昨今の鉄道写真はイベント列車ややらせの写真が多く、うんざりする。その点、天野克正さんの作品は日常の普段着の世界。予め計算されていたのか難しい逆光線をうまく使っておられ、蒸機ならではの味わいがある。天野さんの作品は当時のDRFC明徳館地下1階写真展では傑出していた。心からご冥福をお祈り申し上げます。デジ青ではどですかでんさんが蒲原電車の同種と思われる他社車両について研究し、助言を求められている。もとより私の如き単なる撮り鉄にはわからない話であるが、それでも大変興味深いものがある。さらなる研究発表を期待したい。
さて、本題であるが、先日、電車少年こと乙訓の老人さんが武州詣でに来られ、@ロギング太郎さん、藤本哲男さんと同行した。池袋より東上線急行に乗車し、越生の梅林も見ず、八高線、西武新交通システム経由で駆け足旅行を終え、渋谷道玄坂近くの高級中国料理店で宴を催した。宴に先立ち、老人さんより「この辺に玉電の渋谷駅あったな、確か谷底のような駅や」と言われ、東急、京王、営団(現メトロ)が共同開発した渋谷マークシティの道玄坂口をご案内した。玉電は1969年5月10日に渋谷~二子玉川と砧線を廃止、残存しているのは三軒茶屋~下高井戸の現在の東急世田谷線であるのは皆様ご存じのとおりである。因みにゲージは京王線と同じ1372ミリである。廃止日である1969年5月10日に撮った装飾電車デハ65の写真がある。左に井の頭線3000系が見えるが今はこのような野ざらしのホームではない。当時は4両編成で急行がない時代である。右に僅かに見えるのは営団(帝都高速度交通営団、現東京メトロ)銀座線の折り返し用引き込み線。↓
これが谷底の駅玉電渋谷で停車中の電車は200形204は中間1軸の連接車。右には営団銀座線の車両が見える。多分2000形と思うが定かではない。廃線後はバスが利用し、奥にはターンテーブルがあった。↓
東急渋谷駅と言えば3月16日に東急東横線が東京メトロ副都心線と相互乗り入れを行うのに伴い廃止される。このため、私もその一人であるが、連日カメラを構える人で賑わっている。 ターミナル駅全体を撮り、思い出とするのが一般的であるが、マニアは現在習熟を兼ねて営業運転に入っているメトロの車両を今後見られなくなる渋谷~代官山間で記録することに主眼を置く。走らない日もあるので注意が必要である。写真は本日3月1日渋谷駅1番線に到着したメトロ7029の東横特急の到着シーンである。↓
今回の改正では東横線より9000系が引退することになり、9001の編成にラストランのヘッドマークをつけて走行している。今後は大井町線に残る。2013年2月14日渋谷駅↓
渋谷駅には顔を出さず東京メトロ日比谷線と相互乗り入れに使用されている1000系も今回の改正で見られなくなり、西日本のローカル私鉄に譲渡されるとの噂もある。伊賀鉄道に譲渡されたのもこの形式である。東横線中目黒~菊名間の東京地下鉄(東京メトロ)03系も見納めとなる。2013年2月24日新丸子1102菊名行き↓
先日お付き合いいただきありがとうございました。越生(おごせ)と読むと知ったのはテレビの梅林紹介番組でした。久しぶりの東上線でした。東急渋谷駅は2年前にお別れ乗車をしました。今年は玉川線のルートを準特急氏に教えていただきました。半世紀前の記憶は?でした。次は京成スカイライナーで時速160キロ走行を体感したいと思っています。その節はよろしくお願いします。
乙訓の老人様
こちらこそお世話になりました。進行中の我々の東上線急行先頭車に対して成増駅の踏切で若き東大出の方が家族揃って歓迎されるとは本当にびっくりしました。危うく上り電車と被るところでしたが、顔をあわせることができてよかったですね。それにしても老人さんの顔の広さには脱帽しました。越生は難読駅名のひとつかもしれません。私など何故東上線というのか全く知りませんでしたが、上州と東京を結ぶ予定でつけた名ということを始めて知りました。あの日の最も大きな収穫でした。熊本から延岡まで予定していた熊延鉄道と同じですね。各地にこのような例は案外あるのかもしれません。老人さんとは過去に近鉄大阪線、能勢電、神戸電鉄、大井川鉄道、東急電鉄、流山鉄道等々ご一緒させていただきました。次回を楽しみしております。