豪快に走り去った阪急710形

マルーンさんから冬眠中たたき起こされたが目覚めが悪く時間が経ってしまった。ところで老い先が短くなると昔を懐かしく思う傾向が強くなる。紅白は見ないが懐メロは見る。鉄ちゃんもその傾向があり、国鉄時代を懐かしく想い、JR化後にはあまり興味がわかない。そういいながらJR化して何年経つのであろうか。平成も間もなく終わるそうである。私も鉄ちゃんの性格を持っているので古く懐かしい阪急京都線710形の思い出を発表してみたい。

710形は1950年から1953年にかけてナニワ工機でMc710+Tc760の7編成14両が製造された。全金製の車両で神宝線810形と共に19m、車体巾1750mmで初めての阪急標準車体で登場した車両で両者は京都線100形と神戸線800形・920形を足して2で割ったような車両であるが細部を見ると電気関係、台車、窓枠の色等に差異もある。マルーンさんによると機器の位置が両線の車両には反対の位置にあるものもあるという。技術的なことはよくわからないが、私が感じたのは同じ会社でありながら両線の番号の付け方が違うことと運行表示板の位置が急行では左右反対であったことである。このことは後で触れてみたい。710形が170KW×4の大出力であることは後年知ったことであるが、小学生時代の私は神宝線沿線に住み京都線710形との出会いはたまに大阪に連れて居ってもらった時に十三-梅田間の神戸線との併走区間で見た運行表示板を2枚付けたクロスシートの710形の特急を見た時であった。この頃は十三も停車せず京都大宮終点までノンストップで走破していた。神戸線の特急は810形の初期4編成810~813がクロスシートであったが存在感が薄く、800、900、920形の17m中型車が中心で特急表示板も1枚で十三にも停車した。当然、710形の京都線の方が格上に見えたが、神戸線の方がフリークエントで600ボルトながら100km/h以上で飛ばしていてどちらも高速運転路線であった。羨望の眼で見ていた京都線710形特急も趣味活動の出遅れにより乗車体験はあったものの撮影はしておらず1969年3月4日の大雪の時にダイヤ乱れで急遽登場した時と複電圧車の機能を発揮してシーズンの休日に宝塚行き特急「歌劇号」として運行していた記録が全盛期を彷彿させてくれる唯一の姿である。そのうちの「歌劇号」が下の写真である。

1967.5.28 長岡天神-大山崎間 今津線経由宝塚行き特急「歌劇号」 714+764

私の時代は主に急行で運用された時代でロングシート化されていたとはいえ特急時代には見られなかった6連で編成美を誇っていた。

1968.12.02 大山崎-長岡天神間の築堤を豪快に走る京都行き急行765・715+763・713+764・714 ▼

 

1968.10.25 西向日町(現西向日)手前の緩いカーブの坂を飛ばしてくる大阪行き急行714他6連 ▼

 

1968.5.21 桂-西京極間 西陽を背に轟音と共に桂川を渡る京都行き急行762・712+764・714+766・716 ▼

 

1968.9.28 長岡天神駅を通過する3扉化された717先頭大阪行き急行  717・767+715・765+716・766の2扉、3扉の混成 ▼

 

退色甚だしいがカラーを1枚

1967.4.4 長岡天神-大山崎間を行く大阪行き急行717他6連

 

私の撮った急行列車の運行表示板は全て向かって左側である。それまで見慣れた神宝線のそれは右側である。1955年頃の京都線は右側のものもある。あるいはこの頃は右側であったのかもしれない。京都線が十三-梅田間で宝塚線を使って梅田乗り入れをしていたがその時の誤乗防止の一環であるのなら3複線ができて相当な時間が経過をしているのに何故同じ会社の同じ種別の急行板が左右別々であったのか疑問である。因みに京阪電車は石坂、京津線含めて左側に掲示されていた。

 

ここで番号に関する写真を見ていただく。

710形のトップナンバーは711であった。

1967.02.28 新千里山(現南千里)を出た711他6連の大阪行き ▼

次に戦後の運輸省規格型電車700形のラストナンバー710を見ていただく。710ではあるが710形ではなく700形であることがややこしい。

1968.06.19 天神橋駅 北千里行き710 ▼

 

神宝線の810形のトップナンバーは神宝線の伝統のナンバーの付け方に倣い810である。京都線では5300系から神宝線のやり方に妥協したのかファーストナッバーは5300となった。山陽電鉄も0から始まったように思うが、現在大手私鉄では阪急以外は1から始っている。脱線ばかりで恐縮であるが、野球でも背番号0とか00というのはどうも納得できない。

本題に戻り、710形は3扉に続いて前照灯をシールドビーム2灯化した。美形であった710もこうなっては見て居られない。結局この晩年の顔は撮っていないが下の写真の810の2灯化された顔と同じである。710形は1983年に全車廃車されたので30年ほどの活躍で比較的短命であったが、豪快でスタイルよく編成美を誇った記憶に残る車両であった。

1979.09.14 西宮北口 宝塚行き5144と並ぶ標準車体のトップナンバー810の今津行き ▼

文中710や810はそれ以前の車両を含め形を使ったが系の表示の文献もある。個人的には新性能化、阪急で言えば1000以降を系と呼称していいのかと思うが、大手私鉄でも系が大勢を占める中で形を主張している会社も数社ある。

古い話であったが、共感を持って見ていただく方が少しでもいらっしゃれば幸いである。

 

豪快に走り去った阪急710形」への13件のフィードバック

  1.  準特急様

     久しぶりのご投稿、それも阪急710型、有り難うございます。
     710型は軽快によく走る電車でしたね。そして、阪急スタイル。懐かしい!
     標示板の位置も何も京都線の電車は新京阪方式を踏襲して、5100型が入るときに三線共通方式に変えようとしましたが、現在でも京都線は神宝線と同じではありません。うーん・・
     不細工?な700型のラストナンバーが710とは!?勉強になりました。
     シールドビームに改造の810が掲載されていますが、似合いませんね。
     準特急様のご投稿でデジ青が締まりましたね。総本家様は今は何かと大変な時期らしいですが、きっと近いうちに投稿が開始されることを期待しております。
     有り難うございました。

  2. お久しぶりです!
    安心しました。阪急は全くわかりませんが、この時代の電車には深い思い出があります。
    続いての投稿を待っています。

  3. マルーン様
    引き続き眠れる(?)集団を引っ張っていくことになりご苦労様です。東国の地から少しでも応援できるようにしたいと思っております。近く横浜に来られることと思いますので新京阪対阪神急行の話をさらにお聴きしたいと思います。

    米手作市様
    先日のホームカミングは米手さんが急用で火が消えた様な感じがしないでもなかったです。阪急京都線は米手さんの故郷のような存在でありませんか。何れにしましても次なるものを考えてから本格的冬眠をします。

  4. 此のところ『デジ青』の動きが鈍く、『生き甲斐』(笑)を無くしていたところに『阪急710形』が現れ、救われました。
    スラっとして細面の710形特急が颯爽と走り抜ける姿が脳裏から離れません。
    幼少期に通学で神戸線を利用していた頃、京都線には710形が居ると聞いて憧れたものです。
    後の高校時代には京都線沿線に転居したため、毎日目にする事が出来るようになったものの、当時は基本的に特急運用だったため乗車の機会は殆ど無く、眺めるのみだった気がします。
    1550に次いでP6の世界に阪急色を持ち込んだ先兵的存在でしたが、ヘッドライトがP6規格だったのは何故だったのかが小さな疑問です。

  5. 河 昭一郎様
    いつも当を得た、時に元気づけられるコメントを連続していただきながら投稿が途切れがちで申し訳ありません。考えてみれば河さんとは同じような時代に同じ空の下で趣味活動をしていたのかもしれません。豪快な走りっぷりは京急にも当てはまるのかもしれませんが、工場地帯や連続するトンネル区間を走る京急は阪急京都線とは異なったイメージを持っています。P-6や710は恵まれた直線の多い路線を遠くからでもよく聞こえる素晴らしい走行音で走っていました。17m3扉車が主体であった関東から戻って下宿近くでその走行を見ると豪快に感じた訳です。P-6と710の大きなライトも魅力でした。それに比べ神宝線の800、900、920は小さくで魅力に乏しい感じがしました。河さんまた宜しくお願い致します。

  6. 準特急様
    そうですね。京急は昔、学生時代には仲間内で『ジェットコースター』などとオーバーに言ってましたよ。
    井土ヶ谷から先、三浦半島の山合いを猛?スピードで走り抜け、体がフラフラ揺れた記憶があります。

    その後は長く乗車の機会が無かったのですが、先日久しぶりで乗車した時にはその揺れが余り感じられず、拍子抜けでした。
    どうやら、線路改良が行われたようで、外を良~く見ているとカツテの急カーブを改良したと思しき現場が確認できました。

    何れにしても50トン級P-6用の、名立たる高規格路線で710形が貴婦人に似た清楚さを振り撒きながら疾走する姿が忘れられません。
    河 昭一郎

  7. 準特急様

    先ず貴殿の記事内容と相反する記述を連続コメントしてしまい、失礼致しました事をお詫び致します。
    さらに、それに気付くのが大変遅れ申し訳ありませんでした。

    710形は確かにP-6に負けず劣らず『豪快』な走りでもありました。
    四面P-6の中、京都線内では武骨なP-6に比して、たまたまスラリとした細面にも見えたため私見を押し通してしまい、大いに反省しております。

  8. 河 昭一郎様
    私は河さんのご指摘はあまり気づいておりませんが710形に関しては河さんとほとんど同じ見方です。以前河さんは大糸線旧型国電の色や横須賀線リバイバルカラーのご不満や微妙な色違いを指摘されていましたが私も同様に思っておりました。個人の見解を出していただく方が私はいいと思います。710形はP-6よりもよりも車体巾は狭いですが、私は阪神851形や阪急今津線の500、320、380形を見て育ったためか阪急710や810は細身というよりも大変スマートに感じました。最近の四季島とか超高級列車よりもP-6の幌付きの顔、710、阪神851、南海2000、近鉄2200等々こういう顔が好きなのは今の人には理解されないかもしれませんが、好きだから堂々と主張したいと思います。紅白よりも懐メロが好きだと言いましたが、最近の車両よりも懐かしの電車である懐電が好みです。これは歳寄りだから仕方がありません。今後も自分のオリジナル意見で行きたいと思います。それよりも河さんがデジ青を生き甲斐と言われて大変うれしく思っております。

  9. 準特急様
    東西に渡り、電車の写真と解説。お陰様でデジ青は再び賑やかになりました。阪急700形の投稿については以前から準備されていたのですね。だいぶ前になりますが、700形の写真か何かで、準特急さんから聞かれたことがあるように思いました。その時、当会の先輩、故羽村宏先輩の写真が、非公開HP『羽村宏さん遺作作品集』に掲載済みと紹介したことがあります。

    それは、乙訓の老人様が『関西の鉄道』20号(1989.1.20発行)に羽村さん撮影の700系ほかと共に投稿された記事をもとにしました。『羽村 宏氏をその作品と共に偲んで』の一文もあります。丁度良い機会なので、それらをデジ青に投稿しようと思います。今、乙訓の老人様にその旨を相談しているところです。返事有り次第、投稿します。今しばらく御待ちください。

    • tsurukame様
      先輩にお尋ねしたことがあると思います。私は急行に格下げされて以降しか記録にありませんが、例えば鉄道ピクトリアル1998年12月号No663臨時増刊「特集阪急電鉄」-走り去ったマルーン色の電車”京都線・新京阪”の残影-のうち74、5頁には羽村宏先輩のP-6の特急、湯口徹先輩のC59列車を追い抜くP-6急行、羽村宏先輩と乙訓の老人さんの710形2連、4連の特急、そしてtsurukameさんの1300系特急と当会の錚々たるメンバーの作品が列挙されおります。改めて当会も総合力を出すと凄いなと思った次第であります。なお、tsurukameさんのコメントでの700形は710形ですね。神宝線800、810もそうですが形式が10の違いで全く大きさの異なる車両です。吊り掛け車等の古い時代各社にこういうことはあったと思います。

      • 準特急様
        そう、710型です。うっかりでした。ところで乙訓の老人から返信が届きました。Yes! Go!でした。近く投稿します。お話のようにビク誌に掲載の写真と同じでしょうが、ご覧になっていない諸氏に、デジ青に残しておこうと思います。それから、続きに阪急神戸線の900形などはいかがでしょうか。筆者1961年撮影、北口-岡本付近が10枚近くあります。先ず先人を切り900形を紹介してください。続けますから。よろしくお願いします。

  10. tsurukame様
    乙訓の老人さんは論説委員の様な存在で特に電車に関してはどなたの投稿に対してもコメントしていただけるような方だと思います。是非宜しくお願いします。tsurukameさんの阪急900、920の特急は京都線の710同様に私はその全盛期に間に合っていませんので是非tsurukameさんオリジナルの投稿をお願いしたいと思います。私は再冬眠を考えていましたが、マルーンさんが一生懸命やられている会の運営、特にデジ青には私なりにいろいろトライしたいと考えております。

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