皆さんも経験されることが多いと思うが、土曜日の宿泊施設の予約は難儀する。幹事さんからホームカミングデイのお知らせをいただいて直ぐにホテルを手配したが取れたのは京都から少し離れた国境の街米原。13日日曜日ホームカミング当日は朝から絶好の秋晴れ撮影日和となった。そこで午前中に大津市内の京阪電車を撮ることにした。
浜大津駅付近を走る京津線800系を狙ったが建物の影が4連の車両のどこかに映ることはわかっていたので諦めて上下すれ違う上栄町駅の列車を撮ることにした。左京都市役所前行き後部810、右浜大津行き802▼
4連の京津線800系を晴天順光で建物などの影なしで撮れる場所を御存知の方がいらっしゃれば教えていただきたい。
次に石坂線の車両を撮ることにした。ここは何度か来ているが冬場は光線状態をよく確かめないといけない。三井寺駅の前後は午前中は順光で民家が建て込んではいるが短い2連なら何とか撮影ができた。しかし1900生さんおっしゃられる通りラッピング車両が多過ぎるようで多少辟易してくるがその一部を紹介する。何れの車両も石山寺行きである。三井寺出発612+611▼
別所-三井寺 608+607 ▼
別所-三井寺 80形の復刻カラー702+701 ▼
やはり京阪らしいこの色が来るとホッとする。同系色の濃淡が程よいと前に総本家さんの伊豆急コメント等で述べたとおり。もう少し時間が経って午後になれば車体横に太陽光線が映り見栄えがよくなるがホームカミングの時間も迫ってきたので近くのJR大津京駅から湖西線に飛び乗ることにした。 別所出発614+613▼
ところでJR湖西線大津京駅に連絡する石坂線の皇子山駅の次が近江神宮前駅で石坂線の車庫がある。少し前の写真も参考にご覧いただきたい。
1966.5.23 錦織車庫 36、314 ▼
何というのかよくわからないがポールカーのロープ巻取り口 ▼1966.5.23 錦織車庫 12 明治43年製箕面有馬の車。同じ阪急1形で丸屋根に変更した不細工なのもいた。▼1969.2 錦織車庫 京津、石坂線は古ツワモノや偽新車が多くいて面白かった。
準特急様
はるばる大津の地までお越しいただきながらご案内できず失礼しました。
準特急様のおっしゃるように最近はラッピング電車が多数派となっていますが、800形にもラッピングされたものが出たのですね。
800形の撮影場所は多くの方が浜大津駅を出てくる交差点でカメラを構えられます。私はそれよりも併用軌道を南に向かって登ってくる姿の方が好きですが、確かに建物の陰になる部分が多く、東横インのある京町通の南側なら高い建物が少なく、時間帯によって4両がすっきりと撮れるのではないでしょうか。一度その目でこのあたり歩いてみることにします。
また、60年代の錦織車庫の写真も懐かしく拝見しました。66年にはまだ旧型車が活躍していたのですね。高校に入って石坂線の電車通学しだしたころにはもう朝のラッシュ時に走るだけで、昼間は260形等の鋼体化改造車しか見ることができず、残念ながら写真は残っていませんでした。
大津の86様
86様には坂本付近での撮影や大津近郊に保存されている蒸機のご案内をいただいたことがあります。この日は事務局長として忙しい日であることは充分に存じ上げておりました。
撮影したこのあたりは2015年3月の江若鉄道に関する総本家さんの講演会、西村さんのジオラマ見学に参加した時にも行っております。撮影で気にしているのはいつも光線状態です。260形は上は新車で下は旧型車の台車を履いた何か弱々しい車両に見えましたが急行の主力であったように記憶しております。話は少しそれますが、京津線の大谷付近に1000分の67の勾配標があったように思いますが、まだそれはありますか。あれば撮影したいなと思っておりますが勾配緩和、線路改良などを行ったのかもしれませんね。
H.C.D.時のご来京に際し大津線を撮影していただき、元関係者として御礼申し上げます。場所選びに光線状態を絶えず意識されているのはさすがです。大津市内は道路幅が狭いため、建物の影がかかるのは悩ましいですね。影のかからない場所をアドバイスできればよいのですが、普段そういう目で見ていないので、適切な返答ができず申し訳ありません。石坂線及び京津線の浜大津~逢坂山トンネル大津口間は共に線路がほぼ南北に走っていることくらいがヒントでしょうか。
ラッピング電車には辟易したと申した小生ですが、先日石坂線に乗ったときはたまたま運用の都合からか、来る電車が皆通常塗装だったので、ラッピング車が減ったのかと思いホッと一安心しました。80型塗装も登場時の情報ではある種拒絶反応がありましたが、これも実車を目の当たりにすると「まあいけてるやん」という感想に変わりました。
錦織車庫での写真はたいへん懐かしく拝見しました。さすが準特急さまと再認識しました。当時は確かにニセ新車とオールドタイマーばかりでした。まだびわこ号も居たんじゃなかったかと。大津線の体質改善が進んだのは車体改造・装備品新製の逆ニセ新車600・700系が誕生してからですから、さらに十数年後の事です。学生時代、よく大津在住のT塚君宅へ遊びに行きましたが、260の急行が逢坂山を上りは吊かけモーターを唸らせ、下りは延々とブレーキをかけながら上下していた記憶が甦ります。
なお「大谷付近の66.7‰」ですが、これは旧上関寺停留所のトンネル寄りのことだと思います。蹴上浄水場脇にあった66.7‰ほど距離がなく、見た目にも顕著ではありませんが、前後の40‰と相俟って急勾配の雰囲気は充分あります。勾配標は確か西側を走る国道側に在ったはずなので、勾配標を入れての撮影には一工夫いるかもしれません。ちなみに大谷側の最急勾配は40‰だったはずです。
次回お越しになる際にはご案内いたしますからお声をおかけ下さい。
1900生様
今発売中の鉄道ピクトリアル2017/1月号18頁に総本家青信号特派員さんの蹴上浄水場脇の66.7%の勾配標の入った写真が掲載されています。もうここは地下化されて無理でしょうから大谷側に次回行きます。ところで勾配は例えば国鉄、JRなど10/1000とか33/1000などの数字をよく見聞きしますが、そういう風に勾配をならして作ったとも思いませんし、11/1000、27/1000とかいろいろあると思いますが10パーミルとか33パーミルが圧倒的に多いのはどういう訳なのでしょうか。知っておられたら教えてください。
これは鉄道建設の際の線路敷設時のあることが理由です。パーミルが千分比であることはご承知のことと思いますが、実際に線路を敷くとなると1000mの長さの高低差を測量して敷設するのはたいへんで、特にカーブを含む区間だったりすると場合によっては測量不可能です。そこで簡便な方法として現実的に測れる長さ、例えば30mを測って1mの高低差がつくように設計・敷設するとこれ即ち33/1000=33‰の勾配になるというわけです。また40mで1mの場合は25‰になります。
従って10、25、33‰などの数字そのものには特に縛りがあるわけではありません。何‰で建設するかは主に当該地点の地形により決まってくるもので、別段7.5や18.5‰などとしてもいいわけですが、測量や工事の実際を考えると何も面倒な数字を選ぶ必要はなく、運行予定動力車のパワーに許される勾配の範囲内でキリのよい数字を選ぶことが多いようです。時に変な数字の勾配がありますが、これは地形の関係や動力車のパワーの関係で、ギリギリの勾配にせざるを得ない場合と考えられます。
ということがわかると「なんだ」ということになりますね。最近は動力車のパワーが強力になったり測量技術の進歩などで昔ほど勾配を恐れなくなってきたので、今後建設される線路には変な数字の勾配が多くなるような気がします。
1900生様
関西に行くといつもあちこち放浪しております。懐かしい風景や車両を見ることは楽しみのひとつです。このあたりは1900生さんや大津のハチロクさんの縄張りですが、浜大津界隈はよく行きます。錦織車庫には古い写真の撮影日にも連接車びわこは1両いました。200形もいました。趣味的に楽しい場所であり、そういう時代でした。京津線の急勾配は是非トライしたいと思います。ラッピング車両が多いと申し上げましたが、いつぞや鉄道ピクトリアルの京阪特集で大河ドラマの舞台は弁慶・牛若丸も戦国も幕末も京都が出てくることが多く、それも京阪沿線だと書いたことがあります。ラッピング材料が多いのかもしれません。コメントしていただき有難うございました。
準特急様
何時もながらのバイタリティーには脱帽します。
自称・年寄りとか言っているが、湯口先輩同様学生時代と変わらぬ行動範囲には恐れ入谷の鬼子母神です。
私もホームカミングデーで若手の方からお話のあった、撮影後の余ったフィルムで撮ったなんてことない写真を見せるべく整理中です。
お互いにがんばりましょう!
米手作市様
そうですね。いろいろな世代の方と話ができることはお互いにいいことだと思います。デジ青では最近若い世代や関西以外の方も投稿されており顔は知らないがコメントなどで双方向のコミュニケーションができてホームカミングや写真展などで「あんたがこの人か」と対面することもまた楽しみです。がんばりましょう。
1900生様
今頃(12月1日)になって申し訳ありません。勾配の説明よくわかりました。10、25、33パーミルが多いのは何故かと質問させていただきましたが、そういうことでしたか。先日紅葉を見に箱根登山に乗りましたが、勾配標にはいろんな数字が案外ありました。有難うございました。