昨夜遅くに私とは違って台南のホテルに宿泊の隊長さんより「明日は台南を 8:32発の区間車で新営に向かい、良い場所があったら下車。一段落として北上、莒光号を撮影して新営です。」とのラインが入りました。不銹鋼號さんからは「環島之星号は嘉義9:42発ですので撮影したい。」との追加連絡です。ただホテルに付いて夕食の駅弁を食べてからは爆睡体勢に入ってしまい起きたのは 4:28でした。
ラインを見てから「明日嘉義 7:34発の区間快に乗車、8:24着で合流します。」と返信しました。これなら本隊と合流出来て置き去りにされることはないとのプランでした。
ところがラインを出した後、まだ早すぎるからもう少し寝ておこうと再度ベッドに入ったのがいけなかったようです。次に起きたのは7時半過ぎでした。乗車する予定の列車は既に出ていました。二度寝をしてしまって連絡した列車には乗れなくなりました。次の列車は 8:25発の区間車ですと再度ラインを出しました。
第5日目 11月2日
7:53 まだ次の列車には間に合いますので、1階食堂へ降りて朝食です。
▲ 高雄のホテルとは違って台湾料理の品数はまあまああるのですが、美味しそうには見えずお味も同様です。特にフルーツに出される緑色の皮付きは硬くて歯の悪い私は好みません。他にも台湾には柔らかく美味しいフルーツが沢山あるのに残念です。
▲ 8:07 嘉義駅前の阿里山行きのバス停は今日も長蛇の列です。8時から売り出された鉄道のきっぷが取れなかった観光客なのでしょうね。
▲▲ 改札口前に掲示されていた大きなポスター。
「タロコ・ピューマ・新自強」には悠々カードや定期券では乗れません、違反者には、50%増の料金が加算されますとの注意画きです。私も一度経験があります。
新自強3000系運行が増えて莒光号や自強号が置き換えられて運行されていますので違反者が多くなったのでしょうね。
▲ 8:11 嘉義始発潮州行きの区間車3151次が入線してきましたので乗車しました。皆さんは車窓からロケハンしながら撮影場所を決められるようで途中下車の度にラインが入ってきます。さて皆さんとはどの駅で合流できるのか・・・。
隊長さんからは新営を目指すが途中で降りるかもとのラインです。
まだホテルでお休み中の千住のヤスベイさんを除く皆さんは台南で駅撮り後、隊長さんは柳営へ不銹鋼號さんとNETさんは新市へ移動されましたので、お二人と合流のために追いかけます。
① 嘉義 8:25(区間車3151次)⇒9:18 新市
▲ 9:21 新左営始発七堵行き莒光510次、この区間を走る莒光はわずか3往復のみに減りました。お二人に合流、そして隊長さんも来られました。
昨日は台風の余波で曇っていた空も晴れて雲一つない青空になってきました。
もう1日早ければ嘉義車庫でのシェイ火入れが出来たでしょうから、残念ですね。
▲ 9:18 初めて新市駅に降りました。打狗 ~台南開通後の翌年1901年(明治34年)5月15日に「新市街驛」として開業。1920年10月1日 に改称されています。台鉄ではどこでもある鉄筋コンクリ-ト造りのスタンダードな駅舎です。
▲ 9:39 新市発嘉義行き区間車3152次が発車していきました。駅を出たところで高鐵とオーバークロスします。(写真は得意の合成ですが、分かりますか?)
② 新市 9:39(区間車3152次)⇒10:09 林鳳営
▲ 日本統治時代の1901年12月16日に乗降場として開業した林鳳営駅舎です。一面に広がる青々とした水田の中、駅本屋自体は1943年に木造駅舎に再建され、2005年には歴史建築として文化資産登録されています。降りる前から分っておれば駅舎をじっくり見たかったのですが残念です。
▲ 10:14 環島号がやってきました。正面ガラスに太陽光が反射してギラリと光りました。
▲ 続いて10:32に后里行きの区間車到着、10:37には潮州行きの自強103次が追い抜いて行きました。
③ 林鳳営 10:37(区間車3158次) ⇒ 10:4 7 新営
ようやく新営へと向かいます。
▲ 10:47 新営に到着です。開業は林鳳営と同じく1901年12月16日に新営庄停車場としてでした。
▲ 台湾では日本統治下時代に製糖工場が各所に建てられてサトウキビ畑を結ぶナローゲージ鉄道が網の目のように開業しました。新営も同様で工場で製糖された砂糖は西部幹線の駅に輸送されて日本本土へと送られました。
製糖工場の殆どは戦後廃止されましたがナロー路線の一部は文化遺産として残されて観光鉄道として展示、復活運行されている路線もあります。
▲ 駅を出て左方面へ向かうと直ぐにレールを撤去していないかつての路線が現れました。この周辺は広大な駅構内のヤード跡だったようです。
▲ かつてのヤードの中にホームが現れました。隊長さんからはここは新営駅で動態保存されている「勝利号」が到着するとの説明です。
▲ 駅舎には時刻表と運賃が掲示されていました。2路線があり、新栄から中興までは80TWD(約400円)、1日2往復の運行でもうすぐきます。もう1本の路線はかつてのサトウキビ畑まで往復する区間で1日7往復の運行、150TWD(約750円)です。乗車するのが楽しみです。 ▲ 11:48 すぐではありませんでしたがDCの走行音が聞こえてきて勝利号はやって来ました。展示されています勝利号は他でも見てきましたが実際に走っているのを見るのは初めてで感動しました。
▲ 11:50 折り返して戻っていきました。使用されていた車両が保存されている車庫は徒歩10分ほどのところにあるというので線路沿いを南下しました。
遅れて到着の千住のヤスベイさんも合流されました
▲ 12:06 かつての工場があった中心部に到着です。1本の道路が横切っていますがヤードをまたぐように歩行者が通れる横断橋が設置されています。「雲天陸橋」と呼ぶそうです。上がってヤード全体を撮りました。
先程走って行った勝利号もホームに入っています。軌道は一部を除き残されています。ナローと狭軌の3線軌道もありました。台鉄の貨車も入線してきたようです。
▲ 12:09 貨車改造のきっぷ売り場です。勝利号に乗車できるのは30人まで、次の列車のきっぷを購入です。
▲ 売店が入る建物の横には使われたであろうSL382号機が展示保存されていました。
隊長さんは帰国へと桃園空港に向かわれました。今回はメインのシエイ火入れが台風の影響で不発に終わりましたので残念だったろうと思います。次回に楽しみは残されました。
▲ 食堂はありませんが売店はありましたがなぜかお米を売っています。今年は日本では新米が高くになっていて5kgで3,000円強です。ここではブランドの池上米 5kgで400TWD(約2,000円)、やっぱり安いですね。美味しい池上米です。スーパーに米がなくなった8月に輸入すればよかったのにと思いましたがどんな障害があるのでしょうか?
▲ 私の大好きな焼酎も売っていましたがこれはアルコール度数が高いのが高級で値段も高い。720mlサイズで700TWD(約3,500円)もします。
ここでは日常品の商品は殆どなくこんな場所で商売になるのかと思いました。
▲ これほどたくさんの車両たちが働いていたのかと驚くほどの展示です。
この先には急水渓があって橋梁があります。ここで撮りたいとの不銹鋼號さんのご希望を受けて私も一緒に行ってみることにしました。
ヤードが切れる付近にはかつての途中駅のホーム(廠前駅)もありました。
▲ 13:04 勝利号が大きくカーブした橋梁への築堤を上がってきました。
▲ 13:05 満員の乗客を乗せて3線区間の橋梁をゆっくりと渡っていきました。
続いてはこれの折り返しです。再度橋梁で撮りたいと言われる不銹鋼號さんを残して踏切近くの築堤に移動です。
▲ 踏切上の跨ぐような高架事務所(運転指令所)ではヤードのポイント切り替えでも行われていたのでしょうか。たくさんのトロッコが見えます、盛況だったのですね。
▲ 14:00 我々の乗車時刻になりました。今日は金曜日の平日だったので家族連れと言っても幼児たちです。土日は多いでしょうね。
勝利号は自転車並みの速度でゆっくりと走り「店焼火」とか書かれた停車場に止まり折り返しでした。約40分ほどの乗車でした。
▲ 16:03 旧廠前駅には道路が出来て踏切が設置されています。遮断機が下りて警報が鳴る中、勝利号はまた満員の乗客を乗せて走り去りました。
▲ 16:30 戻りは西日が当たる急水渓橋梁で構えて待ちましたが反射光は期待したほどではなかったですね。
新営駅では、一旦残られた3人様とは一旦お別れです。皆さんは台南へ私は嘉義へと戻ります。明日またよろしくとお礼を申し上げて逆方へと向かいました。
④ 新営19:55(区間車3248次)⇒20:18嘉義
▲ 20:26 少し延着しましたが嘉義到着です。今日はよく動きました。早く夕食を取って風呂に入って早寝です。明日はどこへ行くのか? Part 6 へ続く