1966年房総夏

 「房総1周は始めてで、今日は乗り鉄に徹しますわ」。9月3日、内房線の車内での総本家元祖青信号特派員さんの言葉。撮り鉄の総本家さんは学生時代全国機関区巡りを行い、201番まであるC57を番号別に6割以上押さえたが、千葉方面が漏れたとのこと。一部に廃車も出ていた時期であるが、6割とは見事なもの。 話が進み、「あの頃は特に四国と千葉の人気が無かったのはディーゼル王国であり、蒸機好きには敬遠されたのではないか」と言うのが二人の結論であった。

 1966年7月24日、人気の無かった千葉が賑わっていた。関東の海水浴は小田急の江ノ島、京浜急行の三浦海岸が有名であるが、国鉄の房総西線(現内房線)も全国各地から応援の車両を増結した臨時列車で賑わっており、史上最低と言われたキハ17系の急行やC57、C58が長編成の客車「かもめ」号を牽引し、そこそこ面白い時間過ごすことができる時期があった。電化して72系などが進出する前のことである。

1966.07.24 房総西線竹岡 143レ C5777[新小岩]

143レは千葉発安房鴨川行き143Dを輸送力の大きい客車に列車に置き換えたものと思われる。1両目の客車は3軸のマユニ7827とメモにある。

 

1966.07.24  房総西線竹岡~浜金谷 9133レ 「かもめ」2号千葉発館山行き C578[新小岩]

C578は九州から転属したカマ。

「かもめ」2号の後部客車テイルマーク。 山陽特急の「かもめ」に少し似ている。

1966.07.24 房総西線竹岡~浜金谷 9119D両国発急行「汐風」5号千倉行き

オールキハ17系7連は最低ではあるが、編成美はお見事と言いたい。

 賑わいの一端を紹介したが、メモを見ると144Dの先頭水タイとか118D「内房」4号に四カマ、117D「内房」4号に長ナノあり等の記録があり、じっくり編成を調べればさぞ面白かったことであろうと思う。車社会がこれからと言う時期で千葉鉄道管理局も各地から応援車をかき集めてしのいだことと思われる。

2010.09.03久留里線東清川 926D キハ30100

 さて、ディーゼル王国であった千葉管内の現在は第3セクター化された旧木原線(現いすみ鉄道)を除きJR未電化は久留里線のみになってしまった。久留里線には未だキハ30が残っている。撮影はお早い目に。

2 thoughts on “1966年房総夏

  1. 準特急様
    房総を一周する113系のクロスシートでお聞きしていました、昭和40年代前半の海水浴臨の記録、拝見しました。
    この姿こそ、当時は撮ろうとしても撮ることが出来なかった房総の暑い夏の風景です。関西に住む人間にとって、今も昔も、房総はなかなか行きにくい地域のひとつですが、C57「かもめ」や、キハ17「汐風」は、“遜色急行”の代表として当時から名を馳せ、この手で記録が残せなかったことを悔やんでいます。キハ17の直角になったビニールシートに座り、開け放った窓から入ってくるモワッとしたディーゼルの排気熱を感じそうな写真です。きっちりと記録を続けられる姿勢に敬服いたしました。
    なお、C57の撮影両数ですが、6割などと適当なことを言っていましたが、改めて車輌配置表で調べると、昭和43年時点で、残存機175両のうち99両を写していました。その後に写したものもありますから、製造総数201両の6割前後は写していたことは確かと思います。

  2. 小生もC57撮影率は6割程度。機関区巡りをしては、私製の機関車配属表で撮影機を確認して満足し、ピクの車両の動きに一喜一憂していた頃が懐かしいです。ところで、番号を気にするといい写真が撮れないとよく言います。 某有名出版社の編集長さんが近く復活運転するC6120の現役バリバリの頃の写真が欲しいとのことで苦労された話を伺ったことがあります。こういう写真は番号がよく映っていないとだめですね。叙情写真を得意とする特派員さんも一方では記録にこだわられてそれぞれ見事に発表されているのは立派です。千葉管内の未踏破区間になってしまった東清川~上総亀山間に再度チャレンジして下さい。その時はキハ30を狙っている1900生さんもご一緒に。

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