その6に入る前に謹んで前稿の訂正を。加古川で撮影した2軸の救援車の形式をエ790と記したが、現に車体にちゃんとエ749とあるではないか。まさしく80歳目前の耄碌ぶりをさらけ出し、お恥ずかしいやら落ち込むやら。何卒ご寛容ありたい。
2軸木製救援車は最終時点エ740、エ770、エ790の3形式にまとめられ、エ740には旧客車だけでなく貨車からの改造も含まれる。あとの2形式の種車は、手荷物車、郵便車を含めた客車で、妻面に屋根上ランプ着脱作業のためのステップと手摺が残っているものが結構多かった。救援車になってからでも、出動は極めてまれ(本来ない方がいい)だから、屋根石油ランプが生きているものすらあった。加古川のエ749は当然形式740である。お詫びして訂正させて頂きます。
高砂を後にして姫路に。姫新線と播但線にはまだまだ木製客車が健在であった。鷹取工、高砂工に行ったのは先述の通り1955年7月16日だが、姫路はその前後に何回か行っているので、その間に撮影した車輌も一緒にご覧頂くことにする。
先ずは上の室内からご覧あれ。記号番号はナハ23776だが、転換クロスである。下の写真のサイドでお分かりのように、中央に便所洗面所があって、窓配置からはナロハ21608~21721(形式ナロハ21450)から、戦時中に格下げで形式ナハ22000に追い込まれたグループであることが分かるが、旧2等部分の座席がそのまま残っていたのである。諸兄なら江若鉄道のオハ2763~2765(←国鉄オハ27110、2792、27117←オロの格下げ)の転換クロスを思い出されるだろうが。
このナハ22032も端面でなく中間に便所洗面所があって、右側が旧2等室=前身が形式ナロハ11350であることを示している。この形式は2等部分が窓2個ペアと、写真のように3個ペアのものがあり、かつ2等室が3等室より長いものがあって、2等室は奥行きの深いロングシートだったが、格下げでは通常の3等クロス化されている。なおこの撮影は同じ1955年でも4月2日で、7月16日高砂工での解体寸前の姿は前回ご覧頂いた。
これはナハニ15847(形式15800)で、荷物室サイド窓下に鉄帯で補強しており、製造は大正2~5年。窓配置からは2・3等車からの格下げかと思われるかもしれないが、生まれながらのナハニで、台車ははっきり見えないが、明治45年度基本と古いものである。
これはナハユニ15457(形式15450)で、明治44年製=制式中型車でもかなり古いグループだから、台枠、台車も古く後者は明治42年度基本=制式台車では最も古い代物だが、妻面の状態表示はDとなっている。
ナハユニ15484は上と同じ形式15450だが、大正に入ってからの誕生で少し新しいが、台車は明治45年度基本。昭和8年に改造でナハユニになった。ご覧のように妻面に窓があるタイプである。トルピードベンチレーターが原型通り全部が健在な車輌は、流石にこの時点極めて珍しい部類になる。
このナハユニ15491も同じ形式15450だが、大正7~8年の誕生と、一段と新しくなり、台枠はUF12に、台車も大正6年基本型になっているが、ガーランドベンチレーターの採用は大正8年からだが、これはまだトルピードである。ナハユニへの改造はやはり昭和8年であった。
これ等の木製現役客車は、見事に1956年度に姿を消し、残るのは救援車、配給車、工事車等の事業用車ばかり。それも車体を殆ど新製し、丸屋根化したものも出現したが、さらにオハ31系や70系戦災復旧車から転用されて半鋼化し、配給車は用品庫の廃止で姿を消した。小生はこれら幾許かの木製客車を撮るのにかまけて、2浪という代償を払ったのであった。
湯口先輩様、
客車マニアにとっては垂涎の記録です。特に興味があるのはナロハ11350型にはロでありながら三個窓があると言うことです。しかもロングシートだとか。当時の客車は長手方向にシートがあるのは二等寝台ぐらいだと思っていました。木造客車は言うに及ばず、旧型客車は鉄道趣味のパラダイスでした。客車が遠くへ去っていった時から私の鉄道に対する興味は消えて無くなりました。