同志社タイムス社発行のThe Doshisha Timesに同志社大学鉄道同好会の記事が載っておりましたので、本掲示板に転載いたします。OBの名を鉄道雑誌や記事等で発見すると大変嬉しいものです。
余談ですが、1月10日(木)22:00~23:00にBSフジで放送された全国百線鉄道の旅(毎週木曜日放送)のテーマは湖西線でした。その後半部に江若鉄道の話題に触れられ、福田さんの撮影した写真が取り上げられていました。学生時代に撮られたという江若鉄道の写真が数十年を経た今、再び注目されています。私も諸先輩方に見習い、今の鉄道の姿を“記憶しておく”だけでなく“記録に残していこう”と思います。
努力いたしましたが写真がうまく見られないかもしれません。悪しからずご了承ください。
奈良の駅名研究家さま
わざわざ載せていただき、ありがとうございます。校友会員でもない私が、校友会紙に載ったのは、先の青森写真展で、校友会の関係者とも懇意になったためです。別に売り込んだこともないのですが、現役時代の活動・交友が、いまも継続して発揮され、いくつかの成果をもたらしていることが、目に留まったのかもしれません。
原点となったのは、鉄道同好会の時代です。“記憶”より“記録”を心に、活動、頑張ってください。
記事を載せていただき、ありがとうございます。
ところで気動車の前で誇らしげに広がっている旗はDRFCの会旗ですが、動輪を模したデザインを作ってくれたのは“ぺーやん”こと平山君です。卒業以来半世紀近くなりますが、昨年末、高倉健の「駅」を見ていたところ突然に電話がかかり、近く会うことになりました。
あの旗は今どうなっているのでしょうね。
西村さんの投稿のように、会旗のデザインに用いられた動輪は、会のバッジを流用しています。私も“ベーヤン”は知りませんが、「青信号18号」(1967年7月発行)24ページにこのバッジが出来たことの紹介があり、「すべての会員が、すばらしい服や、つぎはぎだらけのワイシャツ、いきなスポーツシャツや、ふっくらと盛り上がったブラウスの胸につけて喜んでおります」との記述があり、図案は工学部3回生、平山義郎君が考えたとあり、米手さんの指摘どおりでした。
ちなみに、この旗は、会員による自作です。黄色い布を買ってきて、油性マジックで書きました。書いたのは、工学部でレタリングが達者な西村さん、林さんが担当したように記憶しています。