天津路面電車については、コメントに追加しましたように路線図が疎開地時代であり、その後に延伸等があったことが未調査でした。漏れがありまして、大変失礼をしました。まだ何か出てきそうですので、再度中国語サイトでの歴史を調べなおしておりますが、真偽性を確認出来るのに手間取っております。もう少し時間をいただきたくよろしくお願いします。
第14日目 5月31日
中国鉄路の歴史は、Part18の中国鉄道博物館正陽門館、また2009年の上海鉄路博物館訪問記で、ご紹介させていただきましたが、最初の路線の天津にはもっと詳しい資料展示があるのではないかと期待して天津博物館を訪問しました。
まず目に入ったのは、中国最初の鉄道として河北省に開業した唐胥鉄路を走ったと表示されています、その名もロバート・スチーブンスが設計したロケット号にちなんで名づけられた、「ROKET of CHINA」号(中文では中国火箭号)の展示用の複製です。
▲ この蒸気機関車は動輪数が当時の写真と違っているように見えますが、・・・・。最高速度は、32km/hです。
【中国の最初の鉄道】
1877年、北洋大臣兼総督李鸿章は、天津機局(兵器工場)が必要とする石炭を供給するために、開平石炭会社設立を命じました。石炭会社は、短距離で石炭輸送するには、唐山から胥各庄までは鉄路建設、そこから先は運河を掘削して船で河口へと輸送するしかないと、清朝政府からの反対を押し切り、1880年10月に中国で最初の鉄道を着工しました。
1881年11月8日に唐山炭鉱から胥各庄までの全長9.67キロの鉄路は開業し、唐胥铁路と命名されました。その後1887年、芦台まで延伸、1888年には塘路を圣由して目的地だった天津までの130キロが開業して津唐鉄路と改名されています。歴史記録によると当初、津唐鉄路は単線で運行されました。レールは24kg/m(駅内は18kg/m)、ゲージは世界標準の1435mm、当時の天津のプラットホームは1つ、粗末な駅舎だったそうです。
【鉄道開通による天津の発展】
鉄道開業により天津は、中国で汽車が走る第1番目の大都市となり、近代的発展を遂げていきました。
前述の路面電車の他、電話網も中国で天津が初めてでした。
変り種として、博物館には潜水艦も初めて製造されたと模型が展示されていました。窓ガラスがあるので多分全体が深くは潜行するとは考えられませんが・・・・。
▲ 開業時の天津駅は、旺道庄に建設されましたが、路線が延び利用客増のため駅の拡大が必要となり、4年後の1892年には西約500mの老龍頭(老龙头)に移転されました。当時は「老龍頭駅」と呼ばれたそうです。その後、1900年の「庚子兵变」で駅が破壊され、1902年に再建され「天津紫站」と名称されましたが、1911年には「天津東站」に改称されました。今でも地元では東站と呼ぶ人も多く、Taxiに乗車する時は東站と言った方が間違われません。
【発展する天津の中国鉄路】
津唐鉄路は、1894年に山海関(歴史上名;榆関)まで延伸され津榆铁路と改称、1897年には北京城外の马家堡まで延伸、1901年には待望された北京城正阳门までが開業となり、京榆铁路,又は京山铁路と称されました。
その後は沈阳(奉天) へと伸び、京奉铁路、北宁铁路、平奉铁路、京沈铁路と改称されていきました。
北京城まで開通できましたが、時の北洋大臣兼総督が天津と北京往復によく乗車した天津東站はロシア租界にあって、利用の度に顔色を見ないといけない等々の不快感に我慢できず約4キロ北京寄りに新駅建設を命じました。
新駅は1903年正月に完成し、新開河站と名称されました。この駅も時代と共に新开河火车站、天津中央车站、天津城火车站、天津新站、天津总站と改称されました。1938年に天津北站となり現在に至っています。
当時、天津と南京の長江対岸の镇江への津镇铁路の計画が持ち上がっていましたが、1898年9月にイギリスとドイツは清政府を無視してロンドンで勝手に工事を決定してしまいました。そして軍事的圧力を清政府にかけて屈服させ、1908年には借款契約に調印させてしまいました。路線名も津浦鉄路に改称させ全長1009キロの工事を開始し1912年には全線開業しました。
路線はその後天津東站まで延伸され京山鉄路とも結ばれました。上の写真は完成当時のドイツ様式の天津西站です。
現在天津西站は、2011年中国共産党結成記念日の京滬高速鉄道(北京~上海)開業に伴い大改装され近代的なホーム・駅舎に変貌しています。かつての駅舎は天津市重点保護建築物に指定されて保存されています。
1949年10月1日に国名が中華人民共和国に改称されてました。北京の外港として重要性を増した天津の鉄路駅も1951年に木造からコンクリート造りに建て替えられました。
1987年には、益々の利用客増加に対応するため再度立て替えられて、現在も使用されています。
2008年北京オリンピック開催に間に合わせるために、中国で初めての新幹線、京津城際鉄道の建設が進められました。
これに伴い天津駅は、開業以来の大改造が計画されました。計画では、新幹線・在来線と地下鉄3路線が乗り入れる大ターミナルとなります。どのため、正面駅舎を除いてホーム・高架待合室等は撤去され、工事期間中の駅機能については東側ヤードに臨時駅が 設けられ不便を強いられました。
2008年7月中国共産党結成記念日には北側にも駅舎が完成し、駅機能は戻されましたが、地下鉄乗り入れ工事は遅延し、未だ開通できていません。
最近の情報では、今年の国慶節(建国記念日)には開業予定と聞いておりますが、天津人は真偽性を疑問視しています。 ;Part21 へ続く