道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑤

緑 (みどり)

昭和6年の開設、当時の駅名は上札鶴だった。上斜里村が、清里町に改称された際に、行政地名も、上札弦から「緑町」に改称され、駅名も昭和31年4月に同時に改称された。「緑」にとくに由来はなく、佳字であることから選ばれたのだろう。「色」に由来する駅名なら第一に選ばれるはずだ。これも調査は、奈良の駅名研究家さんに任せたい。

初めて訪れた昭和43年、緑で交換するDE10の牽く貨物列車、当時、客貨混合はすべてC58牽引、逆に貨物はDE10化されていた。

緑郵便局の記念消印、こちらも駅舎が描かれている。

 

 

 

 

翌年の昭和44年9月に再び釧網本線へ行くと、旅客列車にもDE10が投入されていた。緑を過ぎると、峠越えとなり、森林地帯のなかを、サミットの釧北トンネルまで25‰勾配が続く。DE10重連もあえぎながら行く。つぎの川湯までは、14.5キロあって、釧網本線ではいちばん長い区間。

川湯 (かわゆ) 現・川湯温泉

昭和5年の開設、語源は、アイヌ語由来の「温泉の川」を和訳した。「温泉の川」なら「湯の川」になるが、それなら函館近郊の湯川と紛らわしいため、逆順にして「川湯」にしたと言う。駅は1978年に「川湯温泉」に改称された。川湯駅で交換する釧路発網走行き626レ、C58 197〔釧〕+客車3両+貨車。

側線に留置されていたのは工事車のスヤ39 3〔釧クシ〕、スヤ39は、マハネ29などの3軸ボギー客車が種車で、1~5、11、21、31の8両あり、この時代は5両が健在だった。宿泊可能な工事車で、工事があると、さまざまな駅に留め置かれた。背後の山は標高512mの硫黄山、駅から約3キロに位置して、硫黄の匂いが流れて来ることもある。現在も噴気活動をしている活火山がこんな近くにあった(昭和43年9月)。

二面対向式の川湯温泉駅。キハ54単行の「足湯列車」が到着。

川湯郵便局の記念消印。上掲の写真とほぼ同位置。▲▲川湯温泉の駅名標。

駅舎は、昭和5年の駅開業のあと、同11年に完成した。正面に白樺を使った三角形のファサードを持つログハウス風で、近くに広大な御料地もあり、貴賓室も設けられた。いまも駅舎は健在で、2010年に訪れた時は、事務所はレストランとなり、足湯もあった。

弟子屈 (てしかが) 現・摩周

昭和4年の開設、観光客へのアピールを狙い、摩周湖の名を借りて、平成2年に駅名改称した。

「阿寒摩周国立公園」の大きな看板も見える摩周駅、2面3線に側線もある比較的大きな駅(2019年2月)。

弟子屈郵便局の記念消印。郵便局名は弟子屈のまま。摩周郵便局は存在しない。

 

 

 

 

 

 

3年前に行った時はコロナ禍直前で、インバウンド観光客で絶頂の頃、昼間の単行のキハ54 515は超満員、私は何とかロングシートに座れたが、車内は立ち客が出るほどの混雑だった(2019年2月)。

 

 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑤」への8件のフィードバック

    • 1983年2月の川湯駅です。
      当時はスキーリゾートの真っ盛りで、北海道に内地から若者たちが冬も夏も押し掛けていました。

      • 同じく1983年2月の弟子屈駅です。
        駅前に能登路や黒部の旅行募集が出ているのが、国鉄の頃の雄大さを感じます。

        • こまめに記録されていますね。緑の駅舎も、記念消印と同じです。私にとっての1980年代の北海道は、全く空白の期間で知りませんが、まだ若者を中心に冬季でも賑わっていたことが分かりました。

  1. 昭和44年3月1日の緑駅での一コマです。弟子屈で連結された前補機DE1035が緑駅で解放されたあとの混628レ網走行きです。編成はC58331+ワム15008+タサ15519+トラ18426+トラ50450+オハ6271+オハ6234+スハニ6225+ワム5045でした。最後尾のスハニ62の暖房はダルマストーブでした。そしてこんな混合列車にも車内販売の若い女性2人が乗務し、ストーブを占領していました。半世紀以上前のウソのような光景です。

    • 西村様
      ほんとに信じられない光景ですね。混合列車の客車がダルマストーブで、なかに車販が乗っていたとは(スルメも売っていたのでしょうか)。編成順位も冬期らしく興味深いですし、タサが連結されていたのも珍しいと思います。

  2. 1枚目のDE10 27号は、53.10で秋田、55.10で高松へ転出し、高松ではDF50第二次置換用として昭和56年8月25日に一休解除となり、A寒地装備を外して活動を再開したカマで、北海道に疎い私でも記憶にあるカマです。昭和58年4月1日㋵283レを奇しくも同じ釧路出身の34号と重連で牽引し高知転属となり、同時に高知以北の土讃線貨物列車の初DE10牽引機となりました。(厳密にはDE10の牽引試験も行われているので、初とは言えませんが。また、速度記号がG3からG8に変更となっていますので、定数は恐らく33から28へ減じられたものと思われます)
    残念ながら27号の写真がありませんでしたので、高知転出翌日の僚友34号(280レ)の写真を貼付します。ちなみに27号は、この日夕方の270レを牽引しています。

    • 四方様
      貴重な情報、ありがとうございます。たまたま釧網本線で写したDE10が、秋田を経て、四国へ転出していたとは知りませんでした。DE1034のカラーもありがとうございました。

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