デジ青を色々な視点でご覧頂いている方がおられることを大変うれしく思っています。白帯を巻いた事業用貨車については、私も興味が無いわけではありませんが、白帯ワムファン様のようにそれをメインに追いかけたり調べたりしたことはなく、1881両もカウントされているとのことで、驚きとともに敬意を表したいと思います。
さて、1881両も調査されているなら、参考にはならないかと思いつつ、私がかつて撮っていた事業用貨車の写真をご紹介します。とは言え、ほとんどがメインの救援車の向こうにチラッと写っている程度のものが多く、車番や形式、常備駅などがわからないものが多いことをお許し下さい。
まずは昭和39年に梅小路機関区の扇形庫線で撮ったワム9965(あるいは9955)です。
60年近く前にハーフカメラで撮った当時のフィルムは「ビネガーシンドローム」のためにカールしまくっていて、この写真の下が歪んでいるのはそのためです。悪しからず。白帯も各標記も消えかかっている老朽貨車です。車番はワム9965のようですが、あるいは9955かもしれません。鷹取工場、鷹取駅常備とかすかに読めます。形式は不明です。妻面台枠にバッファー連結器の痕跡を示す丸い穴があります。連結器が自動連結器に交換されたのは、1925年(大正14年)7月ですから、それ以前、即ち大正時代以前の生まれでしょう。もうひとつ妻面左上の丸いフタ状のものがあるのですが、通風孔は中央にあるので、この丸いものが何なのか疑問です。
続いては、やはり昭和39年に浜松を通過した際に車窓から撮ったもので、ワキ713救援車代用です。両端が切れていて、ブサイクな写真ですが悪しからず。ワキ700は弾薬(魚雷)輸送用に30両作られた軍用貨車です。基本的に台車はTR24なのですが、このワキ713はTR20を履いています。ワキ700のうち6両が、トキ10形を配給電車クヤ7形に改造する際に遊休となったTR20に交換されたそうで、その6両のうちの1両のようです。詳しくはウィキペディアで「ワキ700」をご覧下さい。
なお、私の撮影ではないので掲載は控えますが、糸崎機関区にやはり救援車代用のワキ724がいたことを示す写真を持っています。但し白帯は無く、台車はTR24です。
続いては、昭和39年に梅小路機関区で撮ったスエ31101の向こうにつながっている白帯ワムです。救援車代用でしょう。残念ながら、車番などは不明です。大ウメは米手様をはじめ多くの方々が出入りされていたので、探せば写真が見つかるのでは?
次は時代が飛んで、昭和44年3月7日に音威子府でオル31218を撮った際に連結されていた白帯ワです。これも車番、形式、常備駅などが不明です。小型なので、ワ10000かワ12000ではないでしょうか。「旭」は間違いないので多分旭川工場関係の配給車代用でしょう。
次は昭和44年5月3日 亀山で撮影のスエ7116の向こうの白帯ワムです。これも車番、形式がわかりません。
続いては昭和51年1月に糸崎で撮影したスエ7121の向こうの白帯ワム93103です。
ワムだけの写真は撮っていないのですが、なんとか車番は読めました。糸崎客貨車区所属だと思います。もうひとつ糸崎でのスナップです。
ヤ400は信号機器輸送用でワム60000を種車にして昭和43年に17両作られたようです。配置は田端操に400~408が、安治川口に409~416だったそうです。この410は西日本94駅を9ルートで巡回する運用に入っていて、たまたま糸崎通過時を撮影していたようです。なおヤ400は職用車ながら、白帯を巻いていません。昭和62年度には形式消滅しています。
最後は平成25年6月15日 手宮の小樽総合博物館で撮影したソ34の控車代用のチキ6141です。
ところで、白帯ワムのファン様のコメントを見ていて驚いたのは、貨車の神様とも言うべき吉岡心平氏が亡くなられていたという悲報です。全く知りませんでした。令和3年3月30日ご逝去だったようです。吉岡氏に三菱三原製の貨車について問い合わせたところ、多くのデータを頂いたり、3台車のホキ2000について、2両試作後実用に供されることなく行方知れずとされていたのですが、糸崎港での写真を見つけてお送りし、大変に喜んで頂いたりと交流がありました。貨車博物館ではお会いすることができなかったので、またいつかお会いする機会があるだろうと楽しみにしていたのですが、残念でなりません。RMライブラリの多くの貨車シリーズが途絶えたのも残念です。今どきの子供たちは、貨車=コンテナ車のことだと思っているでしょうし、コンテナ貨物が見られる地域、沿線も限られていますから、鉄道貨物輸送が華やかだった頃の楽しさを子供たちに伝えるすべもありません。鉄道貨物輸送がトラック輸送に代わったため、一般国道や高速道路を往き来する特殊なトラックを多く見かけます。時代の移り変わりを感じます。かつて今のようにデジカメがあれば、貨車もパチパチと撮りまくっていたでしょうが、何せ貴重なフィルムの時代には、なかなか貨車を撮っておらず、何とか探し出した白帯君は以上でした。
救援車の大家であるI氏なら客車救援車とペアで救援車代用貨車も数多く撮っておられるのではないですか?是非お宝拝見したいものです。
他ならぬ西村さんからの呼びかけでは探さないわけには参りません。
しかし、私も意識的に撮ったことがないので梅小路機関区の写真を当たりました。左端にかすかに見えます。もう一枚も次に載せますがこんな写真しかありません。記号は「エ」になっています。
米手作市様 早速に膨大なライブラリから探し出して頂きありがとうございます。多分、築堤上を行くC57牽く下り列車を撮られたものでしょうが、しっかり白帯ワムと救援車が写っています。山陰線の列車もいい雰囲気ですね。1両目はダブルルーフのスハニ31?救援車もダブルルーフの古い客車のようですね。
もう一枚。
これは右端にちょっとだけ見えます。
左のC11255は昭和38年12月18日に梅小路で廃車になっていますので、撮影日に火が入っていたか、休車だったかはわかりませんが、昭和38年頃の撮影でしょう。88638は昭和47年5月11日 紀伊田辺区で廃車になっていますが、私も梅小路や草津で撮っています。肝心の白帯ワムは、エ60まで読めますので、エ627まで128両あったエ500形ではないかと推察されます。
こんなんもありましたが、これで良いのでしょうか?よければ他にもあるようです。
これもお宝画像ですね。EF5918と白帯ワムですね。EF59ですので場所は瀬野ですね。山陽線の車窓から撮られたようにも思えます。EF5918は昭和61年2月10日広島区での廃車となっていますが、この写真はもっと以前ではないでしょうか。EF59はパンタを下ろし、休車状態のようにも見えます。古い航空写真から、この留置線は瀬野駅の西側、広島寄りにあった留置線だろうと思われます。北側に水田があり、山際に民家が点在しているのですが、現在は比較もできないぐらい変貌し、後ろの山全体が大住宅団地となり、例のスカイレールが登って行っている山です。白帯ワムは元の写真では何とか車番が読めそうですが、この写真では3桁は判りますが、読み取れません。多分梅小路と同じエ500形のように見えます。
私より、肝心の「白帯ワムのファン」さんの評価を待ちたいと思います。
米手様 ありがとうございました。後続も期待しています。
西村さん、
例のダブルルーフの救援車は車番が読めませんが井原さんなら知っていると思います。拡大しましたがトルペード型ベンチレーターのかなり古い木造車です。
分かりました。
ナエ17196です。夕方で露出不足ですがお許しを。
スエ3040に繋がる「エ」
スエ3040の向こう側の3軸貨車(多分チサ100形)も北海道ならではの光景ですね。
スエ3041に繋がる「エ」
スエ3041は昭和40年版車両配置表では苗穂支区となっていますので、苗穂での撮影だろうと思うのですが、ひとつ上の写真スエ3040はその配置表にはもう出ていません。札■■が読み取れません。どこでの撮影ですか?
カラーがありました。福知山です。
米手様 福知山にはオハユニ71改造のスエ71が3両もいたようです。41,49,50の3両です。思えば復旧用各種機材を積み込んでいざという時に備えてかなり密度濃く救援車が配置されていましたが、それほどに脱線事故などの事故が多かったのかと不思議な気もします。あるいは、一刻も早く復旧し、鉄道輸送を確保しなければという使命感がそうさせていたのでしょうか。
スエ7117です。
福知山には“棒高跳び”するDLもいたので脱線多発地域だったのかも知れません。
昭和47年6月11日、梅小路機関区、ワム50879です。
白帯ワムのファンですが、この他に白帯のワム50000の写真がたくさんあれば良いですね…
昭和48年9月29日、亀山、ワム51355です。
窓が設置されています。
昭和45年3月10日、清水駅、ヤ400です。
昭和58年6月19日、隅田川駅、ワム68559です。
昭和40年3月21日、田端機関区、車号不明
こんなシリーズなら、顔をつい出したくなりますね。
これが面白いかな。昭和52年の宇部線です。
この時代の宇部電留線は私鉄時代の引き継ぎの経緯か、民間の土地の真ん中みたいな飛地にあって、旧型の国電たちは置屋の芸者みたいな”出勤”
風景が見られてずいぶん愉しかった記憶が有ります。高3で受験勉強もせずに夏に撮りに行って、歩いて最寄りの本線の駅に戻ろうとこんなシーンが見られました。何と密連のモハが熊本電鉄みたいに配給ワムを引いて、遮断機もない広い踏切を渡って行くではないですか。(遮断機は歩道のみ)
一瞬目が点になった瞬間でした。
宇部新川に歩いて戻って着くと、配給ワムは解結されて涼しい顔で線路の端に停まっていました。「ぼ、ぼくはどうやってここまで来たんだろう」と裸の大将の隣のモハには、なんと連結器アダプターなる宇部区の奥義を見せられて「ははーっ」と少年は引き下がったのでした。その写真も貼っておきます。
宇部新川まで出て来た白帯ワムと”引率者”
昭和45年3月31日、梅田貨物駅、ケ3です。
昭和58年6月19日、隅田川駅、ケ12です。
スエ30です。
米手様はじめ藤本様、K.H.生様、ブギウギ様からも多くの「救援」を頂き感謝です。この勢いに乗って、私鉄の白帯車も探してみました。江若鉄道のワ2。撮影は正真正銘 江若終焉の日S44-11-1のものです。白帯と細い赤帯も巻いていました。続いては島原鉄道のワ83で、昭和53年10月南島原での撮影です。白帯は巻いていませんが、大書きされた「救援車」の標記がいかにも「助けてやるぞ」と言っているようです。大正13年8月岡部製の元口之津鉄道のワ25です。近江鉄道には白帯ではなく、黄帯が2両いました。平成29年5月13日に彦根車庫の狭い構内で撮っています。今も生き残っているのでしょうか?ワ34とワ35で、ワ35の台枠の標記はワ38でした。シュー式の板バネ受けが時代を感じさせます。このコメント欄には写真は1枚しか添付できないので、このあと写真だけを連投します。
島原鉄道ワ83
近江鉄道ワ34
近江鉄道ワ35
近江鉄道ワ35床下
白帯事業用車で盛り上がっている中、DRFCファンを自認する小生も、と…・・・。
但し、国電屋の小生の事、手持ちネガには該当する車両のカケラも無く、結局勝手に拡大解釈してゲテモノ持参で首を突っ込む失礼をお許し下さい。
2枚目の写真は、ずっと後?に繋がっている白帯貨車が該当?
2枚目
3枚目
4枚目
2枚目が飛びませんでしたので、再トライ。
ダメだコリャ。
家を空けたおりましたので遅くなりましたが、「白帯ワムのファン」本人です。
このサイトで貴重な今は亡き珍しい白帯有蓋車の写真を連投していただき大変ありがとうございます!
新しく分かった車両は順に大阪局鷹取工場配給車代用ワム9965、ワキ713静岡局浜松客貨車区救援車代用、ワ12328?旭川局旭川用品庫配給車代用、ワム52249?天王寺局亀山区救援車代用、ワム128865?広島局幡生工場配給車代用、そしてワム136581広島局幡生工場?配給車代用の6両でこれらの投入で判明数は1,886となりました!
ただし1つ減っているのは別サイト某写真のワム130275が事業用代用有蓋車ではなかった為です。
まだ私は故吉岡心平氏が出版時に集めていた1000枚以上の白帯有蓋車写真ともう一人の貨車研究者の堀井純一様などが撮っておられた白帯有蓋車の写真をあまり拝見したことがなく、もし貨車ファンの皆様が白帯車などの事業用代用有蓋車を撮っておられるなら沢山掲載して欲しいところですが、ネット上でもなかなか写真が見当たらず、事業用代用有蓋車全般の判明に苦労しているところです。これからも機会があればまた白帯ワム所謂事業用代用有蓋車の車両などを連投して欲しいものです。コメント長くて失礼いたしました。
それともう一つ、言いそびれたことがありましたが、貨車ファンの私が事業用代用有蓋車研究を始めたきっかけは、当時学生だった私が鉄道友の会貨車部会に入会してまもない頃に北海道総局発行専属貨車配置表を拝見した時に札幌局追分機関区救援車代用ワム50001という車両を認識しましたが、よくワム50000形の2両目が救援車代用になっていたことに気づき始めて、それからいろんな形式の有蓋車の車両番号が事業用となっている車両を見かけると大変嬉しくてそれ以来事業用代用有蓋車研究の沼にはまり込んでいきました…。
故吉岡心平氏が逝去する前に事業用代用有蓋車の車両番号と配置局用途について尋ねたかったと今でも後悔しておりますが、それでも後年、いろんな貨車ファンの方から白帯有蓋車の車両番号を教授されるなどまだ若い私が事業用代用有蓋車の功績を多く収めたと実感しています…。
こうした結果が多く出せるのも皆さん鉄道ファンの努力と忍耐に耐えて残してくれた資料などのお陰です!これからもまだまだ私はまだ判明してない事業用代用有蓋車の車両番号を判明させて、いろいろな貨車の研究を進めたいと思っております!
PS:ちなみに私は私有貨車も興味あります。
白帯ワムのファン様へ
1881両が1886両に増えたとのこと、僅かながらお力になれたと大変うれしく思っています。このHPでは画像サイズの制約もあり、鮮明な写真をお届けできませんが、もしよろしければ、ページ右上にある「お問い合わせ」コーナーから入って頂いて、本HPの管理者に貴君の連絡先(メールアドレスなど)をお伝え頂ければ、非公開で直接メールや郵便でのやりとりで情報交換できますので、ご参考まで。
ご返信が遅れましたが、教えていただき大変ありがとうございます!!管理人にメールしましたので、あとは返答待ちです。
これからも事業用代用有蓋車の研究を続けていきますので、取り急ぎご返信まで。
貨車に疎い私は、白帯ワムと帯なし救援車代用と救援車の区分けが分かりません。それらしい写真を貼りますのでご判断下さい。
米手様 次々と出てきますね。C50134、C6214ということは広島運転所ですね。C50134は動力逆転機装備で広島ヤードの入換え用でしょう。肝心の白帯君はC62のかげで車番不明ですが、仕方ないですね。ありがとうございます。
ワム11264梅小路機関区
米手様 形式ワム3500 高砂工場の配給車代用ワム11264 高砂駅常備ですね。バッファー穴やシュー式のバネ座など、古式ゆかしい貨車です。運用表は高砂ー加古川?ー鷹取ー吹田操ー梅小路と読めます。
瀬野
米手様 瀬野ですね。白帯君は台枠の標記からエ550のようです。瀬野機関区には給炭台がなく、野積みの石炭をテンダーに積み込んでいたのでしょうか。膨大な量ですね。
日が改たまったので、昨日飛ばなかった②を再トライ投稿致します。
この写真、狙いはスエ71だったのですが、よ~く見るとその後ろに白帯車が繋がっています。
遠すぎて御見苦しい写真ですが、ご専門の諸兄に教示頂ければ幸甚です。
なお、小生が投稿の他の3葉の写真の内、④のガラス窓付の貨車が気になっております。何者でしょう?併せてのご教示を期待しております。
河昭一郎様、④のガラス^窓付の貨車の件ですが、その車両はワム1060東京局大井工場配置の検重車控車代用と思われます。
その後同工場の検重車控車代用車はワム53512→ワム60024→ワム68559と変遷し、最後のワム68559はJRに承継されました。しかし今は現存していないので…
マタマタ②の写真がアップを拒否されました。
何だか、この写真が「Akismet」呼ばわりされている様です。
皆様、重ねての失態で、大変失礼致しました。
深くお詫び致します。
白帯ワムのファン様
速攻のご教示に「涙が出るほど」の感激です。
検重車の控車でしたか。道理で窓付き。
認知症直前?(笑)の、小生の知識庫への収納に間に合いました!
唱和44年2月9日、田村駅、近江鉄道見学・撮影会時(幹事は、西村さんか私のどちらか)ワ22です。
こんばんは。初めてコメントさせていただきます。
梅小路機関区でS39年に撮影されましたスエ31101の向こうにつながる白帯の貨車はエ500形のエ600で間違いないと思います。私もS39年に撮影(当時は京都市内の高校生でした)しております。
また、ワム9965(ワム9955)に関して、私のブログ記事内にてこちらのページを参照させて頂きましたこと記載すると共にリンク先を明記させていただきました。事前にお断りせずに投稿いたしましたことをお詫び申し上げます。不都合等ございましたらリンク等を削除いたします。
緩るの時(緩行線)様、
早速の貴重な白帯車の写真投稿大変感謝しております!他に白帯車の写真を撮っていれば掲載して欲しい物でもありますが…ちなみに私の方が情報が大変多いので…
すみません!もう写真が無かったことを忘れていました…!なので諦めます…