえ。昭和30年代の京都が写った写真集や、京都市電の写真集を片っ端から広げてみると、「山一證券」は昭和32年時点では烏丸通りに近い場所にあったようです。これは知りませんでした。高倉と堺町の間に昔からあるものと、信じて疑いませんでした。
    昭和37年撮影という写真では、「藤井大丸」の前に大きな建設機械(アース・オーガというのでしょうか)があって、穴を掘っています。注目したのは市電の敷石で、「大井證券」前から寺町通りの東までは敷石があります。河様は敷石の撤去作業を撮影されたようで、少なくとも前掲の写真よりも後となります。
    阪急の公式記録や、山一證券の社史などを見れば、はっきりすると思うのですが、とりあえず参考まで。

  7. 米手作市様
    本(モト)より小生のデータ記録は、撮って直ぐメモに残す(車両番号の記録が必要な)場合以外は、後の現像時にネガフォルダーに記録する場合が多かったと思います。
    撮影に際してフイルムを1回に1本使い切るとは限らず、フイルム消化までに結構な期間を要する事も有り、その後の現像までに撮影日失念➡誤認も良くありました。
    しかしながら今回の場合、3~4年のズレだったため、??でした。

    それにしても今回は、期せずして我が投稿そのものがクイズとなり、刑事顔負けの裏付け捜査(トヨペットコロナの発売時期)も有って、約3名の間で「話題沸騰?」となったのは嬉しいばかり。(笑)
    今後とも宜しくお願い致します。

  8. こんにちは。いつも楽しく拝見しております。阪急の河原町延長工事が始まったのは、京都市電北野線の廃止翌日の昭和36年8月1日となっており、開通が昭和38年6月17日ですので、四条通りの工事が阪急の延長工事であるようでしたら、昭和37年のお写真で間違いはございません。

    • 北野の高田様
      工事着工が36年8月でしたか。それなら河さんの記憶・記録が正しかった事が証明されましたね。ありがとうございました。
      しかし、50年前の地下鉄工事なのに着工から完成まで二年足らずとは意外と速かったのですね。

  9. この工事の工期が短かった訳は、阪急の延長工事で、昭和37年の祇園祭の山鉾巡行が中止になったのは有名ですが、「2年続けて巡行を中止にさせてはいけない」と工事を急がせて、翌年の祇園祭前に開通させたからですが、現在のように遺跡発掘調査も厳しくなかったからもあると思います。いずれにしても、戦前の西院~大宮間の地下線工事も2年弱で完成させていることを考えますと、技術が発達していない昔の方が、工期は短かったようですね。

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