讃岐財田駅

讃岐財田駅は、1923(大正12)年5月21日に讃予線琴平~讃岐財田間(12.6km)の開業に伴って開設された駅である。北側の琴平駅の1889(明治22)年開業から遅れること34年、徳島線の佃信号場(当時)まで南進される6年前のことであった。

もう2ヶ月前ほどのことになるらしいが、築101年となる木造駅舎が改築されたことを、先日Youtubeで知った。香川県では高徳線の丹生駅に次ぐ2例目だそうである。ちょっと豪華なバス停(?)の趣きとなっており驚いたが、トイレも改築されており、利用者の方はもちろんのこと、保線作業関係者にも優しい改築となっていた。▲1983年3月31日、273レ(DF50 31号牽引)、讃岐財田駅3番線

駅舎自体は私の趣味範囲外なので、駅舎が写り込んでいる写真は上図が最大で、しかもホーム側からであることはご容赦いただきたい。当時はまだ出ヅラベースで2~3名の職員さんのおられた有人駅であった。駅舎側1面1線と島式ホーム1面2線の線路で構成されており、島式ホームへは改札口正面にある通路を利用する。1番線が上り本線(297m、32(13)車、現在は上下本線)、2番線が下り本線(192m、19(8)車)、3番線が上下副本線(196m、19(8)車)となっており、2、3番線は多度津~高知間では坪尻駅を除くと最低ラインの有効長である(同レベルの有効長の駅は、他に小歩危、新改駅がある)。(注:車数の()書きの数値は20m換算) ▲1981年3月3日、12Dと705Dの交換(DML30H 系エンジンの共演)、讃岐財田駅

窪川方は徳島県境の猪鼻峠が立ちはだかり、次駅の坪尻駅は有効長が短いため、貨物列車にとってはさらに次の箸蔵駅までが実質の1駅間となり、約20分間閉塞してしまう輸送上の隘路であった。猪鼻峠までの途中、空気さえ澄んでいれば瀬戸内海を眺望できるポイントもあっった。     ▲1983年5月2日、281レ(DF50 34号牽引)、讃岐財田~坪尻間

一方の多度津方は、「財田カーブ」と呼ばれる現在でも有名な撮影スポットである。 ▲1980年8月27日、226レ(DF50 59号牽引)、黒川~讃岐財田

讃岐財田駅は故O首相のお膝元であったことから、「春先には多数の与党の有力者宛に、筍がこの駅から小荷物で発送された」と、車掌さんが話してくれた。このような思い出話を一杯詰め込んでいた木造駅舎はなくなってしまったが、駅だけは末永く続いて欲しいと願っている。

▲駅事務室に掲示されていた列車着発時刻表。当時の職員さんの労作である。              (左:昭和55.10.1改正、右:昭和57.11.15改正)

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