東北新幹線「なすの号」に関連した話

先日、DRFC行事の後に米手作市さんが宇都宮からE2系新幹線「なすの号」にご乗車された。そこで「なすの号」に関連した話題を提供してみる。E2系は1995年に登場、北陸、上越線でも活躍したが両線ともE7系に置き換えられ現在は東北の「なすの号」を中心に運用されているが間もなく消えていくものと思われる。そういう意味で米手さんはラッキーだったと言える。

E2系が活躍していた頃の記録を1枚。2015年5月3日仙台発盛岡行き「やまびこ97号」E2系10連。▼

晩年「なすの号」等に使われた車両に200系がある。東海道新幹線0系に似ただんご鼻スタイルをしており雪国を走るので耐寒耐雪を強化したほか、車体は0系の鋼製に対してアルミ合金製の違いがある。100系に似た200系も存在したが当時新幹線に興味がなく撮り始めたのはやはり晩年の姿である。この撮影も「なすの号」ではなく2012年9月2日熊谷駅を通過する新潟発東京行き「とき327号」であるが何となく0系の感じがして貴重品に見え追いかけたがその後E2に似た塗装に変更したものもあらわれた。▼

ところで「なすの号」は1959(昭和34)年上野-黒磯間で多客時に運行された「なすの号」がルーツで特別準急電車日光形157系「湘南日光号」とともに全車座席指定の駿足列車であった。157系はその後1963(昭和38)年には153系の出力を増強した165系に変更されて行った。両準急ともに165系使用列車第1号である。写真は1965年11月10日川口-赤羽間の荒川橋梁を行く165系の「なすの号」2512Mで黒磯10時58分発上野13時9分着で特急電車と変わらないスピードを誇っていた。▼

準急「なすの」を撮った同じ日に総本家さんが関西にはないと言われたEF57牽引列車を上り急行104列車青森発上野行き「八甲田」を含め撮影している。ここでは「なすの」のすぐ後のEF576[宇都宮]牽引福島発上野行き124列車を載せてみる。因みに同列車は福島6時45分発上野13時19分着である。福島‐黒磯間はED71あたりが牽引してEF57にバトンタッチしたことであろう。パンタグラフを思いっきり前面に押し出した個性的なスタイルのEF57の人気はEF58の比ではなかった。米手作市さんとはこの頃に尾久客車区に行った時にEF57やEB10も撮っているが随分昔のことになってしまった。▼

新幹線の車両は登場しても思った以上に廃車されるのが早い。赤と青などカラフルな車両で編成された連結も見られるので興味のある方は今のうちに記録されたらと思います。

 

東北新幹線「なすの号」に関連した話」への10件のフィードバック

  1. 荒川橋梁は3複線化工事中の貴重な写真ですね。
    電車線(京浜東北線)は、すでに下流側の新しい橋梁になっており、使命を終えた旅客線の橋梁を撤去しているところですね。
    その後、この橋梁を新しいものに造り変え、EF57が走っている貨物線を一旦移設しました。
    さらに、貨物線の橋梁を造り変え、右から電車線、旅客線、貨物線となり、3複線が完成した次第です。
    この工事により、京浜東北線は専用の線路となり、南行の橋梁を渡り終えたところの旅客線との振り分け分岐がなくなり、南行の分岐の反位進入によるカラダが持っていかれるほどの大きな揺れもなくなりました。
    半世紀以上前の懐かしい思い出です。

    • クモハ73106東ウラ様
      北陸新幹線はE7系、W7系が相互に乗り入れており長野駅では東西の乗務員の交代する風景が見られますが関西のファンはJR東日本の新幹線にはあまり興味がないように思われます。私は以前から「はやぶさ」「こまち」の連結や「つばさ」「やまびこ」の連結の走行写真を撮りたいと思っておりました。冒頭のE2系「やまびこ」もクモハ73106東ウラさんにお願いして車を回していただいた時のものです。岩手富士バックの田沢湖線や板谷峠手前の大カーブなどもそうです。先日ぶんしゅうさん達とご一緒させていただいた道東でも大変お世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。

  2. 先日の東西交流会は宇都宮から合流しましたのでお会いできず失礼いたしました。
    投稿された写真のEF57は、私の時代関西では見られなかったのではと思います。そもそも私はデッキ式の電機を見たことがありませんでしたが、宇都宮駅東公園にEF57-7が保存されていることを知り、イベントの翌日の早朝、散歩がてら見てきました。周りは柵で囲われていて近づけませんでしたが柵の上から手を伸ばして撮ることができました。やはり前部デッキとパンタが印象的でした。走っているところを見たかったですね。

  3. クモハ73106東ウラ様
    超特急のコメント有難うございます。そういえばこの荒川橋梁を渡って毎日通学されていたのですね。ご説明にあります下流側の既に完成した電車線(京浜東北線)を行く同じ日に撮影したクハ79先頭の鶴見行きです。ウラかモセの所属です。この角度からも工事の状況がわかります。

  4. 大津の86様
    こちらこそ宇都宮ライトレール並びに大宴会に参加せず失礼しました。保存機の写真有難うございます。7号機もどこかで撮ったと思いますので保存車輛とその現役時代でも始めようかなと思います。EF57の走行写真を貼り付けました。1972年11月10日の野木-古河間を行く福島発上野行き122列車です。機関車が小さいのが残念ですが、周囲の広葉樹林でご勘弁願います。

  5. 大津の86様
    EF57と人気を分けたEF56の走行写真を付け加えます。晩年は荷物列車や臨時急行列車に充当されEF57と比べやや地味な印象はありましたが、中央に寄ったパンタグラフが外見上の特徴です。上記EF5711と同一日同一箇所ですがパンタグラフの特徴がわかるように横から狙いました。列車は隅田川発41荷物列車青森行きEF5610[宇都宮]です。

  6. 準特急様
    2022年10月25日の東京駅の写真がありましたので投稿いたします。21番ホームで「はやぶさ7号」の入線を待っていると、向かい側の22番ホームに3分前に到着した「なすの262号」が停車していました。車両はE2系1000番台の鉄道開業150年および東北・上越新幹線開業40周年を記念して200系のカラーリングの塗装に変更されたJ66編成でした。
    「なすの」といえば昭和40年代に上野-黒磯間を結んでいた165系の準急「なすの」を思い出します。当時は「日光」と共にまだ東武鉄道を相手にそれなりの競争をしていました。いまだに「あぶくま」に改名せずに白河を越えて郡山行きとなっている「なすの」に違和感があります。

  7. 準特急様
    2010年5月2日の荒川橋梁です。現在は鉄道線路には近づけず、対岸の川口市の高層ビルはさらに増えています。

  8. 快速つくばね様
    最近は鉄道各社に復刻カラーの車両が走っており私はダイヤを調べて行くほど熱心ではありませんがその撮影を楽しんでおります。「はやぶさ」乗車前に向かいのホームに見慣れない車両があって一瞬驚かれたと思います。200系カラーの復刻塗装のE2系「なすの262号」の写真有難うございます。さて、「なすの」ですが那須塩原行きもありますがそのほとんどが白河越えで郡山まで行っており「あぶくま」に改名しないのかとのご意見ですよくわかりますが私個人はそれほど違和感は感じません。列車名についての研究家ではありませんが国鉄時代からその命名にある種のルールがあったようですね。目的地の代表的な風景や旧国名を付けたものが多く見られますが、「伊吹」や「木曽」等の例もあったようです。昔、大阪-西鹿児島間に特急「那覇」という列車がありましたが、これなどどういう風に理解したらよいのかわかりませんので調べて見ましたら1967年に琉球新報が沖縄の日本復帰を願い「本土にも沖縄の名を付けた列車を走らせよう」というキャンペーンでできた列車名だそうです。沖縄が米軍傘下にあり、車が右側通行で米ドルを使っていた1968年3月台湾旅行の途中で寄った沖縄上陸時のパスポートのコピーです。沖縄-鹿児島間は船でした。特急「那覇」の写真見てみたいですね。

  9. 快速つくばね様
    川口の鉄橋は最初川崎か武蔵小杉の多摩川橋梁かと思いました。凄い変貌ですね。川口は保存電車京急230形を撮りに行った時下りたくらいです。EF57やEF62の客車をよく見かけました。ところで沖縄入出国のコピーはうまく貼れませんでした。失礼しました。

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