1月31日から2月4日まで北海道に行ってまいりました。北海道には学生時代に夏、冬各1回、その後家族旅行で足を踏み入れたものの、それからもう20年以上経ってしまいました。今回行くにあたり、一番の目的は釧路湿原を走るSL湿原号を撮ること、それに函館、札幌の市電の撮影など、雪の風景と一緒に北海道の冬を実感してみたいと思いました。
函館市電と摩周丸
函館空港から湯の川までバスで行き、湯の川で市電の1日乗車券を購入、途中下車しながら函館駅まで行きました。1992年1993年の一部廃止で系統は2番,5番の2系統に減りましたが、この2系統が夜間を除き12分毎に運行しており、両系統が重複する湯の川と十字街の間は6分ヘッドで頻繁に来る感じがします。但し、2009年の時刻表を見ると10分毎の運行になっていて、こ2,3年で減便されたようです。それでも車内は立ち客も多く、特に五稜郭公園から函館駅の間は地元客の利用が多く、函館駅から西の区間では観光客の利用が多いように見受けられました。現在走っている車両で一番古いものは1948~50年に製造された500形で、これを撮りたかったのですが、残念ながら撮影できず、1両だけある800形を撮影することができました。
五稜郭公園にて
最近は広告のラッピングされた車両の多い中、広告のない旧塗装で、やはりこの塗装が函館の町にはしっくりときます。
翌日は十字街付近で函館山をバックに撮影、十字街の交差点に行くと分岐のところになんと言うのでしょうか、ポイントを切り替える信号塔があるのを発見。もちろんもう使われていませんが、文化遺産として保存されているようでした。
市電の撮影をしながら函館駅まで戻り、まだ少し時間があったので旧桟橋につながれている摩周丸の博物館に寄りました。
当時の函館桟橋の様子
内部は連絡船に関する展示がされているのと、一部桟敷席、座席がそのまま残されていて、当時、連絡船に乗ると真っ先に桟敷席に行って場所を確保したのが思い出されます。
函館本線の各駅停車
函館から札幌に行くのに、特急でそのまま行ってしまうのは面白くないので、長万部から各駅停車で小樽まで行ってみました。この間を走り通すのは1日に7本の各駅停車しかありません。昔の道内時刻表(1971年9月号)を引っ張り出してみてみると各駅停車は同じ7本なものの、急行がニセコ1~3号,宗谷、特急も北海が走っていて本線の形を成していました。
長万部駅のキハ150形
函館から乗ってきた「スーパー北斗7号」を降り、長万部のホームに待っていたのはキハ150形の単行ワンマンDLです。ボックス席に1人づつ座る程度の乗車率で発車。黒松内で少し乗降がありましたがその他の駅ではほとんど乗降する人はありません。ニセコと然別でようやく何人か乗ってきてボックスはほぼ埋まり、倶知安ではまとまった乗降がありました。
今年は雪が多く除雪車が大活躍
長万部と小樽の間で駅員のいるのは、ここ倶知安と余市だけ、この後、余市では大勢の人が乗ってきて、つり革が埋まるぐらいのにぎわいとなりました。長万部から小樽まで3時間20分かかりましたが、通して乗ったのは私以外に観光客風の4人だけでした。
札幌駅では少なくなった711形を見ることが出来ました。
SL釧路湿原号
SL冬の湿原号を牽引するのはC11-171、207の2両が交代で、時には重連であたります。ところが今年は207号に不具合が見つかり、修理中で今シーズンは171号だけの運転になっています。このためSLが牽引するのは主に金、土、日、と祝日だけになっていてその他の日は名前もDL冬の湿原号となり、DE10が受け持つのではないかと思います。朝1番の釧路行き「スーパーおおぞら1号」で釧路に着くと、この列車からも多くの人がSL冬の湿原号に乗り換えます。到着が遅れ、乗り換え時間は5分ほどしかないのに発車までに写真を撮る人が多く、発車は10分ほど遅れました。
霧の中釧路駅の発車、14系客車に最後尾はヨを連結
釧路のホームで発車を撮ったあと、次の列車で糖路に向かいました。撮影ポイントの予備知識がなく、地図で調べて糖路から芽沼の間の場所を予定していたところ、この日は気温が高く、凍った雪の表面が溶け出して、つるつる滑り、履いていた軽登山靴ではまともに歩けません。遠くに行くのはあきらめ、仕方なく駅から15分ほど歩いたところで撮影しました。駅の手前で絶気状態になり、その上、朝の釧路発が正方向、帰りは逆方向の運転になるため全くしまりのないものになってしまいました。糖路の駅では中に喫茶店があり、SLの写真も並んでいます。この店のマスターが撮ったもので、話をしながら、撮影地を教えてもらいました。
翌日はまず、釧路駅から出たすぐのところにある歩道橋に行ってみました。ホームに止まっているSLが望遠で捕らえられ、発車の際には煙を噴き上げるのが撮影できますが、風が強く、歩道橋が揺れてぶれてしまいます。同業者の方が1人三脚立てて頑張っておられたのを横目に、望遠でホームに停まっている列車を撮影し、釧路川を渡る鉄橋に行きました。
ここでも鉄橋のすぐ下で何人かが三脚を立てていましたが、少し離れた川岸から撮影しました。この後、昨日と同じ12:15発の各駅停車で、今度は釧路湿原駅に向かいました。この駅はビジターセンターと展望台があって夏場は賑わうところです。この時期、人は少なく、展望台にもビジターセンターにも人はいませんでした。とりあえず展望台から釧路湿原の雄大な景色を見た後、昨日糖路で教えてもらった細岡よりの踏み切りで最後の撮影をしました。
今回、真冬の北海道にしては、比較的温かく、天候にも恵まれましたが、とにかく足元がすべり、移動には苦労しました。服には十分気をつけたものの、足元はどうも甘く考えていたようで、降雪期撮影の反省点でした。
大津の86さま
今度は冬の北海道レポート、ありがとうございます。いつも精力的にご活動の様子、拝見しました。なかでも興味深かったのは、長万部から小樽のヤマ線です。私も、この区間は、学生時代にC62重蓮を撮ってから、約40年間訪れていません。その当時から、ヤマ線は凋落の道を辿りながらも、まだ特急・急行が残っていましたが、いまは、ワンマンDC単行にボックス席に一人ですか…。時代も変わったものです。
私もあと一度だけ、厳冬の北海道へ行ってみたいと思っています。
総本家青信号特派員さま
コメントありがとうございました。北海道の各駅停車は札幌近郊を除いては1,2両のワンマンカーで、昔もそんなに乗客は多くなかったものの、5,6両の客車を引いていたのが当たり前のようだったのを思うとさびしい限りです。私が学生時代訪れた1974年には、もうニセコもSL牽引ではなく、その時には山線は訪問しませんでした。今回初めて乗車して、当時の撮影ポイントであった上目名あたり、どんなところだったのか車窓から眺めましたが、山の中で、特に冬場は積雪も多く、行くのに難儀されたのではとあらためて先人のご苦労を感じました。