▲「雄別鉄道開業100年」展ポスターのC111
いま北海道の釧路市立博物館で「雄別鉄道開業100年」展が行われています。1923(大正12)年、釧路~雄別炭山の開業から今年で100年を迎えました。また廃止の昭和45年まで所属していたC111が、このたび東武鉄道でC11123として動態保存され、「SL大樹」が2022年から運転されていますが、更新部材を郷土資料として博物館が譲受し、C111の運転台部分が目玉として展示されています。ご承知のように、C111の元を正せば江若鉄道のC111「ひら」となり、私は知る術もありませんが、故・湯口徹さんが優れた写真を記録されていることは知られています。▲江若鉄道で水泳列車を牽くC111(1955年、湯口徹撮影)
このたび、博物館から依頼を受け、終点の雄別炭山で写した鉱員輸送列車を牽くC111を、催事広報のメインビジュアルとして使っていただくことになりました。たまたま撮った写真は、形式写真ではなく、あまり知られていない、作業を終えた鉱員を、3つ先の古潭駅前にある社宅へ送るための鉱員列車を牽いているところがミソです。さまざまなツールにも展開していただき、博物館様のご厚意には深く感謝する次第です。ところが、ある方から「C111もエエけど、それより後ろに繋がっている客車のほうが、もっとエエんちゃう」の声が。
なるほど、いわくありげな客車が繋がっていますね。当時、旅客はすべてDC化されていて、客車が使われるのは鉱員輸送の列車だけでした。C111を写したあと、1両ずつ客車を撮っていました。
▲連結順に紹介を。1両目はナハ18、雄別の客車は、ナハ11形と総称される国鉄から払い下げを受けた雑形客車が、11~19の9両もあった。1両ごとに、出自も外形も異なっている。ナハ18は、前国鉄ナエ17174←ナユニ16269←ナユニ8757、明治45年、大宮工場製の木造ボギー車、昭和33年、雄別に入線、改造を受け、出入口移設、便所撤去、長手座席、一部立ち席化が行われ、標記のように定員120名になっている。ヘルメット姿の鉱員の姿が見える。▲2両目はコハ2 コハ1形(1・2)のうちの1両、前国鉄キハ46351←北海道鉄道キハ501、昭和10年製の日本車輌製の半流の内燃動車で、江若キニ09にも見られる「びわこ」スタイルのガソリンカーだった。湯口徹著「内燃動車発達史」によると、北海道鉄道時代は札幌線(のちの千歳線)の札幌~苫小牧で使われていたと言う。昭和25年に雄別に入線し、その後、運転室、動力を撤去し、トレーラー化した。こちらも長手座席になっている。▲3両目はナハ19 先述のナハ11形の一族、前国鉄ナル17647←ナヤ16937←ナハ12738←オニ16638←ナシ10372←ナシ20802、大正7年、大宮工場製の木造ボギー車、製造当初のブルトレの食堂車似の形式称号が興味をそそる。昭和33年、国鉄から払い下げ、ナハ18とほぼ同じ改造を受けた。後部にさらにワブが連結されている。▲雄別炭山を発車した鉱員列車、戦後、古潭地区に大規模な炭住街が造られて、専用の通勤専用列車が、雄別炭山~古潭で運転されるようになった。▲もう一両、構内に客車が留置されていた。コハ2と同じスタイルのナハ12 北海道鉄道のガソリンカー改造の客車だが、気動車と同じ赤&クリームに塗られて、気動車のトレーラーとして連結され、実質キサハだった。貫通扉が引っ込んだ独特のスタイルが分かる。
総本家青信号特派員様
春採湖畔の高台にある釧路市立博物館は、1983年の開館当時に訪問しました。
写真は、2022.11.30の下今市機関区の復活したC11123です。
総本家青信号特派員様
江若鉄道の廃線時の1969年10月31日まで有効の記念乗車券と11月1日の午前中に運行された運賃無料列車の整理券(事前配布)です。54年間持ち続けた疑問ですが、1110というような機関車は存在しませんでした。
これもC111でしょうか。フイルムを反転して焼き付けたので「C」が、左あきの視力検査のランドルト環のようになり「0」に修正したように見えます。
自動ブレーキ管ホースが左側に見えますので反転写真で間違いないでしょう。Wマークを中心に左右対称のデザインにするために裏焼したのでしょうね。
快速つくばね様
釧路市立博物館は、まだ訪問できずにいます。今回の展示は、来年4月まで開催されていますので、ぜひ訪れる機会を作りたいと思っています。
下今市機関区は、煉瓦風の機関庫になっているのですね。東武鉄道のご尽力には敬服しますが、ただひとつ、貴重な私鉄C111ですから、ナンバーもそのまま継承してもらいたかったです。「ひえい」のプレートもあれば、江若関係者もきっと喜ばれたと思います。
蒸機とDCが左右に広がるデザインが、記念乗車券の企画段階で上がってきたようです。ところが、C111列車も総括DCも、右向きの写真しかなく、無理やり、C111列車を反転して使ったようです。私も、クラブメンバーが粘って入手してくれた、無料乗車券を見て、びっくりしました。
ナハ12と出自が同じナハ13は、昭和44年2月28日時点では尺別鉄道に貸し出されていました。貫通扉があるのは同じですが、妻面の窓は埋められています。一端にはダルマストーブの煙突も見えます。社尺別駅にて。
西村様
尺別へ貸し出されたナハ13の貴重な写真、ありがとうございます。たしかに、妻面の窓は埋められていますね。尺別鉄道は、時刻表にも記載がなかった地方鉄道で、西村さんらが行かれた昭和44年の記録、訪問記は、いまでも活用させてもらっています。
C111の江若時代の愛称を「ひら」としましたが、「ひえい」が正解です。「ひら」は、C112の愛称でした。