JR東日本の新幹線には在来線へ乗り入れる直通運転のミニ新幹線があるが、この乗り入れ区間は1067ミリの在来線を1435ミリに改軌して使用。いろいろ改良もされていると思うが単線、カーブ、勾配、踏切等様々な制約があり車両限界の関係等から座席も2列2列シートで2列3列シートの本線(ミニではない基本的な高速新幹線を仮に本線とよんでみたが正式な呼称があるのかもしれない)車両と比べると小さくて車内も狭い。
しかし、ミニ新幹線は本線には見られないローカルな風景が展開し撮影にも新しい発見がある。
そこで「つばさ」、「こまち」のミニ新幹線走行を3部に分けて発表したいと思う。(1)部は東北新幹線大宮―盛岡間暫定開業の1982(昭和57)年6月の直前の東北本線で撮影した「つばさ」と福島付近の奥羽本線のその頃の状況である。(2)部は福島-新庄間の「つばさ」、(3)部は盛岡-秋田間の「こまち」を取り上げる。
それでは(1)部の東北本線特急「つばさ」である。
1980.12.31 東大宮-蓮田間 EF651010[宇都宮]牽引スハ14系の客車で運転されていた多客時の臨時「つばさ51号」8001列車。EF65のパンタグラフが今となっては大きく目立つ。上野9時3分の発車で秋田には18時20分到着である。▼
1981.5.1 豊原-白坂間 同じ8001列車「つばさ51号」の交流区間で牽引機は黒磯からこの日はED751028に。地球温暖化が話題になる前であったが真夏のような暑い日で1日3匹ものヤマカガシに出くわして撮影の出鼻をくじかれた。▼1981.5.1 白坂-豊原間の名所を行く食堂車を含む485系堂々12連の秋田発上野行き「つばさ2号」1042M列車。秋田8時20分発上野16時10分着であり客車特急よりも速い。ここは福島県と栃木県の県境であり家も少なくいつ列車で通っても気分の良い所である。▼
1981.6.20 福島駅6時30分出発の奥羽本線421列車秋田行き。牽引機はEF712[福島]で終着の秋田到着は15時26分である。EF71は1968年から1,2次併せて15両の製造でED78と重連を組んだりして福島-山形間の運用で1991年まで存在した。1981年の時点では「つばさ」の他、「やまばと」、「あけぼの」の特急群の他夜行急行の「津軽」等も健在で在来線幹線のムードが残っていた。▼
1981.6.20 少し寄り道するが福島から奥羽本線で二つ目の庭坂。ここはかつて板谷峠の勾配用蒸機の基地として4110やE10が居た所である。行ってみると機関区があったような雰囲気はなく中線に廃車を前提にした東北本線交流機初期のED71の休車が4台(ED714、ED7149、ED7147、ED7148)留置されていた。▼
1981.6.20 庭坂駅 ED71の休車群を撮影中下り秋田行き「つばさ1号」1041Mが通過して行った。▼
「はつかり」が「ヨン・サン・トオ」直前の1968年9月9日?にキハ81系から583系に置き換えられ、7連に短縮のうえ、すぐに「つばさ」に充当されました。1968年9月23日、蓮田~白岡にて撮影。その後「いなほ」に転用されたため、キハ81の「つばさ」は、わずか1年間だけでした。(順光の後追い撮影の写真です)
クモハ73106東ウラ様
キハ81の「つばさ」があったのですね。私は「はつかり」のあと、すぐ「いなほ」かと思っていましたが、「いなほ」の新設は、昭和44年10月改正であり、それまで「つばさ」で使われていた訳ですね。たいへん貴重な写真、ありがとうございます。そう思って鉄道ピクトリアル「キハ181」特集を見直すと、板谷峠を越すキハ81+EF64もありました。
クモハ73106東ウラ様
これは始めて見ました。大変貴重な記録ですね。蓮田から
白岡寄りのカーブですが後年ファンで賑わったヒガ-ハスよりもこちらハス-シラのこの場所の方が有名で懐かしいです。今は両サイド家がびっしりですが、当時はEF56、EF57、EF58、EF15などが沢山やってきました。これから「つばさ」、「こまち」の(2)、(3)部に入りますがクモハ73106さんにはお世話になります。宜しくお願いします。
準特急様
1967年8月25日の元気なころの福島機関区のED71 26です。
1年後の1968年9月22日に福島-米沢間が直流から交流電化に切り替えられ、翌日の9月23日には山形まで交流電化されました。
快速つくばね様
ED71は60Hz北陸本線用ED70に続いて50H東北本線用にデビューした初期の交流機として最も好みの機関車でした。両機はED72以降の2個ライトと比べ大きなライトが好みでDF50などにも通ずるところがありました。車長は14mそこそこでした。1963年にED75量産機が出始めましたがそれまでは特急「はくつる」、急行「八甲田」、「津軽」、「おが」、「北星」、「新星」など東北本線の名立たる列車を牽引したものと思われます。もっとも私が撮れたのは普通列車ばかりでしたがこれも遠い昔のことになりました。
準特急様
「つばさ」は当初キハ81(80系)だったこと、東ウラさんから聞かせてもらいました。先頭がキハ82に代わってからも、キハ80系はしばらく続きますが、非力なため、板谷峠は補機を必要としたり、編成も短く輸送量の点でも問題化していて、昭和45年には新製のキハ181系に置き換えられます。奥羽本線電化により、485系化されるのが昭和50年でした。私は、キハ181系時代の「つばさ」です。基本7両+付属4両でした。
総本家青信号特派員様
「つばさ」はあの有名な1961年10月の全国特急網ができた時に奥羽本線特急に付けられた列車名と思いますが、歴史が古い分いろいろな種類の車両が使用されたのですね。応援投稿有難うございます。板谷峠については東ウラさんにお願いしているところです。
「つばさ」は、皆さまからお話しがありましたように1961年10月改正で上野~秋田間で運転開始されましたが、1963年12月に混雑する「はつかり」救済も目的に盛岡「つばさ」が出来、福島で分割併合を行っていました。
一時期、父の仕事の関係で1964年3月まで5年間ほど盛岡に住んでおり、「盛岡つばさ」は2~3回乗車しました。上野の次は宇都宮。大宮通過でした。浦和ですと、上野に戻るより大宮から東北本線普通列車で宇都宮へ行った方が時間的に短かったと記憶しています。
1965年10月改正で「盛岡つばさ」は483系「やまびこ」となり、キハ82系の運転は短期間で終了しました。
一度、上り「秋田つばさ」遅延で福島で1時間待たされたのも思い出です。
写真は、秋田単独運転になってからです。
クモハ73106東ウラ様
盛つばがあったのですか。盛岡にお住まいであったことはお聞きしたことがありますが、東北特急の「はつかり」や「やまびこ」なども充分堪能されたことと思いますが当時の浦和降車が複雑ですね。あと会津若松方向は「あいづ」の前に「やまばと」もありましたね。
「あいづ」のお話しがでましたので、写真を2回に分けて投稿させていただきます。
「やまばと」は、「山形」「会津若松」を郡山で分割併合していました。1968年9月中旬までだと思います。
まずは、この写真を。
クモハ73106東ウラさん
東北諸特急は地元のようなものでお詳しいですね。有難うございます。1966.3.22朝2008Ⅾ川桁付近を行くキハ82系特急「やまばと」上野行きを撮っています。この2時間前に会津田島、会津川口、喜多方発仙台行き気動車準急「あいづ」が走行しています。暖房のない川桁の旅館に泊まった翌日のことです。
「会津やまばと」は、1968年9月に「山形」編成と分離され、上りの場合、「山形やまばと」の先行で483系に置き換えられて運転されていました。(下りは見ていないので列車順序は不明です)。
従って、磐越西線を483系「やまばと」が走行しています。ヘッドマークは写真のように「やまばと」の上に小さく「会津」と書かれています。
写真は、1968年9月23日、白岡~蓮田、上り「会津やまばと」です。
準特急さま
14系客車の臨時特急「つばさ51号」ですか。ありましたねえ。時刻表で見つけた時は東北本線筋ならともかく、勾配や単線区間が多く線路条件が良くない奥羽本線によく設定したなと思ったものでした。14系座席車に乗ったのはDL化間なしの急行「ニセコ」の倶知安から小樽間の一度だけで、DL化後暫く走ったC62の小樽~長万部間のローカルを撮った時でした。12系客車の臨時も数多くありました。上野から青森まで12系客車のGW臨時「ゆうずる51号」に乗っています。数時間後のゆうずるBネ券を取っていたにも関わらず、1便前の青函連絡船に乗りたくてわざわざBOX席で長駆青森まで窮屈な思いをしたものです。おかげで函館、大沼で「おおとり」だけになったキハ82系と56系の臨時「ニセコ」(定期ニセコはすでに無く多客時の臨時のみの運転)が撮れたので、窮屈感は吹っ飛びました。GWの撮影といえば写真にある白坂~豊原の鉄橋にもED75を求めて行きました。数本撮れるハズだったのが、GW運休が多く、貨物レが1本と重連回送1本しか撮れずガッカリしたものでした。ただ絶滅危惧車になっていた583系の仙台~日光間の臨時快速「日光新緑号」が来てくれたので、戦果としてはまあ満足できました。黒磯駅での交直間のバトンタッチも撮りたかったのですが、前記のように運休で回送機関車だけのシーンしか撮れませんでした。貨車の無い機関車交換なんて〇〇の無いコーヒー(だったかな。旧いなあ)みたいでしたが、貨車が無くとも所定位置にキチンと停車していたのは、当たり前といえばその通りなのですが、なにか感動を覚えたものでした。関西人にとっては東京以遠はなぜか遠いイメージがあって行きにくいところでしたが、数少ない撮影行を想い出させて戴き有難うございました。
1900生様
いつも詳細なまたその時の気分をそのまま正直に書かれており読んでいて熱心さがよくわかります。有難うございます。予め取った寝台から12系に変更したのは目的が56系急行車両と82系特急だったのですね。さまざまな失敗も終わってみれば思い出になりますね。583系の仙台発日光行きも珍しいですね。会津若松発東武日光行きの快速「八重の桜(?)号」もありました。車体に八重の桜が貼り付けてあっただけですが、宇都宮や下今市でスイッチバックするところが両者似てますね。14系客車は先日のDRFCイベントで東武スペーシア乗車で無理言いまして途中下車してC11のSL大樹に乗りました。関西から東北方面は遠いイメージはありますがこれだけ行かれたらもう充分です。