最近は日本の人口が減少に向かい、特に地方では過疎化が進んで鉄道のローカル線や路線バスの廃止のニュースをよく見る。このような中でも東京だけは人口があまり減らないのか多くの駅で電車がひっきりなしに上下する風景が見られる。東京、新宿、渋谷、池袋、上野界隈がそうであるし先日も総本家さんが中央本線阿佐ヶ谷での複々線4列車総並びを発表されておりその一端がうかがえる。関東では私鉄に目を向けると関西の阪急十三、南海新今宮、近鉄鶴橋のような圧巻的風景は見られないが東急東横線の多摩川駅では実に多種の電車が見られる。特に最近は神奈川県内のみ(横浜-海老名間、支線の二俣川-湘南台間、厚木貨物線)の営業であった相模鉄道がJRや東急と相互乗り入れを実施して東京心部や埼玉県まで顔を出すようになったことで多摩川駅の車両のバラェティを深めている。
東急多摩川駅では東急の他、横浜高速鉄道(みなとみらい線)、東京メトロ、東武鉄道、西武鉄道、東京都、埼玉高速鉄道、そして相模鉄道が加わることにより8社の車両を見ることができる。各車両ほぼ同じ位置の単調で面白みに欠ける記録であるがこれだけの会社がそれぞれ2~3種類の車輛を投入してくるので飽きることはない。併走も含めて発表してみる。
まず最初に今回の定点多種車両撮影に至った起爆剤的な相模鉄道についても若干触れてみたいと思う。独特の単一カラーでよく目立つ相模鉄道通称相鉄は以前は準大手私鉄の位置づけであったが、1990(平成2)年4月にいずみ中央駅まで延伸されたのを機に同年5月31日正式に大手民営鉄道として認定を受けた。相模鉄道の歴史がややこしいのは相模鉄道とは現在のJR相模線のことで大正6(1917)年に創立され、現在の相模鉄道は当初神中軌道、後に神中鉄道となった鉄道でやはり同時期の創立である。昭和18年(1943)年には神中鉄道は相模鉄道に吸収合併され、元の相模鉄道自身は1944年に国有化され残った神中線が相模鉄道となって今日に至っている。その間相模鉄道は東急になったり小田急の干渉があったりして紆余曲折の歴史があったが横浜駅西口(相鉄ジョイナスや高島屋のある所)の土地買収により安定的な経営をするようになったと言われている。私が最初に見た相模鉄道には神中時代の汽車ポッポのムードが残っていた。駅の改札口は木製のラッチが多く海老名などは田圃に蛇が出てくるような田舎であった。1955年の流線形湘南窓ボディマウントの5000系や続いて登場した1961年の6000系20メートル車の導入で大手に近づいて来たように思う。5000系、6000系の写真である。
1972.2.20 大和付近を行く急行海老名行き5011。湘南窓に車体下部を覆ったスタイルに人気があったが直ぐに更新改造されて消えて行きそのスタイルが惜しまれる車両である。▼
1966年8月13日 大和-大塚本町(1975年8月廃止で2駅となりその一つ現在の相模大塚)を行く海老名行き6000系後部6014。上の5000系に続き相鉄の近代化に貢献した6000系。同じ車体で吊り掛け駆動の3010系がある。▼
参考までに相模鉄道の乗り入れ状況を表した図である。少し見づらいと思うが全体図として掲載した。
それでは多摩川駅にある東急電鉄の車両から順に発表する。
<東急電鉄>
東急3000系はかつての雑多な旧型車に続く2代目3000系として1999年に目黒線用に登場した車両である。2018.10.2各停日吉行き3105▼
3020系は田園都市線向け2020系を目黒線向けにアレンジしたものでなかなか巡り会えずこのシリーズ発表後にやっと撮影できた。SDGsトレインの後ろ姿で残念であるがこれで多摩川駅で見られる車種は網羅したものと思う。
5000系は初代5000系(通称青ガエル)の2代目の標準車輛5000系で3バージョンある。5000系は田園都市線、5050系は東横線、5080系は目黒線用である。
5000系は東急田園都市線用にデビューした車両で車体上に青のラインが入った10連であるが、5118F~5122Fは東横線用8連である。このうち5122Fは初代5000系(青ガエル)を模したラッピング塗装である。2018.10.2各駅停車元町・中華街行き5822▼
5050系は東横線用でJR東E231系と設計、部品の共通化を図った。このうち4110F渋谷の商業施設「ヒカリエ」を宣伝した黄色っぽい塗装。5050系でも4000番台とはややこしい。2024.1.15東京都6320-8各停日吉行きを追い抜く特急元町・中華街行き4010「ヒカリエ」号▼
SDGsとはご存知の方も多いかと思うが持続可能な開発目標ということでビジネスの世界ではお偉い先生や経営者の方々はよく使われるが、私はよくわからない。東急では西の阪急グループと連携してSDGsトレインが走っている。5875のSDGsトレインは何となくケバケバしいが西の方でもSDGsのラッピング車両を写されたら発表願いたい。▼
5080系は5000系の目黒線版で2003年に登場。車体上部には紺系(ネイビーブルー)の色が配色されている。2018.10.2急行日吉行き5681▼
<横浜高速鉄道>
次は横浜高速鉄道みなとみらい線(桜木町-元町・中華街)Y500系で東急2代目5000系と共通設計である。2018.10.2 横浜Baystarasのマーク付きのY502各停元町・中華街行き。▼
<東京メトロ>
東京メトロ7000系は6000系と共にそのユニークなスタイルが特徴であったが今は見られなくなって寂しい。2016.8.4各停元町・中華街行き7131、急行日吉行き9818の併走をとらえた。一番左にも上りの7115が見られる。何れも東京メトロの車両である。ここで東急線を紹介すると両端が東横線で渋谷から東京メトロ副都心線方向、中間が目黒線で目黒から都営三田線、東京メトロ南北線方向と直通連絡している。▼
正面が丸みを持った東京メトロ10000系も有楽町線、副都心線用の主力車両である。特急元町・中華街行き10134が同じ東京メトロ9817各停日吉行きを追い抜く。▼
同じく東京メトロ有楽町線、副都心線用最新車両17000系で2021年より営業している。各停元町・中華街行き17195で東京都6317-8日吉行きと併走。左は上り東急5000系。総本家さんの阿佐ヶ谷のように4列車揃い踏みは未だ達成できていない。▼
東京メトロ9000系は東急目黒線、都営三田線、埼玉高速鉄道線との申し合わせで1990(平成2)年に登場したアルミ車体の車両で水色っぽい塗装が特徴。2021.2.19各停日吉行き。▼
<東武鉄道>
東武50000型は日立が開発したアルミ合金車体の次世代車両製造システムA-トレインのひとつで2005年から400両以上製造されており、東上線用50000型、伊勢崎線半蔵門線対応50050型、東上線副都心線対応50070型、東上線TJライナー用ロング・クロス転換装置車輛50090型に分けられる。写真は2020.9.22特急元町・中華街行き50070型51075で左の埼玉高速鉄道2803各停日吉行きを追い抜くところである。▼
東武9000型と90050型は東上線にあって地下鉄有楽町線、副都心線対応である。9000型は1981年に登場しAFEチョッパ、ミンデン台車、90050型は94年に登場しVVVF、ボルスタレス台車で外観もコルゲート、ビート処理、方向幕のLED化など登場時期によって違いがある。写真は特急元町・中華街行き9000型9108であり車体側面がコルゲートでなくビート処理仕上げである。▼
<西武鉄道>
西武6000系は1992年から営業に入っているが車両は詳細に見ると正面が銀色と白色があり、戸袋窓もあったりなかったり、車体もステンレスありアルミありでパンタグラフもシングルアーム化されたものもあるなど多彩である。東横線へは特急で乗り入れてくることが多いが、各社ともに自社線内、他社線内で列車種別が変わるようで複雑であり私もはっきり捉えられていない。2018.10.2特急元町・中華街行き6008▼
西武40000系は2017年に登場して座席指定列車に使用すべくロング・クロス転換装置を持った車両であるが、2019年に登場した40050系はオールロングシートで地下鉄有楽町線・副都心線乗り入れにも使用されている。写真は40050系40055で2024.1.17特急元町・中華街行きである。▼
<東京都>
都営6300系は6000系に続く三田線用車両として1993(平成5)年に登場、東京メトロ南北線、東急目黒線、新横浜線、埼玉高速鉄道線との申し合わせの設計で三田線、東京メトロ南北線を中心に他社線へ乗り入れている。2024.1.17各停日吉行き6315-8▼
都営6300系の後継車両として2022年にいろいろと最新技術を採り入れた新鋭車両車両である。ユニバーサルデザインを採り入れた「人に優しい車両」とあるが、世の中がこれほどギスギスしており、せめて正面だけでも何とかならなかったのかと思う車両である。▼
<埼玉高速鉄道>
埼玉高速鉄道は平成13年に赤羽岩淵ー浦和美園間を開業。2000系車両6両編成で通しているが東急、相鉄、東京メトロなど乗り入れ他社が8連化を始めているので今後の動向が気がかりである。2024.1.17急行新横浜行き2801▼
<相模鉄道>
相鉄20000系は東急線との直通運転に対応した車両で2018年から営業についている。その独特のカラーはヨコハマネイビーブルーといささかキザっぽいネーミングであるがとにかく目立つ色と思う。何でも相鉄創業100周年記念ということで駅設備や車両のデザインを一新した時の新型車両である。この車両も日立のアルミ製A-trainである。2024年1月17日急行湘南台行き20002。▼
21000系は2023年3月に相鉄・東急直通運転が始まったがその対応を行った車両で多少改良されているが外観を含め20000系と大差がない。特に東急目黒線方面直通に特化した車両である。2024.1.17急行海老名行き21108▼
同じ21000系をもう1枚。この車両の行先を見てどこへ連れて行かれるのか迷うお客もきっとおられるのではないかと思って出してみた。上京した関西人でもDRFC以外はわからないと思う。2024.1.17急行西谷行き21107 ▼
撮影した多摩川駅であるが、1923(大正12)年に目黒蒲田電鉄(東急の発祥路線)多摩川駅として開業したがその後1926(大正15)年に丸子多摩川駅、1931(昭和6)年に近くに遊園地があることから多摩川園前駅に改称した。その後1977(昭和52)年に多摩川園駅に改称し、2000(平成12)年に目蒲線が目黒線と地下から出発する多摩川線に分割された時期に再び多摩川駅と改称されて現在に至っている。尚、多摩川遊園地は1979(昭和54年)に閉園されている。1968.7.31写真は多摩川園前駅時代の目蒲線目黒発蒲田行き3510である。▼
準特急様
多種多様な車両に出会うことのできる格好の場所ですね!私は相互直通運転が大好きで、その理由の一つは先述の車両の多様性です。一日ホームに居ても飽きることはないでしょう。
関西ですと、大和西大寺(近鉄奈良線・京都線・橿原線)でしょうか。「一日居れば」近鉄特急をほぼコンプリートできますし、阪神1000系・9000系、京都市営地下鉄10系・20系に出会うことができます。関東程とはいきませんが、大和西大寺駅はオール動態保存(?)の車両博物館といえるでしょう。
*相鉄厚木線、初耳でした。情報ありがとうございます。
奈良の駅名研究家様
早々とコメント頂きながら遅くなり申し訳ありません。2016.11.13 21:40の近鉄西大寺駅での撮影ですが近鉄普通列車8604と阪神9202です。阪神車はメモによりますと回送とあります。尚、相鉄の厚木線は横浜から終点海老名に到着前に相模国分信号所というのがありましてそこから小田急小田原本線を跨いで海老名車庫の横を下ってJR相模線と並行して厚木まで行っております貨物線です。旅客営業は大昔はやっていたそうですが1941(昭和16)以降はやっていないそうです。同社の電機が厚木線を走っているのは見たことがあります。JR相模線で厚木駅に進入前に相鉄の廃車予定と思われる車両がよく並んでいるのを見かけます。
準特急様
お返事くださいまして、ありがとうございます。
関東の相互直通運転網には大変興味があります。ぜひともシリーズ化していただき、またの投稿を心待ちにしております。
駅名喫茶店も引き続き、気まぐれで新メニューを提供してまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
準特急様
圧巻の「東急多摩川駅にて」読ませて頂きました。8社もが同一線内を走っていたとは知りませんでした。鉄道の高速大量輸送は大きな使命の一つですが、同時に大きな魅力でもあります。しかしどの鉄道線の車両も正直なかなか頭に入ってきません。基本的にどれも20メートル4ドア無塗装車体で、革新的な電車として登場し、その後各社にも大きな影響を与えたJR東日本の209系~233系と同じに見えてしまいます。共通仕様の中に各社こだわりの独自色を見つける妙味はあるのでしょうが、ついていけてません。相鉄の12000系には昨夏東急相鉄横浜新線に乗りに行きましたが、外観のインパクトに比べると車内はいたって普通でした。近年、東京の私鉄で一番変貌したのは相鉄でしょう。以前は、横浜より西へ走るちょっとローカルな通勤電車という感じで4ドア固定クロスシートも似合っていたように記憶していましたが、濃紺の電車が東京都心に乗り入れるのはちょっと衝撃でした。脱線しますが、209系と言えば革新性と裏腹に各社に伝播した画一性から「平成のロクサン」と揶揄もされました。その源流たるロクサンことモハ63型電車こそが、東武7300型や小田急1800型のように各社でも活躍し、戦前は中小型車ばかりだった東京の私鉄の大型車体化を促進し、高度成長に向かう日本の大量輸送を支えました。昭和は遠くなりにけりです。釈迦に説法で大変失礼しました。写真は、昨年7月末の相鉄海老名での10000系
ブギウギ様
感想有難うございます。8社同一路線ですが必ずしもそうとは言えないかもしれません。多摩川駅の両サイドは東横線で東急、横浜高速、東京メトロ、東武、西武、相鉄、真ん中の目黒線は東急、都営、埼玉高速、相鉄が走り、両線を走る東急、東京メトロ、相鉄は走行路線により形式が異なります。20メートル4ドアは当然共通ですが、各社相互協定を結んで乗り入れ対応を行った車両を投入しています。JR東209系は1993年にそれまでの103系の後継として京浜東北・根岸線に投入され10年位持てばよいというような思想があったと思います。今でも房総地区のローカル線の主力車両です。209系はある面で画期的な通勤電車となった車両でその後JR東では画一的な車両が増え趣味的には面白みがなくなりましたが、企業としては効率経営が求められ致し方ない部分があります。私鉄でもJR東の通勤型車両と共通性を持たせた車両が多くなり以前よりも独自性が失われていますがそれでも車両の外観特に前面の顔やわずかに残された塗装部分に違いが見られます。話はかわってロクサン型は投入された私鉄各社の車両限界を拡げるなどの功績があったと思いますが山陽では阪急・阪神との相互直通運転用に19メートル車にしたと思います。近鉄と阪神の車両、ドア数が異なることについてはよくわかりません。最後に共通運転は線路が元々繋がっていて運用面で分断されていた上野・東京ライン、湘南・新宿ライン、埼京・川越・臨海線、特に湘南・新宿ラインはいつも混んでいます。これなど成功した例です。1372ミリという特殊ゲージで東京都にそのゲージで直通運転させた京王ですが乗り通してみると都営線内はガラガラで客も新宿で入れ替わっているような気がします。要するに関東ではJR線の直通運転の方が顧客ニーズに合った直通運転と思われます。
準特急様
横入りで恐れ入ります。
近鉄の阪神線直通車両は21 m車(20.5 m車)4扉、阪神車は19 m車3扉です。従いまして、輸送力を確保するため、決まって平日朝の近鉄奈良線の快速急行には近鉄車が充当されます。
近鉄車は御影駅でのオーバーハングにより、ホームと車体との間にすきまができるため、「快速急行」は御影を通過します(「特急」は停車)。
扉数の違いで当然、乗車位置は異なってきます。ホーム上で案内は、両者ともに自社線内での自社線車両は「〇」、他車線車両は「△」です。
近鉄奈良線では、〇:近鉄車・△:阪神車、阪神線内では、〇:阪神車・△:近鉄車といった具合です。
奈良の駅名研究家様
ご回答ありがとうございます。各社それぞれ事情があり勝手に口出しできませんが、本来は相互乗り入れに〇や△を使うのはどうかと思います。致し方なかったのでしょう。阪急今津線で通学していた頃は500形や300代の小型車ばかりでたまに神戸線の810形を見るとえらい長くて格好いいと思っていました。それでも後年ヨーロッパや中国に行きますと25メートルくらいの車長があり日本に戻って来てJRなど20メートル車を見ると小さく感じました。軌道電車だった阪神は長い間小型車天国で御影駅など特急を停車させるようなムードもなくカーブ駅で気の毒に感じたものです。同じ軌道法だった阪急神戸線は駅の数も少なく阪神に比べると直線が多く920形など17メートル車の普通(各停)でも100Km/h以上で飛ばしていたことを思い出します。有難うございました。
準特急様
首都圏の電車の相互乗り入れは、もっと平板な関西からすると複雑怪奇であり面白くもあります。今度、東急多摩川駅で駅撮りしてみようと思いました。主題からは外れますが1985年8月の蒲田駅の写真を貼っておきます。
ブギウギ様
よう撮ってましたね。東急最後の吊り掛け車群で張り上げ屋根でヘッドライトが下部に2灯化された最晩年の姿。併走した雰囲気も見事です。多摩川駅では先日も大阪福島から来た若いファンがサンライズで上京したとのことでその後小田急に行くと言っていましたので昼頃なら和泉多摩川が手ごろだと教えてあげました。東武の板荷方面や小湊でも関西ファンに会いました。上信電鉄では京大鉄研の若い人にも出会いましたが私の家の近くに住んでいるとのことでした。ブギウギさん! この様なカラーの傑作をまた見せてください。
準特急様
恐れ入ります。では調子に乗って3450型を出させて頂きます。非貫通もありましたがこの幌付きはかっこいいなと思いました。1984年2月自由が丘
ブギウギ様
線路には雪が残っていますし、電車正面の顔が綺麗に写っています。行先が五反田と表示されていますが、五反田行きは池上線の電車で上の高架は大井町線ですので自由が丘駅でなく旗の台駅です。
準特急様
失礼致しました。記録を修正しておきます。もはや撮った時の記憶が無いもので。もうこれくらいにしておきますが、多摩川園でも撮ってました。昭和60年の8月です。
ブギウギ様
ただでも少なくなったコメントですが味のない関東の話題によく食いついてくれました。感謝いたしております。多摩川駅で見られる車種でもう一つ、今のところ3編成しかない東急3020系です。先日風の強い中で後ろ姿を撮りました。そのうちに用意しますが田園都市線の2020系の目黒線版です。そんなことを言ってもわかる人はいないと思いますし期待されていないのでゆっくりやります。奈良の駅名研究家さんも有難うございました。
準特急様
近くに住んでいながら なかなか撮影に行っていません。玉川駅では多くの会社のいろいろな車両がやってきますが、ねらいの車両はなかなか来ないものです。多彩な車両を根気よく撮影された努力は素晴らしいと思います。またご一緒できるのを楽しみにしています。犬伏
INUBUSE様
返事が遅くなりまして申し訳ありません。有り難うございます。そういえば沖中さんが関東私鉄乗りつぶしの旅で上京された時にはよく犬伏さんに同行していただきDRFCにあまり縁のない相鉄線も先導していただいたことを思い出します。多摩川駅も撮り残しがあり本日追加して東急3020系を入れました。
近年、時間があると東京に18きっぷで行き、安いゲストハウスに泊まる旅を繰り返しながら、首都圏周辺のこれまで行ったことのない街を見たり、歩いたりしています。
関西45年の九州出身者から見て思うのは、暴力的な資本の投下と集中で、確かに便利でしょうし、首都圏に全国民の6割近く集まって来たら、国の是は彼らの生活の利便を図り、不可能を可能にするような直通運転肯定主義みたいな、蟻のような国民がへたり込んでしまうような、パワーにただただ平伏。私も余生になって来たのでそれに異論を唱えても相手にされないので、ただ眺めているだけです。
昨年の相鉄と東急の新横浜線開通直後の風景も見て来ています。
これは相鉄を名乗っているけれど実質東急が化けているのじゃないかと、妄想しました。兎に角この30年の東京の変貌は凄まじいものがありますが、目を地方に移すと語るのも辛い衰退しきった現実があります。
関西に住むのは両方の現実から逃避しているみたいに、考えたりします。