祇園祭と市電の架線

少し旧聞になりましたがお許し下さい。
青信号特派員氏から、巡行時は信号機を90度廻して道路と並行にした旨のお話がありました。
私事ですが当時は四条寺町と三条河原町に店を開いておりましたので、毎年宵山と巡行日には店頭に出ていましたが見物は出来ず手伝いに没頭しておりました。そのため話題の信号作業は見ていたような、見ていないような有様です。ただ気になったのは架線をつるしたブームのことです。昭和30年代中頃までは架線柱を上下線の真ん中に天秤型のものを設置して鉾の巡行を助けていましたが、阪急の地下延長で南側の歩道上にあった電柱に片持ち式のブームを付けて“それを90度廻して鉾は四条通中央を巡行した”と思っておりました。
しかし、どうも自信がないので交通局のある方に伺いましたところ、ご丁寧な検証報告を頂きましたので皆様にご報告いたします。
なお、転載などのご了解も頂いております。画像処理は私の責任で行っております。

まずは当時の写真ですが印刷物のコピーですので見にくい点はお許し下さい。

(右)四条河原町の写真ですが、左側に高島屋があり電柱からブームが延びています。四条通の東行車線を鉾が巡行しています。鉾の影になっていますが信号機は回転しています。
余談ですが、撮影者の伊藤とのひろさん(故人)は同志社の先輩で、お客様でもありました。北海道の方でしたが終生京都を愛して京都のスナップを多く残して居られます。


これは晩年の市電と長刀鉾です。(四条烏丸東入ル)

京都市交通局からの検証報告を頂きました。大変なご迷惑とお手数をお掛けしたことをお詫びしますと共に御礼を申し上げます。

結果は私の完全な記憶違い、思い違いでした。特派員様、失礼しました。

最後に、この検証をして下さった交通局の知人は、お父上も市電を運転して居られて現在もご健在です。そのお父上の思い出話をメールで下さっていますのでご紹介します。
「私の親父は 86歳で昔 烏丸車庫の市電に乗務してましたので 聞きましたところ 四条烏丸を惰力で走ったと言ってました(笑)四条の架線は ハッキリ覚えてませんでした。」

8 thoughts on “祇園祭と市電の架線

  1. 米手さま
    祇園祭山鉾巡行時の市電の対応について、わざわざ交通局に聞いていただいたのですか、本当にありがとうございました。信号機の90度回しは、鉄鈍爺さんからの証言ですが、片持ち式のブーム(ビーム)であったことの裏付けを取っていただきました。ありがとうございます。河原町三条にあった、お店のことはよく覚えています。私の中学校の校区で、お店から東へ2、3軒行ったところの煙草屋の娘と同窓でした。
    ところで、掲載された最後の写真を見て驚きました。私が投稿した写真と同じ写真だったのです。これで思い出しました。たぶんTさんの写真でしょう。Oさんの遺品の中にあった写真を貰い受け、てっきり自分の写真と勘違いして、私の投稿に載せてしまいました。人さまの写真を自分の写真と思い込んで載せてしまいました。たいへん失礼しました。

  2. 特派員様、
    写真の件はよく分かりませんが撮影者の名前は書いてありませんでした。おそらく交通局の資料の中から選んで送って下さったのだと思いますが、膨大な資料と古い事柄のため取違も仕方がないでしょう。
    でも、こんな日常の業務でも記録しておかないと忘れ去られることになって、二度と確認出来ないでしょうからいい機会ではありました。
    惰行運転の思い出などいいお話も聞けました。

  3. はじめまして
    大阪在住の者です。 現在、実家にある8ミリフィルム(昭和30~50年頃、父が撮影)を
    デジタル化しています。 この中に昭和34年撮影の祇園祭があり、市電の架線すれすれに
    巡行する山鉾が映っていました。 山鉾の頂点は架線よりも高く見え、交差点では
    どうしていたのか気になりましたので、ネットでいろいろ見ているうちに、この米手作市さんのページ
    を見つけました。 その後、改めて映像を見ますと、前述の架線すれすれに山鉾が巡行する
    シーンだけではなく、高所作業車に乗って信号機を回転させたり、架線をいじっているシーンや、
    祭りの期間中の市電運行中止を告げる看板などが映っていました。
    Youtubeにアップしていますので、よろしければご覧になって下さい。
    https://youtu.be/orIZSZ9oVuE

    • 貴重なフィルムをアップしていただき感謝致しております。このフィルムは昭和34年撮影、実は山鉾(やまほこ・濁りません!)の巡行コースは意外と変遷しています。この映画のコースは昭和31年から昭和35年までのコースで、大変貴重なものが写っています。30年以前は四条通を東進してきた行列は四条寺町で右折・南下していましたが、5年間だけは四条寺町で左折・北上して寺町通を御池通まで進んでいました。従って、いまテレビで見ている四条河原町や河原町御池での『辻廻し』はありませんでした。このフィルムには四条寺町での『辻廻し』と寺町通を北上する鉾が写っています。
      『杉村屋』の看板と『カドヤ』の塔が見えるところが四条寺町交差点西北角にあった『杉村屋ふとん店』で、『寺町京極』の看板が見える箇所は寺町通を北上しているところです。当時はアーケードもなく、高くそびえる鉾が町並みを見下ろして通過していきました。ありがとうございます。

      • 【山鉾巡行の補足説明】
        祇園祭は元々、7月17日に前祭(さきまつり)と、24日に後祭(あとまつり)の山鉾巡行が行われていました。
        前祭の巡行経路は四条東洞院から東行し、寺町通りを右折して南行、寺町松原で右折し西行、東洞院にて解散していました。
        後祭の巡行経路は三条東洞院から東行し、寺町通りを右折して南行、四条寺町で右折し西行、東洞院にて解散していました。
        東洞院は平安京の坊条制での大路で、寺町通りは東側の京極大路にあたります。
        また松原通りは昔の五条通り(秀吉によって五条通りが2筋南へ移る)であり、祇園祭は正に京都の都大路を巡行していました。
         
        近年になって祇園祭は京都市の観光事業化政策と商工業者の交通渋滞軽減化の要請を受け、昭和の時代に巡行日の一本化と巡行コースの変更が行われました。
        しかし最近、観光収益の更なる増加と繊維産業の衰退を受け、山鉾巡行が古に復したのです。
        鉄とは関係ない話で、失礼しました。

  4. こんにちは。 以前、昭和34年撮影の映像をご紹介しましたが、これとは別に昭和38年撮影の8ミリフィルムがありましたので、
    またまたYoutubeにアップしました。 低画質でゴミも目立ちますが、カラーの映像です。 実家に残っていたものはこれで終わりです。

    https://youtu.be/X8Px-Srxldk

    雨ではなくみぞれが降っているような、また、地面に落ちている氷?や、マキ?を売っている映像があります。 さらに陣笠をかぶった人がタバコを吸っているシーンもあります。

    • ありがとうございます。
      早速拝見しましたが、撮影がお上手なのに感心しました。当時の8ミリフィルムは一本約三分ですからどなたもあわてます。だから、ズーム、パン、なめ回しと言った落ち着かないカット割りが多いのですが、安定して画面が止まっていて落ち着いてみられました。かなり撮っておられますね。
      ところで7月17日ですから「みぞれ」や「氷」は降ってきません。売っていたのは「ちまき」です。引き手が小休止にたばこを一服するのは、この当時は当たり前でした(現在は禁止)。

      • 父親撮影の映像にいろいろお褒めの言葉を頂き、ありがとうございます。 他にも、昭和30年代の大阪->京都間の列車からの沿線風景や、大阪駅、天王寺駅などの情景もアップしています。 よろしければ、ご覧ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください