須田寛氏を偲ぶ 投稿日時: 2024年12月25日 投稿者: 西村雅幸 デジ青「伝言板」で特派員氏やT氏が須田氏の思い出を披露されています。今朝の中国新聞朝刊に須田寛氏に関するコラムが載りましたので、「伝言板」ではなくこちらに投稿し 偉大な先輩を偲びたいと思います。 令和6年12月25日 中国新聞朝刊 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 三江線廃止は2018年3月末 三江線関連の小ネタ 1題 芸備線100年 追憶シリーズ その5、その6 福山レールエクスプレス号 三次の保存機 山口線、山陰線の復旧は今秋 木次のC56108 改修終わる 風前の灯 三江線(続々報)
いつだったか京都で御尊父の国太郎画伯の展覧会があり、拝見したことがある。多くの絵の中で梅小路の絵があった。それは山陰線の高架下を梅小路駅へ入る引き込み線が描かれていた。いまも同じ場所が残っているので写真を撮ってお送りしたら、大変ご丁寧なお礼状を頂いた。決して偉ぶることはなく、いつも鉄道趣味仲間として接していただいたことは忘れられない。 鉄道ファンである前に常識ある社会人であれ、を心がけているが、まさしくそれを具現されている理想の趣味人だったとつくづく思う。 大先輩、ありがとうございました。 返信 ↓
私もその画を美術館で見たことがあります。国太郎の画は、正直、暗くて抽象的でよく分かりませんが、この画は、ちょうど大宮陸橋の前後あたりでしょうか、昼間の時間帯に描かていて、当時の雰囲気がよく伝わります。この付近は、みんなで鑑賞した「特急三百哩」にも登場しましたね。 返信 ↓
いつだったか京都で御尊父の国太郎画伯の展覧会があり、拝見したことがある。多くの絵の中で梅小路の絵があった。それは山陰線の高架下を梅小路駅へ入る引き込み線が描かれていた。いまも同じ場所が残っているので写真を撮ってお送りしたら、大変ご丁寧なお礼状を頂いた。決して偉ぶることはなく、いつも鉄道趣味仲間として接していただいたことは忘れられない。
鉄道ファンである前に常識ある社会人であれ、を心がけているが、まさしくそれを具現されている理想の趣味人だったとつくづく思う。
大先輩、ありがとうございました。
私もその画を美術館で見たことがあります。国太郎の画は、正直、暗くて抽象的でよく分かりませんが、この画は、ちょうど大宮陸橋の前後あたりでしょうか、昼間の時間帯に描かていて、当時の雰囲気がよく伝わります。この付近は、みんなで鑑賞した「特急三百哩」にも登場しましたね。