話の前に、訂正があります。前回 『ブルートレインのこと』 の写真3枚目(04917)は、蒸機がC6217【下】となっていますが、正しくはC6225【下】です。
さて、1963年3月、K.Y.さんと九州に出かけました。行動は常に同一でなく、時々場所と時間を決め一緒になり、主に国鉄の蒸機を撮影しました。一日か二日後には、それぞれのテーマに向けて 別れての行動で、K.Y.さんは非電化の私鉄を、私は私鉄電車でした。
鹿児島で落ち合い、1962年3月24日(日曜日)、西鹿児島 発6レ『はやぶさ』に、二人で熊本まで乗車しました。指定券は旅行出発前に、神戸大丸内交通公社で購入。大枚300円も(旅行中、私の一日の食費に相当する。駅弁は150円で、買えば一日二食になる)払ったその特急券です。 出発は午前11時30分、熊本到着が15時02分、わずか3時間30分間の乗車。車両は7号車、博多までの7両編成の先頭、ナハフ2153(1960年日立製)でした。今となって記憶はほとんどありませんが、K.Y.さんと二人有頂天で乗車、あっという間に熊本に到着だったと想像されます。
下車後、隣のホームから蒸機C6114【鹿】と、わが客車の出発を見送りました。
そして二人は大畑に向い、その夜は大畑のステーションホテル(注・駅のベンチで寝袋に入り寝ることを指す。この回数の一番多いのはT.Y.先輩で、次点が筆者の35回です)に宿泊したのでした。
その後、九州各地で何度かブルートレインを撮影したので紹介します。
潮干狩りか、海岸には人が見えます。
西鉄電車撮影の合間に撮ったもの。
博多からの増結車を従え電機が待機、役目を終えた蒸機と並ぶ。
ヘッドマークを収納して退避線で休む蒸機、そこへやはり役目を終えた『さくら』の蒸機が並ぶ、夕刻18時30分頃、博多での光景でした。
半世紀以上走り続けたブルートレイン。日本での役目を終え、既に海外で活躍中のもの、あるいはこれから活躍予定のものもあるとか。
tsurukameと言う横文字の名前。犬山ではそれらしきお名前の船橋の先輩とお話させていただきましたが、ちょっとややこしくてして特定できず申し訳ありません。しかし、大型蒸機の現役の姿、何と懐かしいかと鬼の目に涙が出ました。後で調べましたら、小生も昭和38年のこの時期、九州に撮影に出かけました。豪快なステーションホテルは体力の無い人間には無理でしたが、貧乏旅行であれもこれも番号で追っかけ、走行写真は皆無でした。今、思いますと、特に鹿児島本線の海辺のC61「はやぶさ」等羨ましき限りです。
山陽本線の下り4本連続する特急のC62は「さくら」、「みずほ」が[広転]で、「あさかぜ」、「はやぶさ」が[関]の所属。九州では「さくら」のC60[鳥]、「はやぶさ」のC61[鹿]、「みずほ」のC59[熊]と所属機関区名は皆、動物に関係がありました。因みに38年3月27日の上り、翌28日の下りの「みずほ」は門デフのC59124[熊]でした。総本家青信号さんはC59は呉線が最初で最後と小生を羨んでいました。しかし、彼のその後の芸術的作品は小生等とてもかないません。しかし、何れにしましても昨今の機能重視された車両や画一的風景と異なる昭和30年代のあたたかい写真。今後のtsurumake様の作品を期待しております。