巷では「青春18切符」の廃止が噂されているがJR東日本の「大人の休日俱楽部パス」もどうなるか心配である。「大人の休日俱楽部パス」はJR東日本管内各路線を連続4日間乗り放題で座席指定が6回分ついて15270円と格安であったが、今回からは1日延びて5日間になり料金も19800円(えきネットで購入の場合は1000円引き)となり1日あたりにすると少し安くなったが高齢者が5日連続は厳しい。さらに東日本+北海道27620円というものもある。JR東日本では新幹線の「はやぶさ」「こまち」「つばさ」と在来線の中央、常磐、伊豆方面、高崎・吾妻線関係はオール座席指定となり少し利用に難がある。そんなこんなでブツブツ言いながら梅雨に入った6月24日(月)から28日(金)迄の5日間日帰り乗り鉄に挑戦してきたので1965~6年頃の関連写真を含めて若干の報告をさせていただく。後期高齢者なので①乗り鉄に徹する、②撮影は駅付近に限定し無理しない、③宿泊料金高騰で日帰りとするという方針で一人旅に出かけた。
(1)1日目6月24日月曜日は自由席のある列車利用でアルピコ交通(松本電鉄)上高地線の一番手軽な信濃荒井の鉄橋で撮影することにした。東京からは9時4分発E7系「あさま605号」で10時41分に長野に着く。直ぐに話題の敦賀行「かがやき507号」が到着して発車して行ったが撮影し損なう。次に篠ノ井線11時発名古屋行き「しなの10号」に乗る。勿論JR東海の383系である。塩尻まではJR東管内ということで大人の休日パス利用が可能でよく利用する。アルピコ交通は2本とも元東武20000型、20050型の20100系に変わっており京王井の頭線3000系は出番がなくなったようだ。20100系は京王重機で改造したためかシートは京王8000系と同じ緑色模様である。何れも中間車改造なので運転室を新設している。帰りは松本14時6分発「しなの11号」で長野からは15時25分発「あさま622号」に乗車した。「あさま」の車両はJR西のW7系で東京着は17時12分であった。晴れて蒸し暑かった。渚₋信濃荒井間新島々行き20102+20101。▼
思い出の記録① 1966年2月12日の長野駅である。12時7分長岡発330列車高崎行きがD51162[直江津]牽引で到着。D51はマニを牽いて役目を終えて退出。▼
代わってEF6210[高崎二]が28分の停車後12時35分に出発していく。EF62は新製時の茶系の塗装である。▼
(2)2日目6月25日火曜日は8時23分発古参となったE2系の各駅停車「なすの253号」で郡山に向かい10時15分発E721系4連「快速あいづ1号」で景色の良い磐越西線のアップダウンを先頭車から楽しむ。会津若松からはとんぼ返りで11時30分に出発するE721系2連の快速で戻る。行きも帰りも途中の車窓風景を眺めていたが磐梯山は梅雨空で生憎顔を出さず。途中D50やD51が活躍した旧スイッチバック中山宿駅をカメラに収めた。私自身は大寺(現磐梯町)-翁島間の名所とか中山宿では降りたことがない。ところで磐越西線と信越本線は蒸機の最も似合う路線と聞いたことがある。
車窓から見た旧中山宿スイッチバック駅▼
思い出の記録② 1966年3月22日磐梯高原の川桁-猪苗代間を行く郡山発新潟行き227列車で牽引機は会津若松区のD50であった。名曲「高原列車は行く」の沼尻鉄道は川桁から出ていた。▼
(3)3日目6月26日水曜日は弘前迄の往復である。この日の往復だけで「大人の休日俱楽部パス」5日間分の元を取ることができる。老人の特権とは言え随分安いと思う。この旅行はいつも宿を予約せずに前日の天気予報で晴れていそうなところ選んで旅行を続けている。この日は東京9時8分発E5系「はやぶさ11号」に乗ったが座席は真ん中B席しか空いておらず窮屈な旅となった。新青森では帰りの「はやぶさ34号」も予約したがこれまたB席しか空いていない。新青森からは12時47分発E751系「スーパーつがる2号」秋田行きで自由席で窓側に座れてよかったが、弘前迄は26分と短い乗車時間であった。このあたりの列車はE701系ばかりで味気ないが天気は良かった。
以前はキハ40系で運転されていたがハイブリッドのHB-300形302-5。青森発秋田行きが14時26分に到着した。弘前で4分停車し14時30分に発車。弘前、川部でスイッチバックして五能線を経由する。全車指定で4人用ボックス席車両を連結。弘前では各列車の発車メロディーは曲名はわからないが津軽三味線である。この観光列車は車内でも生演奏を聴いたことがある。▼
弘前駅の南東の端には弘南鉄道弘南線のPⅢ台車を履いた7102+7152が見える。▼
帰りも特急「スーパーつがる1号」で青森まで行きとんぼ返りで15時28分発弘前行きE701系で一駅バックし、新青森15時52分新函館北斗発満席のE5系「はやぶさ34号」の窮屈なB席で戻った。
(4)4日目6月27木曜日は八王子で8時34分発「あずさ5号」を予約しようとしたら11時半迄満席とのこと。どうせ甲府あたりから空いてくるので立ち席を求めたが2200円かかるというので諦めて中央線で東京に行き9時44分発E7系「あさま607号」で高崎に向かった。目的変更で今度は上毛電鉄である。高崎10時44分発万座・鹿沢口行きの吾妻線211系で新前橋で乗り換えて11時20分発211系伊勢崎行きで前橋で下車。今回の旅行で最もハードな時間帯に入る。すなわち暑い中を徒歩で2~30分歩き上毛電鉄中央前橋駅に向かわねばならない。ここはローカル私鉄だが30分に1本あり助かる。大胡まで行きいつもの鉄橋で撮影。東京メトロ03系の800形は811+821の1本のみで京王井の頭線の3000系の700形はまだ多く運用に入っておりアルピコのように全滅ではないがその後徐々に減って行くと考えられる。
樋越-大胡間 元東京メトロの821+811の中央前橋行き▼
上毛にもあじさい電車があった。色盲検査のようで見難いが向って正面右下の丸いヘッドマークを見ると紫陽花とある。そういえば大胡の電車留置線の脇には多くの紫陽花が植えられていた。大胡‐樋越715+725西桐生行き ▼
帰りの前橋駅までの歩きもうんざりする。前橋は16時13分始発のE231系小田原行きで新幹線を撮るべく高崎に戻る。ここでは長野で撮り損なった敦賀行き「かがやき」が目的であった。新潟行き「とき329号」がE7系で17時7分に到着。4分停車の間に目的の敦賀行きEかWかわからないが7系「かがやき511号」が中線を追い抜いていく。▼
目的の列車を撮り終えたので17時16分発のE7系各駅停車「あさま626号」で帰る。
(5)5日目金曜日最終日は再び晴れ間の望める青森とした。座席は行きも帰りもまた3人掛けのB席である。この時期に何故人の移動が多いのか。見ると私を含めて高齢者ばかりで子供とかファミリーは見かけない。元気な爺さん婆さんが旅をしているのだろう。新函館北斗行き「はやぶさ9号」は雨の東京を8時37分に出発。窮屈なまま新青森まで乗り通すが、盛岡以北は晴天となる。青森など梅雨前線の影響が少ないのか快晴である。この日は12時20分発E701系弘前行きに乗り二つ目の鶴ヶ坂で降りる。他に降りる人はいない。ここは何度か降りたことがあるが駅自身が大きくカーブしており中線は撤去されている。そのカーブを利用して撮ったクハE750-1を先頭とする秋田行き特急「スーパーつがる1号」で2日前に弘前迄乗車した列車である。▼
E701系電車が多い中で15時6分662D弘前行きが到着した。電気式気動車GVE-400系の415+410の到着である。▼
思い出の記録③ 鶴ヶ坂は1965年8月31日に降りて撮影しているが上り方向大釈迦よりに10パーミルの勾配がある。その坂を下ってきたC611[青森]牽引の秋田発617列車青森行きの後追いでこの角度で見るとテンダーがC59の戦後形に似た船底タイプである。容量はC59よりはずっと小さい。この日は他に半日でC60106、C6039、C6122などを撮っている。▼
5日間の忙しい乗り鉄を終えて鶴ヶ坂15時58分発E701系、新青森16時17分発満席のE5系の「はやぶさ36号」で雨の東京に戻った。ラッキーだったのは5日間1回も雨が降らず折りたたみ笠のお世話にならなかったことである。
5日間、お疲れさまでした。
私も、28日から7月2日まで、キハ40を撮りたかったので東日本・北海道パス利用で日帰りで出かけてきました。
28日は、「はやぶさ1」~「はやぶさ48」で大沼と道南いさりび鉄道。
29日は「やまびこ51」で陸中折居からカシオペア盛岡回送を追っかけ、日和田へ。さらに、蒲須坂も予定していましたが疲れたため帰宅(カシオペアは帰宅後、地元でも撮影)。
30日は再度「はやぶさ1」~「はやぶさ48」で道南いさりびと函館市電プラス函館競馬。
1日は、午後から出発して上田~長野で115系の乗り鉄。
2日は、大宮、郡山、那須塩原で「アルファ-X」の撮影でした。
5日連続は流石に疲れます。
さて、新幹線はB席ばかりとのことでしたが、私の場合は、えきねっとで購入し発券は出発前日夕方。その間でB席やC席しか取れていなかった新幹線の座席を何回も(20~30回)変更にチャレンジし、結果、すべてA席を確保できました。
えきねっとは、自宅パソコンや出先でのスマホで何回でも変更できるところが利点ですね。さらに、隣りの席は、尾根遺産や元尾根遺産(笑)。
(追伸)アルファ-Xは、基本毎週火曜日に仙台~大宮を2往復しているようです。大宮10:14着10:55発(ただしE8系試運転がある場合は若干後の時刻)、大宮14時半頃着すぐに発。郡山だと上り9:04、下り12:11、上り13:23、下り15:31のようです。
クモハ73東ウラ様
早速のコメントありがとうございます。なんで今回はB席ばかりか疲れる旅でした。私はアナログ人間でして駅ネットをフルに使いこなすテクニックもありません。おかげさまで駅備え付けの自動販売機の座席指定はやっとできるようになりました。長距離新幹線の初電、終電ともいうべき「はやぶさ1号」、「はやぶさ48号」を連日利用できるのも羨ましき限りです。ところでアルファXとは何ぞやと思い検索してやっとわかりました。JR東日本の高速試験車でドクターイエローのようなものですか。旅行の2日目6月25日火曜日郡山駅で上り通過列車で見たこともないグレーの車両を撮っていました。クモハ73東ウラさんが記載された通りメモを見ますと13時23分でした。
準特急様
「大人の休日倶楽部パス」を利用されての5日間の旅お疲れ様でした。
普通は宿泊しながらと思いますが、ご自宅をベースにしての5日間とか。これは何と凄いことか!先輩のパワフルな行動力、肉体の強さに改めて感服いたしました。
そして、先輩が辿られた昔の写真と今とを比較できる旅行記の編集、何とまぁ!素晴らしいことでしょう!
一体、乗車された距離は如何ほどになるのでしょうか?一回の日帰り旅でも疲れるのに5日間連続ですよ!!!
ほんまに凄いわ!!
東北新幹線はB席しか空いてないとか!わぁ~ん!!
超人準特急様に乾杯します! 有り難うございました。
マルーン様
いつも有難うございます。連続5日間日帰り旅行は富士山の弾丸登山よりは安全と思いますが高齢者は真似しない方がいいと思います。能因法師の有名な和歌で東北地方への旅立ちを詠んだ歌に「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」というのがありますが気の遠くなるような時代のことですね。明治になり鉄道が開通した時はさぞ驚きであったと思います。新幹線ができた頃、関西の漫才で砂川捨丸が内容ははっきり覚えていませんが「新幹線きばる間に五里走る」と言ったところ相棒の中村春代から「アホ!何を言うてんのや」と額を持っていた扇子で叩かれたのをいまだに覚えています。砂川捨丸はちょぼひげでボケ役であったと思います。
さて、東京-青森はおよそ700km強で東京-岡山くらいで計算してみると5日間JRだけで4300kmくらいになりますが旅の達人クモハ73106東ウラさんはこんなものではないはずです。
準特急様
遅くなりましたが、「大人の休日俱楽部パス」の最近の改定について準特急様と全く同意見なので投稿することにしました。車内の検札省略のための自由席の廃止、「みどりの窓口」の削減とネット予約への誘導、通勤客を無視した京葉線のダイヤ改定、時計やホームの時刻表の取り外し等のJRの営業会社としての姿勢が本当に旅客ファーストなのかと疑うことばかりです。
愚痴はこのぐらいにして、割高になっても高齢者には連続3日の商品が欲しいと思いますがいかがでしょうか。
コメントされています能因法師の有名な和歌で東北地方への旅立ちを詠んだ歌に「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」は、実際は距離の長さを季節の変化で表したもので、実際の旅とは異なるようですね。
鐵道唱歌 奥州線(現:東北本線)-磐城線(現:常磐線)の一八節(白河)には、「秋風吹くと詠じたる 關所の跡は此ところ 會津の兵を官軍の 討ちし維新の古戰場」と歌い込み、鉄道開通前後の旅程を四〇節(青森)で「勇む笛の音いそぐ人 汽車は着きけり青森に むかしは陸路廿日道 今は鐵道一晝夜」と比較しています。現在、東北新幹線を利用すれば「東京-新青森」間が日帰りで往復できるようになったことは夢のまた夢ですね。
後世に松尾芭蕉が能因法師や西行法師に憧憬し、その足跡を辿って「奥の細道」を著したようですが、一時期単なる「大人の休日俱楽部パス」を利用した乗り鉄でなく、何か目的を持って回遊しようと思い、まだ北陸地方がフリー区間に入っていた頃に「奥の細道」の行程をトレースしたことがありました。その中で象潟駅の近くに芭蕉が船で立ち寄った九十九島のひとつ『能因島』がありますが、ここは能因法師が三年幽居の跡のようです。芭蕉が「奥の細道」最北の地で詠んだのが「象潟や雨に西施がねぶの花」でした。
象潟駅からみた右側の小山が能因島、後方は鳥海山
快速つくばね様
示唆に富んだお話し有難うございます。デジ青でこんなに勉強させていただくとは思ってもいませんでした。デジ青投稿でもいつも危なっかしい私ですが、最近はIT化が進み駅の自動券売機でも後ろに並んだ人に「はよせい!」と怒られるのではないかと気が気でありません。鉄道唱歌もよく覚えておれば旅の参考になるかもしれませんが青森日帰りでは旅情がわきません。ところで羽越本線の象潟に能因島があることも初めて知りました。芭蕉の奥の細道の北限のようですね。象潟が秋田県にかほ市というひらがなの市ということも初めて知りました。芭蕉と言えば「大人の休日俱楽部旅行」でよく利用する仙山線の山寺駅付近から見た立石寺の山です。2021.4.20の撮影です。何度も降りた駅ですが山寺が急峻でこの歳では無理と思いいつも見上げるだけです。句は皆さんよくご存じの通りです。