天然色写真で巡る40年前の九州 (3)

(3)煙の聖地、筑豊・若松

広島から夜行列車で九州入りし、まず筑豊で撮影を開始する。
筑豊炭田を背景に、筑豊は蒸機の一大集積地として知られていた。
出炭のピークは昭和30年代の後半であり、年を追って出炭量は低下していたが、それでもなお石炭は、基幹エネルギーとして日夜採掘され続けていた。
石炭を動力とする蒸機もまだ全盛の時代であった。筑豊本線を例に取ると、DL牽引は急行「天草」のみ。普通列車にはDCも相当数入ってはいたが、あとの客貨はすべて蒸機の牽引であった。しかも、C55、D50、60と言った形式がゴロゴロしている。

石炭の輸送手段は、鉄道と船になるが、その船への積出港として、賑わっていたのが筑豊本線の起点となる若松だった。
若松は、北九州市のなかでは、門司、小倉、戸畑、八幡の区からは洞海湾のひとつ隔てた地にあり、北九州市の繁栄から一人取り残されてきた感がある。
それだけに、石炭と鉄道で気を吐いている若松へは好んでよく訪れた。多くは折尾経由で向かったが、ある時は、若戸大橋を歩いて渡り、ある時は、洞海湾を渡船に乗って、戸畑から若松へ向かったものだ。
構内は網の目のように側線が走り、ハチロクが石炭車の入換えに忙しい。若松機関区は筑豊本線の中枢区として、多くの蒸機を擁してきた。一歩駅を出ると、凸型電機に牽かれた若松市営軌道の貨物列車が、繁華街の併用軌道を行く、と言った鉄道光景が繰り広げられていた。
構内で形式写真の撮影に熱中していると、突然、発車の汽笛が聞こえ、若松発の列車が迫ってきた。あわてて、モノクロ、カラーを取り出し、カラーは片手撮りで写した。門鉄デフのC5546が盛大な煙を吐いてきた。
高校2年生のときに初めて訪れて以降、筑豊へは何度行ったことか。それだけに筑豊の盛衰を見守ってきたという自負もあるだけに、石炭産業が途絶えて以降の筑豊の凋落振りは信じがたいほどだった。
いまは、広大な構内はすべて撤去され、跡地には集合住宅が林立している。駅は、ホーム一面二線だけの簡素な終端駅になった。洋風の駅舎もなくなり、プレハブのような簡易な駅舎になった。石炭の面影が微塵も感じられない駅周辺で、唯一駅前に保存された石炭車が辛うじてかつての繁栄をとどめている。

3 thoughts on “天然色写真で巡る40年前の九州 (3)

  1. 若松駅を発車したC55の引く客車列車、懐かしいですね。客車の先頭はオハフ61で2両目はスハフ32、3両目、4両目はオハ35、最後尾はオハフ61でしょうか。私は九州に行っても私鉄と路面電車を中心に撮影していましたが、若松機関区には行きました。事務所に撮影許可をお願いに行った時、同志社の学生だと言った処、助役氏が片山君(当時文学部哲学専攻の教授)とは高校の同級生だと言って直ぐOKでした。
    ところで西鉄王国の北九州市に「市バス」があり、何となく不思議な気がします。前身は「若松市営バス」で、北九州市の前身で「市電」「市バス」を持っていたのは若松市だけでした。但し「市電」は総本家青信号特派員さんもお書きの通り貨物専業で、街中を電気機関車に引かれて走る貨物列車の写真を撮られた方もいらっしゃるのではないかと思います。

  2. 現在の若松の寂れようは記載の通りです。
    機関区、北九州市バスもなくなり、西鉄バスも短縮の一途です。

    よく似た環境だった私の実家に近い行橋も機関区がなくなりその後30年間に
    駅前の商業地区が衰退しました。駅だけは近年高架の立派な駅になりましたが
    かつて駅前から網の目のように出ていた西鉄バスは1本もありません。
    奇特な方がこの経緯をずっとサイトにまとめておられます。
    http://tomoedabyouinmae4.fc2web.com/

    鉄道の好きな人間には以前訪れた町の大半が衰退しているという
    現実にただ言葉をなくすばかり。

  3. H.K.生さん
    バスの話題で恐縮ですが、北九州市のHPを見ると市営バスは健在のようです。路線図を見ますと、若松~小倉間を若戸大橋、都市高速経由で結ぶ路線や北九州空港に行くエアポートバス、ローカルでは水巻駅にも顔を出しています。若松駅前からは二島方面行が、平日昼間10分間隔で発車しており、今でも都市交通機関と機能しているのではないかと思います。最も、青信号特派員さんが撮影されていた頃はもっと路線網が充実し、本数も多かったと思います。私も筑豊沿線の移動は本数の少ない列車よりも頻繁に運転されているバスを利用しました。筑前宮田駅から乗った福間駅行の国鉄バスが山越えの途中、脇田温泉という鄙びた温泉地を通ったことが妙に印象に残っています。また、直方~飯塚間等は10~15分間隔で運転されていましたし、飯塚~久留米も列車の本数は非常に少ないですが、バスは20~30分間隔で運転されていたように思います。

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