デジ青読者の皆様、明けましておめでとうございます。新年早々、能登、羽田、小倉と惨事が続いていて、遠く離れているとは言え 何だか落着かない新年です。こちらは穏やかな新年を迎えた広島ではありますが、鉄道の世界では芸備線の行く末に注目が集まっています。従来、ローカル線の存続は地元自治体と鉄道事業者との協議で存廃が決まってきましたが、初めて国が加わった3者で芸備線の行く末についての議論が始まります。中国新聞は以前から「鉄路のあす」と題した特集記事を不定期で連載していますが、この度の元旦朝刊では2面を割いた特集記事が掲載されましたので、ご紹介致します。広い紙面なので、8分割でスキャンしました。重複部分も多いのですが悪しからず。では本年もよろしくお願い致します。
以上です。
1966年3月6日、東城駅、C5892、広島発新見行です。
非鉄の友人と卒業旅行をした時で、新見で津山行(キハ35×2)、津山で姫路行(C58牽引の客レ)、姫路で門司発大阪行、22時49分に大阪到着後、友人と別れて、鉄旅行を開始、23時50分発東京行に乗車、豊橋で降りました。
昭和39年10月号の時刻表では、東城から乗った新見行は、姫路まで直通していました。
記事中にある藻谷主席研究員様のご意見ご指摘に全く同感です。そもそものJR化に際して、国のしっかりした交通政策が描かれないまま、赤字解消という数字マジックと組合潰しを目的として民営化が実施されたことと、その後の人口減少等に伴う社会情勢の大きな変化に対応しなかったこともあって、ここへきて問題点が噴出してきたものといえます。民間会社になったJRが不採算路線を廃止したいと考えるのは当たり前の話で、それをとやかく言うことはできません。民営化とはそういうことでした。従来実施してきたバス転換してハイおしまいの手法はバス乗務員の不足から、実施に赤信号が点るご時世ではこの手も使えなくなりました。民間会社のJRに確保を要請するならそれなりの対策が必要です。そこで必要になるのが国として交通をどう確保するのか、そのためには何が必要か、何をなすべきかというビジョン「政策」です。指摘されている「上下分離」でさえやっとレールに乗ったところで、議論が進んでいるとはいえない状況です。
とはいえ今回国が加わって協議会が開催されることになったのは大きな一歩前進だと評価したいですね。しかしまだ交通政策のグランドデザインが固まってのこととはいえず、どこまで機能するのか注視したいと思います。単なる行司役では時間のムダ使いに終わりますが、その可能性は否定できないことを危惧します。