2箇所で撮った名鉄モ750形

「お城と鉄道」では思わぬところで岐阜金華山の岐阜城が紫の1863さんや西村雅幸さんから市内線の電車とともに紹介があり、さらに話が谷汲線まで飛んで嬉しい限りである。岐阜市内、揖斐線、谷汲線で活躍したも510形とともに最後まで残っていたモ750形についてもその前に活躍していた瀬戸線のそれも同番号で紹介するが尾張や美濃を75年間も走り去った老優であった。

モ750形は1927(昭和2)年、旧名古屋鉄道デセホ750形として10両製造された。本線昇圧後広見線系統、その後瀬戸線に移り活躍した。そして瀬戸線昇圧で揖斐、谷汲線に転属し2001年9月30日両線の廃止とともに廃車となった。モ755は旧谷汲駅舎とともに保存されている。

 

1972.9.11 瀬戸線尾張旭₋三郷間 準急瀬戸行きモ755+ク2222 後のガソリンカー改造と思われるクハが気になる。▼

2001.9.9 谷汲線谷汲駅を発車する黒野行きモ755+モ751 ▼

2001.8.19谷汲線赤石-北野畑 黒野行きモ755を真横から狙った。▼

1972.9.11 瀬戸線尾張旭-三郷間 準急瀬戸行きモ751+ク2191 ▼

2001.8.12  赤石 雨の中を行く谷汲行きモ751 ▼

2001.8.19 谷汲線北野畑-赤石 案山子の横を谷汲行きモ751が通過して行く▼

2箇所で撮った名鉄モ750形」への18件のフィードバック

  1. 準特急様 
    谷汲線のモ750形を取り上げていただき、ありがとうございます。私は谷汲線の雰囲気が気に入って、よく車を走らせました。1972年ころは蒸機に夢中で私鉄の電車には見向きもしませんでしたが、1990年に鉄道趣味に復帰すると今度は一転して地方私鉄に熱を上げるようになりました。
    8月12日は雨になりましたねえ。赤石の北野畑よりにある畑では、農家の方が濡れながらナスを収穫する姿が印象的でした。この日も北野畑から谷汲にかけてうろちょろしてましたので、どこかでニアミスしていたかもしれません。
    添付の画像は2001年8月12日、北野畑の交換風景です。

    • 紫の1863様
      投稿して直ぐに深夜のコメントを有難うございます。このような直ぐのコメントにはいつも即対応をしたいと思っております。今日3日は早朝に臨時列車がありそれを撮影しておりましたので少々遅れて申し訳ありません。さて、いろいろ趣味の対象の遍歴など興味深く読ませていただきました。京都から車だと割と着くのが早いのではないでしょうか。8月12日は生憎の雨でしたがメモには長瀬-赤石間は高校生と一緒に歩いたとあります。この日は下手な写真数枚撮って終わりでした。私もローカル線が好きですが特に単線カーブで木柱の風景が好みですが、なかなかないですね。多分長瀬付近と思いますが黒野行きモ754です。

  2. 私は夜行性ですので、早朝からの撮影は苦手です。今も撮影を続けておられる準特急様には、自分もこうでありたいとは思うのですが…。
    谷汲線へ通った頃は40代の半ばで、心身ともに充実した時期でした。京都からは2時間余りで行けましたので、ドライブ気分で出かけたことを思い出します。
    撮影されたのは長瀬駅に間違いありません。手前の電柱に信号があることに加え、奥の電柱がコンクリート製という2点が決め手です。添付の写真で少女が歩いていく先から、北を向いて撮影されています。

    • 紫の1863様
      よく長瀬付近を記憶されていますね。雨や雪の日は手がかじかんだりメモが濡れたりしてこの日もいい加減なメモだけが残っています。長瀬と書いてあっても谷汲寄りなのか黒野寄りなのか全く思い出せないのでそういう場合は長瀬付近で逃げています。付近の情報有難うございました。今日もNHKBS中井精也絶景鉄旅を見ていましたが、叡電、嵐電、京都丹後鉄道の旅でご覧になられた方も多いと思います。中井さんは番組の中で撮影歴が45年と言われ私よりも20年くらい若いので重いバッグを抱え600ミリの望遠や14ミリの広角を駆使していましたが、デジ青投稿者最高齢の私はレンズは通常24~105ミリで散歩がてらで近くを徘徊しています。基本的に撮り鉄ですが撮影は気分転換で買い物同様になるべく歩くようにしています。撮影は楽しくあるべきがモットーで重い荷物を抱えて疲れるようでは楽しくないので軽装備にしています。

  3. 昭和48年7月8日、大曾根駅、モ758+モ702です。名鉄名鉄瀬戸線は、Mc+TCの2両編成が基本でしたが、相棒のTcの不具合により、急遽登場したMc+Mc編成です。

    • 藤本哲男様
      私は1日だけの訪問でしたがおっしゃられる通り重連を見たのは初めてで珍しいです。モ700形は見たことがありません。

  4. 昭和48年1月29日、大曾根駅、喜多山発堀川行モ758単行の普通です。瀬戸線の単行は珍しかったと思います。
    撮影当時、昼間の運行は、大津町~尾張瀬戸間、特急と準急が各20分間隔、喜多山~堀川間の普通が40分間隔でした。

    • 藤本哲男様
      特急は2300+900の2連で赤い色にミュージックホーンが鳴っていたように思います。谷汲線とその前の瀬戸線のモ750形同一番号が投稿のテーマでしたがモ759+ク2101の同じ日の同じ場所での瀬戸行き特急です。えらいすごい特急だなと思いました。

  5. 昭和48年2月11日、尾張旭駅、ク2222です。
    昭和12年日本車輌製で、元三河鉄道のガソリンカーです。

    • 藤本哲男様
      この車もゲテモノで気になっていました。豊橋の方にもいませんでしたか。

  6. 1965年3月20日、豊橋鉄道高師駅、ク1503です。ク1503、ク1504の2両在籍していました。
    昭和12年、日本車輌で現在の相模鉄道の前身、神中鉄道キハ44、キハ54として新製、戦時中一旦客車化後、クハ1053、クハ1054となり、昭和31年に豊橋鉄道に譲渡されました。

  7. 揖斐・谷汲線が在った時代、社会人になりまだ数年でしたがよく撮影に行きました。写真は1986年7月19日、谷汲線を走るモ752です。
    この線区が廃止になり23年になります。
    2020年に久しぶりに揖斐川町の中心、本揖斐駅の跡を養老鉄道の揖斐駅から歩いて訪ねると、駅のあった場所にはバスターミナルもなく、名鉄以外の公営のバスが黒野方面の大野町まであるだけ。岐阜直通の鉄道路線が在った時代から較べると、バス2社乗り継ぎかマイカー以外には岐阜に出られない状態で、大変不便な環境に。しかも土日は終バスが16時台と言ううえ、本数は1日4便。私は愕然、悄然として夕暮れの本揖斐付近からタクシーで養老線の揖斐駅に戻り、大垣回りで夜も更けた岐阜市に到着し疲れた身体を宿に横たえました。
    支線と言え名鉄の撤退は揖斐川町にとりこれだけの落差と厳しい現実になった現実を理解致しました。

    • K.H.生様
      ほのぼのとした雰囲気が漂う、良い写真ですね。場所は赤石でしょうか?
      私は赤石が好きで、よく通いました。ただ、この集落に店は一軒もなく、毎日の食料品をどうされているのか気になっていました。ある日のこと、農家の奥さんに柿山から写真を撮らせてほしいとお願いした時、思い切って訪ねてみました。柿のほかに水田があるので、主食のコメには困らないと聞きました。野菜や肉、魚、菓子などは移動スーパーが週に2回来てくれるのを利用すると教わりました。
      現在の交通状況は「はなももバス」があるのみで、前もって予約を入れて集落に2か所ある乗り場から利用するようです。やはり車がないと生活が不便で、免許を持たない人や返納した高齢者にとっては、決して住みやすいとは言えませんね。
      添付の画像は柿山から見下ろした赤石の風景です。河原には若者のグループや、アユ釣りの太公望が見えます。撮影は2000年7月、もう24年が過ぎようとしています。

  8. 準特急様
    名鉄750型、懐かしいです。名鉄に旧型車が走っていた頃は時々出掛けたものです。尻毛で降りて鉄橋で撮ったことをよく覚えています。黒野から奥は、叡電の貴船口あたりとよく似た山間部で冬場、よく雪が降ったのも似ていると思いました。写真は1987年冬の黒野

  9. ブギウギ様
    コメント頂いておりながら何かお応えする関連写真を探していました。遅くなりすみません。撮影年月日は1973年4月3日と記録したメモがありますが場所が不明なものが多く特定できるのが一つだけありました。ブギウギさんの撮られた黒野の車庫の三角屋根が同じなのが決めてです。左から谷汲線のク2151+モ401、車庫内左モ767、モ752です。

  10. ブギウギ様
    同じ日に多分更地付近で撮ったと思います谷汲行き連接車モ401+ク2151でモ401は岡崎市の公園にD51と共に保存されたいます。

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