青い電車と、丸物と、~京都市電烏丸線写真展から①

京都市電烏丸線の写真展、多くの皆さんに来場いただき、いろいろな話をお伺いしました。まだその余韻に浸っています。なかには、初対面の方から“デジ青、見てまっせ”の声もあり、本欄が多くの皆さんに支えられていること、改めて感じています。

さて、写真展会場では“珍しい写真、見せてもらいました”の声をもらうのも、ひそかな楽しみでした。その一例が、表題の「青い電車」「丸物」でした。見学者の中心である中高年にとっては、小さい頃に、見たような、見たことがないような、かすかな記憶が、写真によって蘇ったことでしょう。なかでも、“色”や“文字”と言った、視覚にしっかり訴える要素は、より強烈なものだと感じました。

青い電車

▲  “こんな色、走ってましたんか!” あえて入場口の柱の目立つところに掲げただけに、皆さんから声を掛けられた。「見たことある」より「見たことない」が多かったようだ。京都市電2000形2600形は、昭和39年にデビューして、烏丸線などを走り始めた。ラッシュ時は連結市電ツーマン、閑散時は単行ワンマンカーとして使用するため、その識別、とくに初のワンマンカーとして、事前の料金の用意を促すため、スカイブルーに塗られた。

ところが、明るい色だけに退色が激しいこと、また別個の塗料が必要でコスト高であることの理由で、まもなく、ほかと同じグリーンに塗り替えられました。青の時期は、ごく短かったものの、正確な年月が分からず、会場での問いには「3、4年で塗り替えられました」と曖昧に答えておいたのですが、写真展が終わって、改めて雑誌で調べると、昭和42年3月に塗り替えの第一号が登場した報告を見つけました。したがって、早いものは3年で塗り替えられたことになり、印象に残らないのも当然でした。

この写真は、かの有名なTさんの撮影で、コダクロームで撮られ、60年以上が経過しても、当時の雰囲気がよく伝わります。会場に来ていたシナイセンの山本さんから、「これ発掘したのは、オレでっせ」の声が。なんでも、沖中さんから、会誌に載せるため、Tさんのところへ行ってカラーを借りるように言いつけられたそうで、その時、Tさんから渡されたのが、このポジだったと言います。

いっぽう、改造車の2600形は、私の撮影を展示した。今でも覚えているのは、昭和42年4月だった。九州で撮ったカラーポジにまだ余りがあり、早く現像に出したかった。新聞で塗装変更の話を聞いた日曜午後、自転車に乗って御所まで行き、単行ワンマンとして使用の2600形を撮った。今まで顧みることが無かったカラーだったが、改めてスキャンしてみた。国産の劣化甚だしいカラーネガからのスキャンで、Tさんとは比較にならないが、烏丸線の写真展をすることなど当時は思いも寄らないことだが、よくぞ撮っていたものと思った。

今回はカラーを皆さんから提供いただいた。西村雅幸さんからは、烏丸御池で緑に塗り替え後の2000形を見せてもらった。背後に、いまの新風館、その次に写真展会場が収まっている。その時は、気が付いていなかったが、青の時代と同じ2006号だった。これは比較になると、2点組で柱の上下に展示して、色の移り変わりが分かるようにした。

▲▲そして2006号は、昭和52年に伊予鉄の松山市内線へ移動する。当初は、クリーム色ベースの旧伊予鉄カラーだったが、その後、同社のコーポレートカラーのオレンジ一色、さらに側面に地元の砥部焼の告知を入れた、現在の「砥部焼カラー」も、シナイセンの山本さんから提供してもらって、会期の途中から展示し、2006号の青→緑→オレンジの3色比較をすることができた。

会場からは“青はええ色やった”の声が大半でした。いま青を偲ぶとすれば、梅小路公園に保存の2001号で、緑の塗装の一部剥がれて、元の青がわずかに覗いているのを見るだけですが。ある方から、“松山で復刻したらエエのに”の声も。たしかに! 暑苦しいオレンジ一色より、スカイブルーにクリームの二色塗分け、なんとも爽やかな、路面電車らしい塗装だったと、いまもしみじみ思うのでした。

 青い電車と、丸物と、~京都市電烏丸線写真展から①」への2件のフィードバック

  1. 写真展が終わって一週間、力が抜けてしまったのかぼ~っとしておりました。寝る前にデジ青を開いてみると、新しい投稿が載っているではないですか! しかも「青の2000形」とは! 
    私は市電に興味を持って日が浅く、烏丸線に乗ったのも数えるほどしかありません。リアルタイムでスカイブルーの市電を見た記憶もありません。会場で尋ねられても昭和40年前後のごく短い期間としか答えられず、申し訳なく思いました。ただ、実際に乗った方は少なく、ほとんどは「こんな市電があったんやなあ」と驚いておられました。連結運転も実際に見たことがなく、かろうじて連結器を付けた2600形を見ただけです。
    「シナイセンの山本」様のような若い方が市電に興味を持たれ、びっくりするような知識をお持ちのことは頼もしい限りです。忙しい中にもかかわらず会場に顔を出してくださり、いろいろと教わったのもうれしいことでした。
    添付の画像は1971年1月、わら天神前で見た連結器付きの2600形です。青塗装の市電があったことも、2両連結で運転していたことも知らない中学生でしたが、よほど珍しいと感じたのでしょう。

  2. 紫の1863さま
    懐かしいわら天神前での2600型の写真を有難うございました。1971年の暮れに転居しましたので、この頃はまだこちらの住人でした。例によって連想ゲームではありませんが、連結車運行開始頃の運行系統についての想い出です。小生は西大路線しか目撃していないので他線の状況は知りませんが、連結車は通常系統での運転のみならず、臨時系統で北大路線から西大路線を西大路九条まで行く系統にも投入されていました。わら天神付近での目撃ですからこの臨時系統の起点はわかりませんが、市の北西部から西大路線沿線に在った工場や西大路駅への通勤者のためだったようです。普段は運行しない臨時系統だったことや、青2両の珍しい車両だったこととで強く印象に残っています。

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