これはなんだ?長老様!

いくら戦後の混乱期だからといってもこんな車両がお金を取って走っていたのでしょうか?

関先生が書いておられるので本当にあるのでしょうがにわかには信じられません。そこで普段から琴電のことなら俺に聞け!とばかりに薀蓄を吐露している乙訓の長老様、藤本様、これに関する情報を公開してください。

これはなんだ?長老様!」への2件のフィードバック

  1. この高松琴平電鉄クハに関しては、随分前の「元祖 青信号」に1957年3月撮影の写真を並べ立てた記憶がある。車両極度の不足で、新品のワフを割り当ててもらい、標準軌間に改軌し車掌室部分を運転室に、屋根にヘッドライトを付し、サイドや妻には窓を設けた。
    元来国鉄が非動力車両に採用している「長軸」車軸は、将来標準軌間化に備え大正初期に開発されたもので、軸箱守を支える台枠縦梁(ロッカーレール)間隔も標準軌間に対応しており、いざ改軌となれば、車輪のホイールフイットを外にずらせばよい。勿論ブレーキ関係も改造せにゃならんが。改軌断念後も、国鉄非動力車両は長軸を採用し続けている。
    なお2軸のクハは、戦前なら富士身延鉄道に木製2軸客車改造のクユニ1、2、クハニ5、6があり、敗戦後なら駿豆鉄道にあった。
    これも以前に書いたかと思うが、9600、D50、C51等も、方法は全く違うが、当初から将来標準軌間改軌可能な設計だった。皮肉なことに国鉄は狭軌のまま推移し、陸軍が中国大陸に持ち込んだものだけが改軌実施された。

  2. 湯口様、
    ありがとうございました。私が知っている改造貨車は妻線にあったキワでした。足を運んだときはすでに現役を離れていました。でもこれは運転台がついただけのクハですが、実際役に立っていたのでしょうか?定員は何名だったのでしょうか?色々と疑問がわいてきますね。

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