東西国鉄旧型電車

河昭一郎様 お待たせしました。 というほどの写真ではありませんが、横須賀線70系と関西国電(京都-西明石)等拙い写真ですがどうぞご笑覧下さい。

前回のクモユニ74と同じ大船のカーブです。

1968.2.13 921S 戸塚-大船間 久里浜行きクハ76022 ▼1968.2.13 905S 戸塚-大船間 後ろから見た70系12連横須賀行き ▼1965.12 保土ヶ谷-戸塚間 後方から下り70系12連 ハーフサイズで撮影▼1967.12.17 逗子 クハ76 ▼

 

1968.2.13 戸塚-大船間 333M 富士行き80系静シス 東京口最後の80系であった様な気がします。

 

1967.2.11 雪の山手駅 クモハ73259~クハ79106東ウラ南浦和行きを後から撮影 ▼

1962.10.2 大阪 茶坊主クハ76を撮ったのはこれのみでしかもハーフサイズ ▼1963.4 甲子園口-西宮 西明石行きクモハ54か51か不明 こあたりは自転車での撮影行 ▼1967.11.6 塩屋-須磨間 京都行きクハ68103大アカ ▼1967.11.6 塩屋-須磨 西明石行きクハ79480大タツ ▼最後は河様がよく趣味誌で発表された湖東線(滋賀県の米原あたりまでの東海道線はこのように呼ばれていたように思いますが如何でしょうか)の臨電です。上の写真同様にこの頃は4扉車が主体になっていました。 1967.2.11草津-石山 瀬田川橋梁を行く京都行き▼ 

7 thoughts on “東西国鉄旧型電車

  1. 準特急様
    旧型国電の写真懐かしく拝見しました。旧型国電を利用したのは廃止も近い70年台になってからでした。それでも103系に置き換わるまでの間何度か乗ったことを覚えています。ところで京都以東で旧型国電が走っている写真を初めてみました。臨電とのことですが、何の臨時電車だったのでしょうか。手元に1967年4月号の時刻表があって見たところ春の臨時電車として京都ー草津間に3往復、京都ー野洲間に1.5往復、などの臨時電車が載っていました。いずれも3月19日~休日のみの運転となっています。写真を撮られた2月11日はまだ観光シーズンには少し早く、まさかスキー列車ではないでしょうね。

    • 大津の86様
      また、ひとつ信頼を失いました。申し訳ありません。1968年5月19日日曜日の撮影が正しいです。痴呆が進んでいるのでしょう。能力以上の投稿を行った結果、雪の日の根岸線山手駅73系の撮影日1967年2月11日と混同して掲載しました。お詫び申し上げます。ご指摘ありがとうございました。このあたりも新駅が出来たり、複々線化されたりしたのではないでしょうか。相当変わったことと思います。臨電についてはこれも最初で最後の撮影でしたので詳しいことはわかりませんが、行楽シーズンの祝日などに運転されていたものと思います、これも河様はよく知っておられると思います。

  2. 自分の歳を考慮しないといけないのは当然ですが、正直、「旧型電車」とあったので、80.7歳後期高齢者は、てっきり、モハ42、43や51などの一連かと思いました。モハ80、70系が「旧型電車」なんですねぇ。老人は消えゆくのみ、ではあります。

    • yuguchi様
      まだ、人の往来が今ほど盛んでない大昔、山科から京都に出かけることは旅に出る様な感じだとおっしゃったyuguchiさんのお言葉を思い出しました。木造車や軽便鉄道に慣れ親しみ、またそのジャンルで数々の発表をされ表彰された大ベテランのyuguchiさんにとって長編成で一部全金属車両も現れた70系、80系は吊り掛け車であっても旧型車ではなかったのかもしれません。とは言え京阪の1800や国鉄101系、151系、153系ももうかなり昔のことですが、私もそういう車両は覚えていますが、JR化後の車両の形式は覚えられません。東海林太郎、霧島昇、淡谷のりこ、藤山一郎などのナツメロは歌えますが今の歌は歌えません。舟木、橋、西郷、水前寺等我々の時代の歌手も今ではナツメロ歌手です。月日の経つのは早いものですが、どうぞ、また、鋭いご意見、ご指摘を賜りたいと思っております。

  3. 準特急様
    これは、これは、圧巻ですね。
    国電ファンの私は涙が出そうです。
    それも11枚もの大量に嬉しさ一杯です。

    スカ形76はやっぱり清楚感が溢れていて最高です。
    大船-戸塚、戸塚-保土ヶ谷の写真は私自身も何度か行った場所なので懐かしさが込み上げて来ました。

    3枚目の後追いのクハ76は窓が原型のまま残ったのが、此の時期話題になっていたような気がします。(勉強不足で複数車居たのかを知らず、番号も特定できません。)
    何れにしても、もう2度とこの場所には立てませんね。
    野次馬鉄ちゃんの増加で、鉄道側のガードが厳しくなって、我々真面目な?ファンも締め出されたのが残念です。

    その次の逗子でのショットは我が関西からスカ線増強のため移動した前サボ架け付きの76で、東京に転居していた当時、スカ線で再会した時は感激したものです。

    続く80系は9連の頭に尻切れトンボのモハ80を含む3連を繋いだ12連の実質的〇〇学会電車ですね。

    雪の山手駅、そうそう雪の日も出撃しましたねえ。
    私も山手線(当時はヤマテセンと言いました。)でカジカンダ手を吐く息で暖めながら撮った覚えがあります。

    後半は関西での撮影ですね。
    大阪駅のショットに思わず唸ってしまいました。
    私は、どちらかと言うと車両をメインにした撮影が多く、味の無い写真が多いのですが、このパノラマショットで、当時の大阪駅を彷彿と思い出させていただきました。

    甲子園口―西宮での撮影は画面の右外側には甲子園口を経由して阪神電車・武庫川線に繋がる単線がありましたね。
    電車は典型的な関西国電ですが、クモハ54(クモハ60改造車は別)と51の見分けは難しかったですね。

    塩谷-須磨の73系中古車オンパレードには、本当に悲しかった記憶が呼び起こされます。
    特にそれによって伝統の関西国電が一掃されたのには本当に寂しさを感じたものです。

    瀬田川橋梁での湖東線臨電には、この頃の『なりふり構わず』感を感じます。
    当初は茶坊主ではありましたが、特別仕立てした76+70+70+70+70+76の6連が80系快速電車と渡り合ったものでした。
    それにしても、この瀬田川橋梁でのショットは絵になってますねえ。

    以上、本当にありがとうございました。
    続きが有れば、次の機会を楽しみにしております。

  4. 河 昭一郎様
    若輩の拙い写真を見ていただき有難うございます。東西で私と思い出が重なる部分もおありのようで大変嬉しく思います。また、撮影者に代ってご説明を頂き感謝しております。DRFCにも国電に詳しい猛者が多数いましたが、私は以前にも申し上げました様に手を拡げ過ぎてそれぞれよくわかっていないのが実態です。横須賀線の70系や京都-西明石間の関西形緩行電車はその後どこへ行ったのでしょうか。高崎、上信越地区や中央線、飯田線、福塩線あたりに行ったのでしょうか。関東地区でも横須賀線の70系を撮影した人は徐々に少なくなっているようです。それでは今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

  5. 準特急様

    忘れた頃の『反応コメント』で失礼します。

    デジ青の過去記事(コメント)を読み返していて、折角私の『知ったかぶり心』をクスグルご質問をいただいていたにも関わらずスル―してしまった感じで大変失礼致しました。

    関西国電やスカ形車の落ち行く先については小生にとっても最大?の関心事でした。
    なかんずく京都―西明石の緩行電車は記録しておかなければ…と心が逸ったものでした。

    かろうじて不完全ながら記録できたのは飯田線豊橋付近、中央線名古屋駅、仙石線、新潟国電、身延線東海道口のみでした。

    実は関西国電の『お得意先』は西にもあって、福塩線、宇部・小野田線、宇野線は関東からは遠距離のため、とうとう訪問出来ずに終わってしまいました。

    一方のスカ形153両については新ナカニ61両、名カキ42両、名シン13両、高シマ36両の各地にバラ撒かれたとの記録があります。

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