失礼しました。この6両の種車は、新製車ではなく、国鉄払下げの中古ワフ25000形式だそうです。中の1両1140は、ご覧のようにブリル台車に履き替えていました。乗り心地が悪かったからでしょう。晩年は貨車として使ったといい、事情は知りませんが恐らく、熊延鉄道ハ50、51(これは新製貨車を流用)同様、認可当局は客車としてではなく、「目下の情勢では貨車で客扱いするのは差支えない」と、妙な理屈で貨車として認可したんじゃないかと思います。
どんな色であったかは分りません。元来小生は色盲ではないのですが、色彩センスに極めて乏しく、永年モノクロ専門だったためか、およそ車両の色を覚えていないのです。上の写真からは、貨車並みの黒とも、錆びて茶色になっているとも思えませんが。
ご指名を頂きながら大巾遅延となり申し訳なし。まず須磨の大人へ。1140号に舶来の元ラジアル台車をはかせたものの、大波小波となり、戦災車6両分を活用するはずが中止になったとのこと。元来、舶来製品は良好な線路条件を有するところでないと所期の性能発揮とならない事、貴兄も良くご存知のはず。色は淡いグレィ。老人がワフを訪ねたのは1954年8月でした。1110は仏生山庫の東北隅の留置線、1120は塗装工場西側の草叢の中に鎮座。1130と1140は瓦町留置線にボロボロ姿で他のボロボロ姿の東讃1型と解体を待っていました。1150、1160は仏生山・検車庫前の本線との間に達磨さん姿となっていました。
1120の車内を覗きましたが、運転台には何の機器も無しでした。客室の方は両側に木のベンチ、肋骨天井に電燈の台座が4ケ残っていたいたことを覚えています。
車庫で運転した事のある方に聞いた話は「とにかく怖かった。タンタンの音と共に上下動が激しく、カーブは50キロ以下と言われたが、そろっと曲がっていた。
国電のお古2000形(210、220、230)が28年に入り、やっと使用停止になってホットしたもんだ。」言われてみてカーブの速度制限票が「50」となっているのを思い出した。
走るワフに乗ったこと無しで薀蓄を語るほどのネタ不足でごめんなさい。
乙訓の長老様、
記事中に「運転台には何の機器も無しでした。」とありますがコントローラーとブレーキはあるが、メーター類は無かった、ということでしょうね。この場合のブレーキはどんな種類の物でしょうか?
失礼しました。運転室部分の運転に必要な器具類は全て撤去されており、機器名などは確認できなかったのでありました。後に知りましたが、制御方式はHB(三菱電気製)制動方式は直通方式(非常弁付き:ドイツ・クノール製)であったという事です。1000、3000形から移設したものでもないようで、どのような経路で入手したものか、当時そのようなことまで気が回りませんでした。