デジタルカメラを使いだして20年経ちました。ついこの前のようですが月日が流れるはやさを改めて感じます。その前年の2003年にコンパクトタイプを借りて使ってみると、先入観と違って結構使えるな、と思いましたが、当時のニコンD100やキャノンEOS10D等のデジタル一眼レフはまだ高価でした。ところが程なく、手が届く価格帯でキャノンからEOSkissデジタルが、ニコンからD70が出て、フィルム時代にニコンを使っていたのでD70の購入に踏み切りました。普及機ということもあり、ルーフミラーのファインダーやバッテリーパックが用意されていない、など割り切った部分もありましたが、JPEGなら秒3コマで、何十枚も連写が可能なバッファ容量があり、高速連写と高感度撮影に拘らないのなら今日でも使える機材です。併せて、同時期にミノルタのディマージュA1というレンズ一体型のデジタルカメラも入手しました。余談ですが、デジタルカメラ界は激烈な競争で、ミノルタカメラはコニカミノルタとなり、さらに一眼レフ部門をソニーに売却し、デジタルカメラから撤退してしまいました。鉄道のサイトなのでこれ以上は止めときますが、その後もフィルム時代の名門カメラブランドの消滅やカメラ部門売却が続出しました。カメラという機材自体に鉄道と同じくらい関心がありますので、興味のある方は機会があればお話ししましょう。さて、前置きが長くなってしまいましたが、2004年4月11日の大阪駅での写真をご覧いただきます。何気ないスナップのような写真ばかりですが、20年経てば随分変わったなあ、と思います。この日の写真は全てディマージュA1で撮影したものです。
東海道緩行線の205系、今なおこのカラーを奈良線、京都駅で見ることが出来ます。
雷鳥27号入線。今見ると大阪駅は開放的でした。485系雷鳥も全てサンダーバードに置き換わり、そのサンダーバードもこの3月に全て敦賀止まりになりました。
大阪駅に帰ってきた雷鳥30号。この先頭車、パノラマグリーン車はなかなかの眺望でした。
大阪駅に帰ってきたはまかぜ4号です。キハ181系のオリジナル塗装は今見てもすばらしいと思います。なお、はまかぜ4号は、車両こそキハ189系に変わりましたが存続しています。在来線特急が継続されていると安堵するのは私だけでしょうか。
17時47分発の日本海1号です。この頃はまだ函館行きだったと思います。撮影者がいつも数人はいましたが、今から見るとほのぼのしたものでした。
113系快速の米原行きを後追いで。この2004年に113系は大阪口から撤退しました。
ブギウギ様
毎日蒸し暑いことですね!
そんな中、一服の清涼剤を有り難うございました。
カメラのことはさっぱり分かりませんが、雷鳥、スーパー雷鳥、日本海と懐かしい限りです。今は昔、当たり前のシーンが貴重なものになっていきますね。
次の回を楽しみにさせて頂きます。
マルーン様
コメントありがとうございます。20年は、デジタル青信号の中では顧みる年数には到底達していないようですが、されど20年で今と比べると結構変わっていると改めて思いました。続編は出していくつもりですが、暫し時間を頂きますようお願いします。
ブギウギ様がデジタルカメラを購入されたころは、各メーカーから次々に新機種が発売されましたね。半年待てば同じ価格で高性能な機種が出たり、手ごろな価格の機種が出たりで、買う時期によって悔しい思いをされた方も多いと思います。
私は2002年にデジタルに飛びついてしまい、高い買い物をしたのかもしれません。カメラ本体も結構な価格でしたが、記録媒体(コンパクトフラッシュ)が高かった! 256Mbで2万円以上しました。
高齢者になると20年はちょっと前のように思ってしまいますが、鉄道車両はずいぶん変わりましたね。485系「雷鳥」も遠い思い出になりました。
ディマージュA1、うちにもあります。小型で軽量なカメラながら、28ミリから200ミリまでをカバーするレンズを備え、しかもマクロ撮影もできるという優れものでした。
紫の1863様
コメントありがとうございます。
2000年代は、デジタルカメラの勃興期で一年単位で性能は良くなるが値段は下がる、といった機種が続出しワクワクしたものです。今でもディマージュA 1をお持ちでしたか。当方は早々に手放してしまいましたが、本体手振れ補正、手動ズームなど鉄道撮影には良いカメラでした。