山陽電鉄道路併用軌道追加

 豚か猪かそういう類の動物はおだてられると木に登ると聞いたことがありますが、TSURUKAME先輩からお前の撮ったのも投稿せいと言われ、恥ずかしながらコメントで書いた住友生命をバックにした、人がうろついている古い写真を掲載します。何れも1966年7月27日の撮影で電鉄兵庫駅付近と思われます。

1966.07.27 822急行

 3両目は更新車、所謂偽新車と思われますが、よくわかりません。

 

1966.07.27 後270の各駅停車

画面が見づらくて恐縮です。右に女子高生、左に神戸のお兄さんと買い物のおばあさんが写っています。路面電車の風景ですね。

 

1966.07.27 3002急行

右の建物が住友生命。因みに今でも保険は住友生命に入っております。この頃、山陽の3000系は南海の6001系、7001系と同じようなシールドビーム2個のライトでそれが離れている豚鼻。関係者や好きな人が居たら申し訳ありませんが、好きになれませんでした。しかし、アルミ合金の電車は数少なく、高級な車両に見えました。

毎度の弁解になりますが、フィルム保存が悪く、スキャン等の技術力が無いので恥ずかしい写真で、申し訳ありません。米手作市さんがおっしゃられるようにこの時は全くのついでの写真で、感激はありませんでしたが、後にその車両や風景がえらい貴重になることもあるようです。国鉄で言えば103、113系、キハ58系等は撮る対象ではなく、単なる移動車両でした。それが、なくなる頃になると新製時からの度重なる改造等で変化に富み、昔の旧型国電を追っかける気分になっていることに気づきます。さらに今、反省していることは車両以外に駅舎や人物や車等ももっと入れておけばよかったと言うことです。デジカメ時代なのでコンデジを含めて乱写しておくのも後々撮っといてよかったと言うことになると思います。失礼しました。

山陽電鉄道路併用軌道追加」への2件のフィードバック

  1. 早速に見せて頂きありがとうございます。
    1966年なのに、車が少ないですね。こんな道路なら、ずっと併用軌道通行でよかったのに。線路を地下に移し、神戸の中心地と連絡すると言うのが、山陽電鉄の夢だったのですが。兵庫線を支線として残しておけばよかったのにと、採算度外視のファンの思いです。
    それにしても、震災後は客をすっかりJRに客を奪われました。高速鉄道参加や大型車両の増備は何だったのか、時々神戸垂水(家内の実家がある)に向かうたび思います。。

  2. 乙訓に移住してから地域活動に没頭していた。1985年、小林、澤村コンビが中心になりOB会をしてくれた。その時、吉谷さんから「戻っておいで、あんたらしさがなくなったよ。」と言われ翌年、【鉄】に戻った。当時、南塚口に居を構えていた須磨の爺やにDRFC時代のNEOPAN SSを渡され、「どんなものでも30年経てば、また使い道もあるもんだよ」と、処分しようと思っていた乙訓に渡してくれた。今それをぼつぼつお目にかけているが、範囲は狭くtsurukame氏のように時系列を追っていない。でも須磨の1/4世紀前の言葉がなければ【鉄】として再生がなかったかもしれない。お互いに好き勝手を言い合っているようだが、励まし合って生きていきましょう。

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