ホ-ムカミングの後は恒例の懇親会があるので会場である平安会館に向かった。懇親会では隣りにどのような方が座られるのか、話が合うのか、いつも緊張してくじを引き、指定されたテーブルに着くことになる。その時話題になったことについて参考になりそうな写真を探してみた。
同じテーブルでは鉄道ピクトリアル「京阪電鉄特集」で執筆された生まれも育ちも枚方というバリバリの京阪ファンFさんが「古い時代では1960年代後半から1970年代が興味深い」と言われた。Fさんにとって車両等を意識し始めた時期でまだ撮影などを通して記録することに至っていない幼少期にあたると思うがこれはどなたも同じではないか。前回の京津、石坂線に続きで京阪本線も含め1960年代後半の姿を少々紹介してみる。
まず前回に掲載していない60形と200形である。どちらもこの頃は区間列車に使用中の廃車前の姿である。
流線型の1000形がまだ急行にも使われていた頃。1967.5.28 淀-中書島間の三条行き急行1007 ▼ブルブルさん、1900生さんと行った撮影名所 1969.2月頃と思われるがメモがない。 八幡町-橋本間の1900系淀屋橋行き特急 ▼
懇親会ではどなたかが古い「青信号」を持参され回し読みするうちに大型蒸機がお好きなOさんが戦後製造のC57、C58を投稿された記事を見た。戦後製の船底テンダ-の機関車は私も好きだったが、特に単調なC58の中ではそれは特異な存在であったがあまり記録していないのが残念である。
戦後製の特徴である船底テンダーの側から見たものである。 デフも門鉄形を装備しているC58424[志布志]。 志布志線の貨物と思われるが同線は乗ったことが無いので到着したのか出発前か定かではない。1967.9.4 都城 ▼日豊線最後の頃のC57で戦後製4次タイプはC59に似た感じで別形式にしてもよいという人もいた。横から見た姿でドーム形状、煙突の高さ、ボイラーの太さなどが異なるが確かにC59、特に戦後製の100番台に似た風貌である。1973.4.8 田野 C57199[宮崎]▼
当会最長老の人間国宝さんも同じテーブルで今回はC53の話を伺った。東海道、山陽の戦前の主力機で後継機がC59やC62であることは皆さんご存知のことと思うが、運転扱い等難しい問題があったのか短命であった。戦後数年は山科で貨物列車の補機を務め、梅小路や宮原でも入換えに使われていてカメラに収められたとのことであった。当然、私などC53を知る由もないが、弁天町に保存されていた頃ハーフサイズカメラで撮ったものが1枚あった。 1962.7.24 保存機C5345 ▼
懇親会も終わりほろ酔い気分で御所の横を歩き始めた頃、昔、十三の近くにいたという現在奈良県在住のYさんと話をした。Yさんは幼少期に神戸に行くのにわざわ梅田に戻り阪神電車の特急に乗ったとのこと。その電車は1954年に登場した3011形2扉クロスシート車のことで梅田-三宮間を25分ノンストップで走る高性能初期の車両である。私も1回くらいしか見たり乗ったりした記憶がないが、丸っこい格好のいい電車であった。レイルロードという本に掲載された乙訓の老人さんが撮影された全盛期の姿でその良さを偲んでいただきたい。私のは2扉を残しているが正面の湘南窓が平凡な顔に改悪された3561、3061形の姿である。その後3扉化され一部7901形に編入されたものが生き延びたが1990年に消滅している。 1960.10.24尼崎 特急3021▼
1967.3.4 急行運用に入る3564 場所は広告看板から尼崎と思われるが雪の日で手がかじかんだのかメモしていない。上の写真と比べて見ていただきたい。丸っこい電車の良さがわかると思う。▼
自分に関係した時代の車両や駅風景を懐かしく想い、それらを共有する友人との談笑は楽しいものである。何より健康によいと思っている。いつも「もう少し早く生まれていたら」とどの世代の鉄道好きも悔やんでいるのは間違いない様である。しかし、高齢になってくると懐かしく想う層が徐々に少なくなっていくのも事実であり致し方ないことである。一方、新しい情報を参考にした方が趣味活動にプラスになることもある。そういうことを考えながらまた1歳年をとるが来年のホームカミング&懇親会には元気であるなら参加したいと考えている。
準特急さま
来年来れたら、などと寂しいことをいわずにお元気で是非またお越し下さい。ご褒美に九州のSL末期の8mm映像をお目にかけますから。奇跡的に復活した日南3号のC57もありますよ。
60形びわこ号、200、1000の急行は懐かしいですね。昭和45年でも1000はおろか1300の急行も2000や2200に混じって走っていました。
八幡の古めかしい橋にご一緒していましたか。ぷるぷるさんとはよく行ったものです。沿線には珍しく山間の風情が漂う場所が好きでした。この橋から近所の子供たちが釣り糸を垂れている後ろを走る1900特急の写真を写真展に出したこともありました。近くには木津川・鴨川の鉄橋もあり、京阪の撮影地としてはバリエーションがあって、かつ邪魔ものなしで撮れるのがよかったですね。
鉄道趣味の活動時期ですが、小生は青大将つばめ・はとや151系こだまの試運転など、旧国鉄のその後の全盛期を見てきたので、もっと早く生まれていたらと思ったことはありませんが、C62ニセコを撮りに行った会社の同僚からは現役ニセコを追いかけたことなどを随分羨ましがられましたね。SL末期に間に合ったことは幸せだったと思います。
あまり昔を懐かしむだけでもとは思いますが、懐かしいものは仕方ないのであって、しかしただそれだけに閉じこもることはしたくないと思っています。
準特急さま
ホームカミングデーでの出会い・会話をもとに、ご自身の回顧を綴られる展開に、つねづね「デジ青のテーマは、どこにでもあるんや」と言っておられる、準特急さんの新たな手法を見ました。書いておられるように、幼少期に見たことはあるが、自分では確とした記録がない時代に、いちばん興味があること再確認しました。1900生さんも書いておられるように、新しいものの吸収と、古い時代の回顧のバランスをうまく保ちながら、今後の趣味活動を続けていきたいと思っています。
1900生様
京津、石坂線同様京阪本線もそして川を挟んで阪急も戦前の古豪から初期の新性能車など1960年代は興味深い車両のオンパレードであったように思います。国鉄も対抗して同じように画期的な車両を走らせ本当に楽しい時代でした。C57の急行は是非拝見させてください。八幡のこの風景はまた、別角度でご紹介したいと思います。Fさんもそうでしょうが、京阪では500、600、700の更新前の姿、話題となった16号などを記録されていたら見てみたいと思います。次回のホームカミングや写真展等のイベントでお会いしてまた語り合いたいと思います。有難うございました。
総本家青信号特派員様
外遊直後でありながら早速のコメント有難うございます。私はDRFC伝統の文書のうまさ、面白さは全くありませんが、関西育ちで関東に住み、海外も以前は年1回くらいうろついていたのでいろいろな話題にくらいついていくことはできます。だから、コメントしたいことが多いのですが、残念ながら風呂敷ひろげすぎて専門分野がないことです。ただ、コメントは自分の思ったこと感じたことを書くようにしています。これからも教えていただくことが多いと思いますが宜しくお願いしたいと思います。
こんばんはご紹介をいただいた82年度生のFです。 ホームカミングデイでは多くの諸先輩の方々と楽しい時間をすごさせていただきました。ありがとうございます。準特急先輩には早速リクエストに応えていただいたことに感謝致します。
車輛も興味深いのですがそれに加えて写りこんでいる車や建物・看板など色々なモノが、当時カメラを持つことができなかった一世代後の我々の興味対象となってきます。
日頃は自分達のブログ内で活動しておりデジ青は見るだけなのですが、確実に一廻り上の先輩の方々から刺激とパワーをいただいております。是非続編を期待しております。
びおちゃん
ものごころがついたころから朝夕京阪電車を見て育ったということは京阪電車が生活の一部になっておられたはずでちょっとした変化も直ぐおわかりのことと思います。東京武蔵野市在住で同じく京阪熱愛者でびおちゃんの友人のSさんにもついこの間お会いしました。枚方出身ということも同じですが熱烈度が皆さん凄いですね。部屋の中に京阪特急の椅子がありそこに座ると何やら運転席から見たビューが画面に表れてくるのです。私たち老人、準老人、新規老人にとってスーパーカーや2200に混じって走る1000、1200、1300などの急行は当時は普段の姿でした。黎明期のDRFCでピク誌に連載された超老人の皆さんを始めうるさがたの京阪ファンもまたその懐かしい姿を披露してくれると思います。
準特急様
どの写真も、ある意味大変新鮮に感じます。田舎出身で身近でなかったからでしょうか?いや、昭和の美しさなのでしょうね。
京阪204とセドリック、西村さんのお陰で学習した浜大津駅前の建物の数々、いいですね。あんな電車やこんな電車が走っていたのかと改めて感慨に耽っています。
マルーン様
写真の撮り方はいろいろあるようでして私などひよこです。形式写真はそれは一つのジャンルですが、私は風景的写真が好きです。そのような中で駅や街の情報をいろいろ入れた写真は特に時代の変遷などがとらえられると面白いですね。湯口先輩の花巻電車のおばさんや中国地方軽便の前の荷台に担ぎ込まれた大きな荷物など大変印象に残っています。高橋弘さんの「関西の私鉄懐かしき時代」の京阪交野付近の子供を抱いたお母さんと後方のリヤカーなども印象に残っています。こういう時は車両の形式などどうでもいいのです。そして総本家青信号特派員さんの京都市電、国道電車、阪堺電車、国鉄京都駅等々人をうまくとらえたものも私など真似はできません。マルーンさんの阪急梅田駅はカンカン帽の叔父さん連中がよく古い写真に出てきますが、こういうのは年齢的に無理でした。ただ、昭和40年前後は駅のホームで和服のおばさんが写っているものもあります。自動車も邪魔と思っていましたが今になるとそうでもないですね。
マルーンさん、バタコーというのを御存知ですか。これ撮りそこなっています。コメント有難うございました。
準特急さま
コメントのやりとり楽しく拝見しています。「人と鉄道」についても触れられていますが、私のこともお褒めの言葉を頂戴し恐縮しています。私は、湯口先輩や高橋弘さんには足元にも及びませんが、人と鉄道が魅せる、一瞬の出会いが楽しくてカメラを向けています。湯口先輩は、はるばる北海道で、簡易軌道の語り部として聴衆を魅了したと某ブログに載っていました。簡易軌道でも、湯口先輩の撮られた人を絡めた素晴らしい写真がたくさんありますね。
総本家青信号特派員様
ブログやFacebookなどいろいろあると思いますがそういうのに乗り遅れていますのででかいことは言えませんが、デジ青ではコメントがあると嬉しいものです。投稿した人も同じことを言っておられます。コメントに対してコメントを返すことで一種の「やりとり」になりますが、盛り上がりは面白く楽しいものでありますが、ルールをわきまえるなら意見の違いはそれは当然あっていいと思います。だから私も時々「あくまで個人意見ですよ」と書くこともあります。コメントというのはその投稿に関して自分も同じ経験をしたとか、以前その場所に行ったことがあるとか、何らかの関係がある時「よし、コメントしたろ」という気分になります。従って自分に関係がないとそういう気分になり難いのでコメントし易い話題はあると思います。しかし、コメントが無くても立派な投稿はいくらでもあります。最近デジ青では地方特派員も増えて大変結構なことと思っております。湯口先輩の講演は凄いですね。湯口先輩と同じように簡易軌道や内燃車輛に造詣の深い三田会の大親友のTさんも湯口写真を大変褒めておられました。私も最近は駅の乗降の際などもカメラを離さずいろいろなチャンスをうかがっていますが、センスがないとダメですね。