東急のアバンギャルドな5000型

アバンギャルドを知らなかったので調べました。“前衛的”だそうです。

前回は人気がなかったようですが今回は大東京の渋谷駅前にある人気者です。皆様の薀蓄を楽しみにしております。なお、前回の秋保電鉄のあと、今回の東急までの間に三回の掲載がありましたが私が入院中だったため未投稿です。順次投稿いたします。

東急のアバンギャルドな5000型」への6件のフィードバック

  1. 1957年4月、渋谷~桜木町間が初乗りです。その時の印象では京阪1800型とべ、直角カルダンであった事から走行音が静かであったことです。阪神300形の初乗りでは感じなかったことでした。そして床が空色のビニールシートであったこと。
    1993年岳南鉄道に行っていますが、その時は床の色、走行音が静かな事、それらをただひたすらに求め乗りました。1989年の熊本電鉄訪問では、この2点を忘れるほどに衝撃的なことがありました。切り妻運転台設置による単行運転でした。投稿が無いようでしたらピンボケ写真を探してみます。

  2. 青ガエル、懐かしいですネ。
    関西から横浜の大学へ来た時に最初に乗った関東の私鉄が東横線(当時は東急電車と言うのは稀)でした。
    当時の東横線は青とオレンジに塗り分けられた3000番代の雑多な(失礼ながら小生には雑多と映った。)車両が各停で運用され、中には国鉄の戦災車を払い下げた3600形も有ったが、急行電車には5000形シリーズの青ガエルが大活躍していました。
    この5000形は湘南タイプでしたが、下膨れのお多福顔をしており、車体の裾は大きく湾曲していました。
    このためホームとの間の隙間を埋めるためにドアー部分には阪神電車の小型車のようなステップが付いていたのが全体のデザインを台無しにしていたような気がしました。
    ある時、この5000形でドアーに押し付けられる満員状態を経験し、湾曲したドアーの裾上で足の置き場に苦労したのを覚えています。(笑)
    走りの方は乙訓の老人が仰るように直角カルダン駆動の長所が際立っていたように思います。
    関画伯のイラストにある6000形ステンレスカーが出る前に実は5200形と言う当時の湯たんぽを連想させるステンレス板を纏った我が国初のステンレスカーが存在しましたが、流石にこちらの方はステンレスでの工作が難しい裾の湾曲はありませんでした。

  3. 乙訓の長老様
    昭和32年にこんな斬新な電車が走ったとは、さすが東京だと思いました。
    熊本電鉄の5000型単行は、テレビでも見たことがありましたがしっぽの切れたトカゲのようで気持ちの悪いモノでした。

    河様、
    お久しぶりです。お待ちしておりました。
    私が5000型に乗ったのは東京で就職して一年後、横浜勤務になった頃です。東京で友人に会うときは渋谷に決めて東横線の急行(なぜか特急がなかった)を愛用しましたが、遅いのに音を上げたモノです。おもえば京阪間の特急になれた身にはあまりにも遅く感じられたのです。

  4. 河さま
    ピクの国電の話、興味深く読んでいます。東京口に続き次は中京圏でなく関西と決めつけ、今か今かと待っています。
    先のコメント、京阪1800型と比べ、です。脱字がありました。すみません。
    青蛙、1989年の熊本、1993年の岳南、共に缶の奥底から見つけ出しました。投稿がない様ですのでスナップをお目にかけます。

  5. 乙訓の老人様
    ピク誌の記事を読んでいただき嬉しく思います。
    以前にも申し上げましたように、小生の鉄道趣味は意外と奥が浅くどちらかと言えば薄っぺらな所があって、自分では得意と思っている関西国電ですら貴殿や藤本哲男氏には適いません。
    『得意の?』関西の国電については過去にピク誌上で7回ほど掲載して貰いましたので、現在ではネタ切れ状態です。(笑)
    ただし、諦めてはおらず関西国電ネタを搾り出してやろうとチャンスを狙っているところです。(爆)

  6. 乙訓の老人様
    ピク誌7回掲載はウソでした。(笑)
    2009年11月号に出た『昭和30年代の関西国電』なる作品?が記事の他にグラフ写真として別頁にも掲載してくれた物を不注意でダブルカウントしてしまいました。決して水増ししたつもりではありません。(笑)

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