2011年 春から夏への中国鉄路の旅 Part10  平庄煤礦鉄路から阜新煤礦鉄路へ

第8日目 5月25日

① 平庄9:32(4210次)→16:14阜新

今日は阜新までの337キロをゆっくりと6時間42分、表定速度50.3km/hで向かいます。叶赤線を終点の叶柏寿まで走り、ここから錦承線を途中の义县から分岐した新义線と3路線を走行していきます。
出発までゆっくりとホテルの朝食を食べておりましたら、お二人が撮影から戻ってこられました。朝5時頃に部屋の窓からお出かけが見えていました。O氏は昨日の列車の半分が切り離されて五峰站に留置されていたので、ひょっとしたら朝に回送機がやってきて1ヶ月に1度走るかどうかと言われた五家鎮に向かって行くのではと期待して向かわれたそうです。

昨日私が帰った後、その路線をロケハンされると撮影ポイントが数多くあったのでどうしても撮りたかったと言われました。残念ながら昨日も今日朝も望みは叶えられなかったと悔しがっておられましたが、気迫には頭が下がります。一方、F先生ももっと早くに装煤站ヤード方面に向かわれていました。 朝焼けの空をバックにしての撮影にのぞまれたそうです。元々風景写真を撮っておられた写真家らしい発想です。お二人にかかっては私はまだまだひよっこだなあと思いました。

この2日間でロケハンで歩いた経験をもとに路線図を作成しましたのでご覧ください。
▲ 黄色が平庄煤礦鉄路の路線図です。距離が分かりませんが、中国鉄路の平庄~平庄南間が9キロです。目安にしてください。
中央司令室がある装煤站に行かれる場合は、近くに燕京ビール工場がありますので、Taxi運転手に伝えれば行けます。正門前が線路と交差する踏切になっています。

 


▲ 平庄駅前でお孫さんとアイスクリームを売るおばさんのんびりとした雰囲気が感じられました。改札前の待合室、平庄南站にはなかったX線検査機がおいてありました。

▲ DF4D-0033牽引の4210次。硬座7両+食堂車+軟座寝台1両+硬座寝台3両の非空調12両編成でした。扇風機が付いた軟座寝台は初めてです。後で気がつきましたがこの車両は上海地下鉄3号線大柏樹駅近くに静態保存されていた東ドイツDWA社製の貴重な軟座寝台車でした。もう少ししっかり見ておく必要がありました。記事はこちら
ローカル線に乗車するとこんな珍しい車両に乗車できるチャンスがありました。反省です。

▲  発車してすぐに車窓を見ていますと、3人からあっと声がでました。何とズリ捨て列車が走っています。牽引機は遠くて分かりませんが間違えなく上遊型です。平庄煤礦鉄路には知らないズリ捨て路線があり、まだ確認していない上遊型があったのかも? 次回来る時に調べてみましょう。ズリ捨て列車が走っていたのはこの辺りです。


▲ 12:30、食堂車タイムです。今日はどんなメニューがあるのかと楽しみにテーブル上のメニュー表を見ましたが例によってお飾りで弁当のみでした。瀋陽鉄路局の食堂車は好評なのですが残念です。

▲ 阜新煤礦鉄路にまだ上遊型が走っているかどうか分かりません。阜新到着前は3人とも車窓から並行している阜新煤礦鉄路に釘付けです。阜新站ヤードでようやく上遊型0988号機を発見! 安堵の阜新到着でした。左下の写真にRW24型が写っています。のっぺらな屋根が特徴です。阜新站はこちらです。

16:14、到着後は宿探しです。出来れば駅前が便利でいいのですが、正面に見えるホテルは閉まっています。站周辺にホテルがないので、Taxiに乗って市内に入り藏重氏が利用されておられます旧満州炭鉱の男子独身寮を改造した西山賓館へと行きましたが、あいにく満室です。近くのホテルを渡り歩きましたが、外国人は宿泊不可だったり、部屋は綺麗でも窓がなかっり、あっても見えるのは崩れかけた建物だったりで中々見つかりません。途中の空室のあったホテルで荷物を置いて私が保管係で宿探しはお二人に任せました。結果、開放広場に新翔賓館という手ごろでいいホテルが見つかりましたがその間2時間もかかってしまい、夕方の撮影を頑張ろうと言っていた気合は吹っ飛んでしまいました。

シャワーを浴びてから今日は栄養をつけて明日に備えようとの事になりました。

▲ 今晩の夕食は久しぶりにまともなお店でお鍋です。スッポンパワーで活力アップをしました。   Part11  へ続く

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