今でも気になる江若鉄道(番外編)に寄せて 投稿日時: 2013年1月11日 投稿者: 西村雅幸 藤本様 江若バスの貴重な写真の数々 ありがとうございます。マイカーならいざ知らず、アクセスが不便な鯖街道沿線での撮影はさぞ大変だったこととお察し致します。ところで滋2い 1073が福山自動車博物館にいたことも知らなかったのですが、それが磐梯東都バスで復活していたとは。と言うのも平成21年7月20日に裏磐梯を訪れた際に出会い、撮影していたからです。まさかあのバスが江若バスだったとは!いやはや驚きました。写真を2枚アップして 御礼に代えます。 関連記事: 今でも気になる江若鉄道(番外編) 今でも気になる江若鉄道(Ⅵ) 今でも気になる江若鉄道(Ⅴ) 今でも気になる江若鉄道(Ⅳ) 今でも気になる江若鉄道(Ⅲ) 今でも気になる江若鉄道(2) 「今でも気になる江若鉄道」に 今でも気になる江若鉄道
西村雅幸様 磐梯東都バス「森のくまさん号」の写真有難うございます。私もこのバスが元江若の「滋2い1073」と知った時は本当に吃驚しました。と言うのも堅田の整備工場の片隅でボロボロの姿を知っていたからです。それにしても「福山時計と自動車博物館」の技術力は凄いです。相当数の廃車体を復活させています。 先に廃車になった3両が現役で最後まで残った「滋2い1081」が行方不明(多分解体済)とは皮肉なもので、廃車後も自社で保管していれば、今頃観光に一役買っているかもしれません。 葛川線の途中~細川間3往復(冬は2往復)、和邇・途中線、栗原線も3往復と本数が少なく撮影は大変でしたが、何回か通っているうちに運転士氏と顔見知りになり、撮影していると停車して「乗っていくか」と声をかけてもらったり、撮影の便宜を図っていただいたりしました。 純然たる生活路線としては遅くまで走っておりました。 返信 ↓
古い記事への投稿、失礼いたします。 滋2い10-81は現在も残存しており、富山県の「中越バス販売」にて展示されております。現役引退後は、当時大阪にあった「中央観光」にて、内装の大改造と冷房の搭載改造を受け、オリエントブルーに塗装を変えられていました。(なにわ22さ・・・3 自家用ナンバー)その後、この中古バス販売会社へ譲渡され、現在はブルーと白のツートンとなっています。富山200ナンバーもついていますが、車検は大分前に切れており(車検シールが大型)公道は走れないようです。外観上はリア中央の非常扉が埋められており、内装も大改造されて、原型は殆ど留めておりません。また、本来「各停」「行き先」と2つに分かれて表示されていた正面方向幕も一体化改造されており、元江若交通とは分かり難い状態です。 返信 ↓
貴重な情報、ありがとうございます。 貴殿のブログ記事「ボンネットバスも良いなぁ その4」を拝見させて頂きました。 江若時代を知る者にとってはビックリの改造ですが、 何よりも現存していることは嬉しい限りです。 返信 ↓
乙訓の老人の甥様 すみません、このプログは偶然発見しましたもので、私のではございません。分かり易い写真があり、参考に添付させていただきました。 また、滋2い10-73は裏磐梯で活躍しておりましたが、昨年引退し現況は不明です。福山自動車時計博物館にて動態復活した直後は「福山200は・・73」の登録番号を得て、江若交通時代の塗装を復元しておりました。 返信 ↓
西村雅幸様
磐梯東都バス「森のくまさん号」の写真有難うございます。私もこのバスが元江若の「滋2い1073」と知った時は本当に吃驚しました。と言うのも堅田の整備工場の片隅でボロボロの姿を知っていたからです。それにしても「福山時計と自動車博物館」の技術力は凄いです。相当数の廃車体を復活させています。
先に廃車になった3両が現役で最後まで残った「滋2い1081」が行方不明(多分解体済)とは皮肉なもので、廃車後も自社で保管していれば、今頃観光に一役買っているかもしれません。
葛川線の途中~細川間3往復(冬は2往復)、和邇・途中線、栗原線も3往復と本数が少なく撮影は大変でしたが、何回か通っているうちに運転士氏と顔見知りになり、撮影していると停車して「乗っていくか」と声をかけてもらったり、撮影の便宜を図っていただいたりしました。
純然たる生活路線としては遅くまで走っておりました。
古い記事への投稿、失礼いたします。
滋2い10-81は現在も残存しており、富山県の「中越バス販売」にて展示されております。現役引退後は、当時大阪にあった「中央観光」にて、内装の大改造と冷房の搭載改造を受け、オリエントブルーに塗装を変えられていました。(なにわ22さ・・・3 自家用ナンバー)その後、この中古バス販売会社へ譲渡され、現在はブルーと白のツートンとなっています。富山200ナンバーもついていますが、車検は大分前に切れており(車検シールが大型)公道は走れないようです。外観上はリア中央の非常扉が埋められており、内装も大改造されて、原型は殆ど留めておりません。また、本来「各停」「行き先」と2つに分かれて表示されていた正面方向幕も一体化改造されており、元江若交通とは分かり難い状態です。
貴重な情報、ありがとうございます。
貴殿のブログ記事「ボンネットバスも良いなぁ その4」を拝見させて頂きました。
江若時代を知る者にとってはビックリの改造ですが、
何よりも現存していることは嬉しい限りです。
乙訓の老人の甥様
すみません、このプログは偶然発見しましたもので、私のではございません。分かり易い写真があり、参考に添付させていただきました。
また、滋2い10-73は裏磐梯で活躍しておりましたが、昨年引退し現況は不明です。福山自動車時計博物館にて動態復活した直後は「福山200は・・73」の登録番号を得て、江若交通時代の塗装を復元しておりました。